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つなぐ心③悲嘆 お寺で明かす

※文化時報2022年1月14日号の掲載記事です。

 同じグリーフ(悲嘆)を味わった人同士だからこそ、共感し合えることもある。真宗大谷派超覺寺(広島市中区、和田隆彦住職)で開かれる「和(なごみ)の集い」は、夫を亡くした女性たちが集まり、心の内を共有する場だ。新型コロナウイルス感染拡大以降も欠かさず、毎月1回の分かち合いを続けている。

共有が一番の薬

 広島市の中心部、八丁堀に位置する超覺寺。繁華街の喧騒から隔たった広い本堂の一角で、数人の女性がテーブルを囲んでいる。

「周りからは『そろそろ立ち直らないと』と言われるけれど、何年たっても寂しくてたまらない」「連れ立って歩く夫婦を見ると、つらい気持ちになる」。時に涙をにじませながらの語りに、「私も同じ」「分かる、分かる」と、口々に共感の声が上がった。

 毎週第1土曜の午後1時から開かれる和の集いは、夫を突然死で亡くした齋藤美佐子さん(65)の呼び掛けで、2010(平成22)年に始まった。参加者から希望があれば和田住職も加わるが、法話や助言をするのではなく、じっと耳を傾けるだけだ。

 参加者は、ファシリテーター(進行役)の齋藤さんを含めて1~4人ほど。1人の時は、和田住職と語り合う。

 若くして死別した人、長年連れ添った人など、参加者の背景は異なるが、語られる思いには共通点も多い。齋藤さんは「年齢や死因は違っても、大切なパートナーを失った悲しみは変わらない。同じ境遇の人同士で気持ちを共有することが一番の薬」と話す。

心ある僧侶求めて

 齋藤さんは夫を亡くした直後、葬儀を担当した僧侶の振る舞いに傷付けられた経験がある。悲しみに寄り添う言葉もなく事務的に葬儀を進められ、「お寺って一体何なの」と失望を感じた。

 そんな時、偶然読んだ新聞記事で和田住職を知った。

 一般の家庭で育った和田住職は大学卒業後、証券会社に就職。仕事のつらさから自死を考えた時、僧侶に話を聞いてもらったことがきっかけで、自身も仏門を志した経緯がある。

 「自分の意思でお寺に入ったこの人なら、他者の痛みが分かるかもしれない」。齋藤さんは超覺寺を訪ね、「分かち合いの会にお寺を使わせてほしい」と依頼した。

 一方、信頼関係の構築には時間が必要だった。

 夫を失って約1年。当時の齋藤さんは、周囲の物事全てに怒りを覚える状態だった。「私も早く一人になりたい」「あなたのことを教訓に、主人を大事にする」。周囲から無神経な言葉を投げ掛けられ、人と接することが苦痛になった。

 伴侶との死別を経験した人としか気持ちを分かち合えないと感じ、当事者でない和田住職が同席することにも、当初は抵抗を感じていたという。

 だが、やり場のない感情を否定せず、ひたすら耳を傾け続ける和田住職の姿に、「寄り添おうとしてくれている」と実感。超覺寺は、齋藤さんが心から安心でき、信頼を寄せられる居場所となった。

和の集いを開く超覺寺

 「心のない事務的なつながりだけでは、寺から離れる人はますます増えていく。傾聴や分かち合いを行うことも大切だが、結局は、お坊さん自身の人間性が重要なのではないか」と、齋藤さんは力を込める。

仏様が聴いている

 新型コロナウイルス感染拡大が、遺族の心に与えた影響はさまざまだ。「人と会わなくて済むので気持ちが楽だ」と感じる人もいれば、孤独の中で悲しみを募らせる人もいる。

 「私一人では受け止めきれない悲しみも、背後の阿弥陀様が全て聴いてくださる。仏様の存在があるからこそ、肩の力を抜いて傾聴できるのかもしれない」。和田住職はそう明かす。

 亡き人を思い、つらい気持ちを仏に預けることで、死別の悲しみは少しずつ和らいでいく。大きな存在に包まれている安らぎは、参加者の多くが実感しているようだ。

 肺がんで夫を亡くし、6年ほど前から参加している隅田弥生さん(64)は、「本堂にいると、夫とのつながりを強く感じる。公民館やセミナールームにはない安心感がある」と語る。

 20年春に肝臓がんの夫を看取(みと)った河崎秀子さん(67)も「お寺だったからこそ参加しようと思えた」と話す。闘病を見守ったつらさや生前の後悔を語るうちに、「他人の前でこんなに泣けるなんて」と感じるほど、自然に涙があふれたという。

 仏の存在を肌で感じられる寺は、ケアの場として理想の空間。オンラインによる分かち合いの会が増えている中、対面での実施を重んじているのも、空間の力が代替できないからだ。「コロナ禍の今こそお寺を開き続ける意味がある」。和田住職はそう考えている。

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