初詣の意義問い直せ
※文化時報2020年12月19日号の社説「初詣の意義問い直せ」の全文です。
「現在ではすっかり『正月の伝統行事』のように思われている『初詣』は、実は都市から郊外へ延びる鉄道ができたことによって誕生した、まことに『近代的』な参詣行事だったのである」
神奈川大学准教授の平山昇氏が2012年に上梓した『鉄道が変えた社寺参詣―初詣は鉄道とともに生まれ育った』(交通新聞社新書)は、初詣についてこう記している。
同書によれば、鉄道各社は春秋の行楽シーズンに比べて乗客の少ない冬季に、減収を補う必要があった。そこで、寺社への参詣に着目し、沿線の有名寺社を巻き込む形で初詣を盛んに宣伝して、輸送需要を掘り起こしたというのだ。
そもそも、わが国最初の鉄道が1872(明治5)年に新橋―横浜間で開業したときから、寺社参詣と鉄道は切っても切り離せない関係だった。大本山川崎大師平間寺の最寄りに川崎停車場が設けられ、弘法大師空海の縁日には臨時列車が運行された。やがて、鉄道を利用して元日にも参詣する人が増え、初詣と呼ばれるようになったという。
新型コロナウイルスの影響で、多くの鉄道会社が大みそかから元日にかけての終夜運転を見合わせることになった。これまでも利用客の減少などで運行を中止してきた会社はあったというから、通常ダイヤの終電繰り上げを含めて、コロナ禍は鉄道輸送の変化を加速させたといえる。
同じくコロナ禍に翻弄される宗教界は、この年末年始がまたしても試練の時になる。
初詣は、成り立ちの段階から鉄道と寺社が深く関わり、行事として定着すると、運賃と賽銭の豊富な収入源となった。それが、ひとたび需要が見込めなくなると、途端に鉄道が手を引こうとする。寺社は困惑するばかりである。
葬儀や法要の簡略化に対しては、教義に基づいて正面から異を唱え、必要性を説くことができる。だが、初詣の衰退に歯止めをかけなければならない根拠は、このままだと乏しい。新しい初詣の様式を提唱するよりほかないのではないか。
感染防止対策やオンラインの導入を図るだけでは不十分だ。「3密」を避けるにしても、例えば、三が日は氏神神社=用語解説=や菩提寺に行き、崇敬神社=用語解説=や総大本山は松が明けてから参詣する。すでに縁起物の授与期間を前倒ししたり延長を決めたりした寺社はあるが、普段からもっと地域の寺社を住民が訪れるための工夫があっていい。
その方が、混雑で疲弊する従来の初詣よりもゆったりと神仏に向き合えるし、神職や僧侶と話す機会も増える。寺社にとっては、宗教とは疎遠だが民間信仰は大切にする人々と縁を結ぶ絶好の機会となる。
たとえ年末年始の光景が様変わりしても、人々が普段から手を合わせる心だけは、変わらないでほしい。そう願って、今年最後の社説としたい。
【用語解説】
氏神神社(うじがみじんじゃ=神道)
地域を守る氏神をまつる神社。周辺に住む人々を氏子という。
崇敬神社(すうけいじんじゃ=神道)
個人の特別な信仰により崇敬される神社。信仰する人を崇敬者という。
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