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宗教は社会を構想できる 小原克博氏

※文化時報2020年10月7日号の掲載記事を再構成しました。

 新型コロナウイルスの感染拡大に伴う政府の緊急事態宣言から半年を機に、キリスト教思想と宗教間対話に詳しい小原克博同志社大学教授(宗教倫理学)が文化時報のインタビューに応じた。感染症対策より経済活動を優先する政策に関しては、否定的な見解を示し、分散型社会の実現と自然保護を軸に、持続可能な社会を目指すべきだと主張。「世代を超えて記憶を継承できる宗教には、元の形とは違う社会を構想できる」と話し、宗教界にいっそうの社会参画を促した。(主筆 小野木康雄)

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 小原克博(こはら・かつひろ)1965 年、大阪生まれ。同志社大学大学院神学研究科博士課程修了。現在は同志社大学神学部教授、良心学研究センター長。専門はキリスト教思想、宗教倫理学、一神教研究。著書に『ビジネス教養として知っておきたい世界を読み解く「宗教」入門』(日本実業出版社、2018 年)などがある。

緊急事態宣言:戦時体制の繰り返し

――新型コロナウイルスの感染拡大を受けた半年前の緊急事態宣言を、どう受け止めていますか。

 「命と健康を守るという目的があったとはいえ、私権は著しく制限された。それでいいのか、という問いは、絶えず持たなければならない」
 「日本社会には、強い同調圧力が働いている。秩序に合わせることは、普段は当然の道徳と認識されているが、緊急事態宣言のように締め付けが厳しくなると、なじめない人が攻撃される。戦時中の『非国民探し』が、現代にも『自粛警察』として現れている」

――宗教界は、どのように対応すべきだったのでしょうか。

 「宗教界には、先の大戦で国家による同調圧力を補完してきた歴史がある。そこを反省した上で、同調圧力とは関係のない生き方があると示すべきだった。政府に協力してコロナ禍の終息を祈願するのもいいが、それだけでは体制の一部に組み込まれてしまう」
 「宗教界も、これまでは出る杭を打ってきた。組織は歯向かう者や異質な者を排除する。組織力を持った教団は、国家にとって利用価値が高いことを忘れてはならない」

――くしくも今年は戦後75年とあって、戦時体制を想起した人も少なくありませんでした。

 「仏教と不殺生はワンセットであり、仏の教えに生きる者が人をあやめるのに加担してはならないことは誰にでも分かる。それなのに、戦時下に戦争反対を唱えた宗教者は、教団からパージされ、戦後かなりの時間がたつまで名誉が回復されなかった」
 「ただ、妥協して組織を守った先人たちを『軟弱だ』と非難しても意味はない。組織のために個を犠牲にする仕組みを、いかになくすかに関心を向け、教訓を引き出すべきだ」

――コロナ禍でも、宗教界は同調圧力にあらがえなかったのでしょうか。

 「目的やスケールは違っても、全体の秩序のために個人の自由が犠牲にされたという点で、コロナ禍でも同じことが繰り返されたと言える。個人の自由が著しく制限されることを『みんなで一緒に我慢しよう』という空気が当たり前になるのは、非常に怖い。私権の制限は一時的な究極の措置であって、本来してはならないと、制限する方も理解して説明する必要がある」

 「宗教界には今回、そうした指摘ができなかった。戦争の記憶と併せて考えると、私権の制限には慎重であるべきだと一言、言っておくべきだった」

オンライン法要:儀礼の意義、丁寧に

――オンラインでの法要や礼拝については、どう考えますか。
 
 「教団という信仰共同体にとって、法要や礼拝は志を共有する人々が集まる機会であり、特別な意味を持つ。背に腹は替えられないという状況でオンラインの導入が進んできたわけだが、場と時間を共にする経験は代替できない」

――実際の法要や礼拝が基本ということでしょうか。

 「法要や礼拝には、一定の場所で一定の時間、周囲に合わせて過ごすという約束事がある。参加者は自ら自由を放棄する。しかしオンラインだと、適当に参加できてしまう。真剣さや誠実さが体験されなくなる」
 「すると、自由な日常では得られない本来の居場所が見つけられない。宗教は集まることで得られる身体感覚を大切にしている、と丁寧に説明する必要がある。そうしないと、オンラインの便利さに反応した人は、法要や礼拝に行く必然性を見いだせない」

――宗教離れが進む可能性もありますね。
 
「気掛かりなのは、宗教離れに拍車がかかると、特に地方寺院の倒れるスピードが速くなること。教えは簡単になくならないが、担い手である寺院が弱体化し、世の中に伝わりにくくなる恐れがある」

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コロナ差別:葛藤を社会に伝えよ

――感染者に対する差別が問題になっています。宗教はどのように向き合うべきでしょうか。

 「14世紀に欧州でペストが流行したとき、クリスチャンの間に広がったのが、ユダヤ人元凶説だった。感染を引き起こした人を特定し、弾圧・迫害を加えるという精神構造は、現代においても変わっていない」
 「どんな宗教もほぼ例外なく、異質な他者を排除したり差別を正当化したりする論理を内包している。伝統仏教教団が部落差別の非を認めたのは、比較的最近のことだ。その上で、今の世の中も変わらず差別が起きているなら、それを越えていく方法や道筋を示すことが、宗教の役割だと思う」

――宗教は差別の歴史を乗り越えたのだから、社会にも提言できるはずだ、ということでしょうか。

 「米国の人種差別の問題でもうかがえるように、実際には、宗教は差別の歴史を乗り越えていない。ただ、問題があると自覚し、克服しようとする宗教者は大勢いる。差別を自分たちの問題として引き受け、葛藤していることを社会に伝えることはできる」
 「宗教者が陥りがちなのは、自分たちは世間と違う次元に達しているから救いや教えを示せる、という考え方。これをすると『御高説ごもっとも』で終わるどころか、今の人たちを宗教嫌いにさせてしまう」

メッセージ:一般に届いていない

――教団が相次いで声明を出したことへの評価はいかがですか。

 「まず、伝わっているかどうかが大事。信徒向けのメッセージを一般の方々にもどうぞ、とインターネットでそのまま配信しても、意味を受け止めてもらえない。ネットという公共空間に出ていく以上、信徒向けと一般向けでメッセージを変える工夫をすべきだ。仏教でいう対機説法でいい」

 「分かりやすさだけを追求し、『命を大切に』などの一般論に終始すると、宗教の出番はないのではないか、という話になる。分かりやすくすべきだが、教えの根本に当たるものを入れることが大事だ」

――そのような声明は見当たりましたか。

 「それぞれの教団がよく考えてはいるが、信徒とその周辺までしか届いていない印象。関係ない人が積極的に見に行く内容ではない。普段できていなかったことが、コロナ禍だからといって急にできるはずがない」

――コロナ禍で教団はますます弱体化しています。今後はどうなるでしょうか。

 「信徒数が減り、連動して財政基盤が弱体化しているのは共通する課題。とりわけ伝統仏教教団は、檀家制度に依存せずに収入を得る仕組みづくりを怠り、有効な手を打てずにいた。そこへコロナ禍が起き、お金の流れが停滞した。今までと同じやり方で存続しようとすると、早晩行き詰まるだろう」

 「鎌倉新仏教の教えは、危機的な状況にいた中世の人々へ、染み入るように伝わっていった。ところが現在では同じことを語っても、救いのリアリティーが全く別物になっているので、通じない。現代人は、彼岸的な意味での救いを求めていないのではないか」

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宗教の出番:不条理に向き合うこと

――現代人が救いを求めていないのだとすると、宗教の出番はどこにあるのでしょうか。

 「脆弱という意味では、医療も宗教と変わらない。コロナ禍で100万人以上が亡くなり、世界は医療の無力さを体験した。治療薬もワクチンもない中では、絶対に救ってくれるわけではない」
 「人間は一人一人が根本的な不条理にさらされている。科学は現代社会を隅々まで制御しているが、どれだけ進歩しても、不条理を根っこから取り除いてはくれない。原子力やヒトゲノム編集に見られるように、科学が新たな問題を生み出すこともある」
 「今回のコロナ禍によって、人の命も偶然にさらされていることがあらわになった。誰かが感染をコントロールできるわけではなく、自分たちの意思だけでは物事を決められないことがはっきりした。そうした状況で、人が不条理とどう向き合うべきかは、宗教が語れる領域だ」

――仏教には諸行無常という教えがあります。

 「目の前にある確かな物ですら、いつかは形がなくなるという認識は、仏教の根本思想。その認識に立てば、何があっても不安にはならない」
 「ところが教団組織が大きくなり、財産を持ち、教義もしっかり整うと、それ自体を守ろうとする。維持することにきゅうきゅうとし、教えの根本と矛盾が出てくる」

――そうした矛盾が、仏教離れを招いている可能性はありませんか。

 「教えの根本が一般の人々に理解されていないのではないか。確かな物を増やせば増やすほど幸せになるというのが、資本主義の論理。われわれがその上に乗っかっている危うさを、宗教の視点から伝える必要がある」

経済との両立:違う生き方を示せ

――政府は感染症対策と経済活動の両立を目指しています。

 「戦後の日本社会の根本的な価値観は、物質的な繁栄を幸せと捉えることだ。もう十分なのに、まだ経済成長が必要だと言い続ける。成長するなら少々の犠牲が出てもやむを得ないという発想を持ち、格差が広がっても『努力が足りないからだ』と平気で切り捨てる。コロナ禍では、そういう弱点があぶり出された」
 「成長神話は、戦後の日本人が共通して信じる隠された宗教のようなものだ。それを偽物の宗教だと指摘し、『とらわれから解放されて違う生き方をしよう』と人々に伝えられれば、宗教がある種の救いを与えたと言える」

――どのようにすれば、われわれを成長神話から解放できると考えますか。

 「われわれが資本主義に取り込まれてその一部となっている世界を、外部に立って対象化する視点が必要だ。コロナ禍における教団のメッセージに話を戻せば、個人の心の在り方や気の持ちようを、訓話のように伝えるものが多い。それも大事だが、人間は自分の心だけで幸せになるわけではない。社会批評の要素を加えるべきだ。社会の仕組みを、時間をかけて変えていく必要がある」

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コロナ後の社会:元に戻すべきではない

――「ポストコロナ」や「ウィズコロナ」と言われるこれからの時代に、宗教は社会とどう向き合えばいいでしょうか。

 「コロナ禍で見えてきたひずみに光を当て、元の社会に戻していいのか、と問うべきではないか。欲望で経済が回り、自然が破壊されても構わない、という持続性を欠いた社会ではなく、どういう社会にするかを宗教界が示してほしい」

 「具体的に向き合うべき課題の一つは、自殺対策。コロナ禍で経済的な危機に直面した人々が、自殺を選ぶのを防ぐことだ。生死の境をさまよう状況に追い込まれる人々にこそ、救いの手を差し伸べるべきだ」

――理想の社会を考える上で、何を前提とすべきでしょうか。

 「コロナ禍は地球規模の問題。森林伐採が進んで動物と人間の境界線が失われた結果、本来なら接触しなかった野生動物から感染症が持ち込まれ、人間に広まった。将来も、同じことを繰り返す可能性が高い。『ポストコロナ』はあっても『ポストパンデミック(世界的大流行)』の時代は来ない」
 「われわれはパンデミックとパンデミックの間、すなわち『インターパンデミック』を生きる覚悟や知恵を持たなければならない。自然破壊やグローバルな人口移動、都市への一極集中が続く限り、コロナ禍のようなことは近いうちに簡単に再現されてしまう」

――少なくとも、元の社会に戻すべきではないということですね。

 「巨額の公共投資で同じ構造を作り直すことは、パンデミックの抑止力にはならない。気候変動の要因になる事柄が増え、生物多様性は損なわれ、持続不可能な社会に向かってしまう」
 「変えるべき点は少なくとも二つある。一つは分散型社会の実現。もう一つが自然保護だ。人間による森林破壊を前提とした消費活動に、厳しい目を向ける必要がある。快適な食生活や便利なITを支える食料資源と鉱物資源が、豊かな自然を犠牲にして成り立っていることを直視しなければならない。これらは倫理的な問題であり、宗教界から言えることだと考える」

――なぜ、宗教界には言えると考えますか。

 「資本主義社会で普通の生活を送っていると、目先のことしか考えず、快楽だけを追求してしまう。一方で宗教は、儀式や聖典、教義を通じ、世代を超えて記憶を継承できる。蓄積された知恵を未来に転じ、先々まで考える力を与えてくれるポテンシャルがある」
 「現代人は『自分が生きている間は何とか持ちこたえるだろう。後のことは知らない』という思考をする。宗教界がそこを超えて何ができるかを問題提起すれば、元の形とは違う社会を構想できる」

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