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冤罪は人道問題…宗教者も協力を 鴨志田祐美弁護士

※文化時報2021年6月24日号の掲載記事です。

 無実を訴える人たちの裁判をやり直す再審=用語解説=を支援する鴨志田祐美弁護士(58)が今春、京都で再スタートを切った。龍谷大学などの研究者と共に再審制度の改革を国に迫り、弁護団事務局長を務める大崎事件=用語解説=では悲願の再審無罪を目指す。「冤罪は究極の人道問題」と語り、ヒューマニズムを貫く町医者のような熱血弁護士は、心ある宗教者の協力に期待を寄せている。(主筆 小野木康雄)

知的障害ある弟と重なり

 《大崎事件の原口アヤ子さん(94)は、捜査段階や公判中だけでなく、殺人罪などで服役した後も一貫して無罪を主張してきた。逮捕から42年。気の遠くなるような歳月が過ぎてもなお、再審への扉は開きそうで開かない》

――大崎事件の弁護団事務局長として、原口さんの再審無罪を求めておられます。事件の特徴を教えてください。

 「アヤ子さんは、一度も自白していません。警察・検察と裁判所は、共犯者とされた3人から搾り取った自白で、アヤ子さんを有罪にしました。しかも、その3人には知的障害があった。取り調べで責め立てて『はい』と言わせたことは、容易に想像できます」

 「私には、知的障害がある3歳年下の弟がいます。知的障害のある人たちは、怒られるのが嫌だから、相手に喜んでもらえるからという理由で『はい』と言ってしまう傾向があります。事件記録を初めて読んだ時は、怒りに震えました」

――鹿児島で弁護士になり、すぐ弁護団に加わりました。

 「司法修習生の時に鹿児島で実務研修を受けたのですが、たまたま志布志事件=用語解説=を検察、弁護、裁判所の全ての立場で見る機会を得ました。やってもいない人が簡単に自白に追い込まれ、冤罪が作られる恐ろしさを目の当たりにしました」

 「弁護団に入り、アヤ子さんと初めてお会いしたとき、疑いようもない冤罪被害者だと確信しました。一見すると普通のおばあちゃんなのに、事件のことを話し出すと止まらなかった。すごい勢いで無実を訴えるんです。まるで口から炎が出るのが見えるようで…。再審無罪を勝ち取るまで、私も闘わなければならないと心に誓いました」

仏教都市・鎌倉で育つ

 《目の前で困っている人を救いたいと、常に思ってきた。「最後の最後は、ヒューマニズム」と題したコラムを新聞に書いたこともある》

――ご自身のヒューマニズムは、どのように培われたのでしょうか。

 「鎌倉で過ごした10代の経験が大きかったと思います。弟がいたことで多くの知的障害者と接しましたし、親友の父親は北朝鮮籍でした。伯父はハンセン病療養所にいました。理由のない差別に苦しむ人が、身近にいたのです」

鴨志田弁護士・中面メイン・著書をめくる

ベレー帽がトレードマーク。鹿児島では有名人で、見知らぬ人からよく激励されるという

 「でも当時は、そうした苦境を訴えても誰にも相手にしてもらえなかった。そこで、自分の意見を周囲が聞いてくれるような、発言力のある人間になりたい、と考えるようになりました。私は当事者にはなれない。でも、代わりに声を上げられる。明治時代、弁護士は『代言人』と呼ばれていましたが、まさにあの時の思いが今につながっています」

――鎌倉の風土も、人格形成に影響しましたか。

 「そうですね。鎌倉在住の大学教員らによる市民大学『鎌倉・市民アカデミア』の事務局に父がいたので、講義を受けさせてもらっていたことも、人権感覚や権力に抗う今のスタンスにつながったと思います」

 「それと大きかったのが、お寺の存在でした。母校の鎌倉市立第一中学校は、浄土宗大本山光明寺の敷地内にあり、毎日山門をくぐって通学していました。鎌倉五山をはじめ、さまざまなお寺を訪ねました。多感な時期に仏教精神に触れたことも、血肉となりました」

40歳で司法試験合格

 《早稲田大学法学部に進学したが、すんなり弁護士になれたわけではなく、挫折を経験した。司法試験に合格したのは40歳という遅咲きでもある》

――弁護士になるまでは、何をされてきたのですか。

 「大学卒業後に司法試験合格を目指していました。母親の家に住みながら、3年だけという約束で、朝から晩まで受験勉強しました。しかし合格できず、部屋の白い壁に渦巻き模様が浮かぶのが見えて限界を感じ、諦めて東京で就職しました」

 「職場結婚した夫と1991年に鹿児島へIターンして、息子を出産しました。家事と仕事をこなしながら、脳がさび付かないようにと勉強して、宅地建物取引主任者(現・宅地建物取引士)と社会保険労務士、行政書士の試験に合格しました。そして、息子が小学3年生になり、子育てがひと息ついたところで、司法試験に再挑戦したのです」

――勉強は順調に進みましたか。

 「1日の勉強時間は午後11時からせいぜい3時間。12年間もブランクがありましたし、いつか受かればいいなと、気軽にやっていました。それが良かったのか、3年目に合格しました」

再審無罪を美談にするな

 《大崎事件の再審請求を巡る闘いの記録を、著書『大崎事件と私~アヤ子と祐美の40年』(LABO)にまとめ、今年3月に出版した。分かりやすい表現と親しみやすいエピソードで再審制度の不条理をあぶり出し、なぜ原口さんが救われずにいるのかという切なる思いを全697ページにぶつけた》

――著書の中に、「われわれは、再審弁護という終身刑に処せられているようなものだ」と語る弁護士が登場します。再審無罪を勝ち取ることがいかに困難かを物語る例えだと感じました。

 「どの冤罪事件も、再審無罪になるまで何十年もかかっており、大げさな比喩ではないと思います。大崎事件も、2019年に最高裁が再審開始決定を取り消して第3次請求を強制終了させたのに、なお弁護団は立ち上がったわけですから、並大抵ではありません」

 「問題は、再審弁護を終身刑にしてはいけない、ということなんです。職人技のある弁護士が、たまたまリベラルな裁判官に当たって、やっと無実の罪が晴れるような再審制度であっていいわけがない。再審無罪が弁護士の美談であってはならないのです」

――制度を変えなければならない、と。

 「過去に再審無罪となった冤罪事件は、捜査・公判の徹底的な検証と、再審制度へのフィードバックができませんでした。そのことが、繰り返される冤罪と制度不備につながってきたのだと思えてなりません」

中面・鴨志田弁護士記者会見

大崎事件第4次再審請求で鑑定医への尋問後、記者会見に臨む(左から
3人目)=6月10 日、鹿児島市内(弁護団提供)

ヒューマニズムは負けない

《今春、鹿児島県弁護士会から京都弁護士会に登録替えし、拠点を京都に移した。再審制度の改正を求める活動で上京する機会が増えたため、東京と鹿児島の中間にある京都を選んだのだが、19年に大崎事件の第3次再再審請求が棄却された後の私生活の変化も影響した》

――著書では19年以降、大変な状況に直面したことを明かしています。

 「高齢の母が転倒事故で右足を骨折し、入院して認知症が進行しました。鹿児島の事務所で事務長をしてくれていた夫は、ステージ4の大腸がんが見つかり、手術を受けました。そして、私自身が鬱病になりました。そうしたことが重なって、事務所を閉めることにしました」

 「まさに坂道を転げ落ちるようでしたが、これまでの活動で知り合ったさまざまな方々が、手を差し伸べてくださいました。そのおかげで、アヤ子さんの再審無罪と再審制度の改正を目指して、京都で再スタートを切る決断ができたのです」

――「もう再起不能かもしれない」という声をあちこちで耳にした、とも書きました。

 「第3次請求の時、最高裁の調査官に手紙を出したんですね。『人』としてどう向き合うかを考えるべき時ではないか、と。最後は肩書を超えた人間の部分に賭けたかったんです。それが、完膚なきまでにたたきのめされた。結論で負けたことはもちろんですが、最高裁にヒューマニズムが通じなかったことが、一番のショックでした」

 「『最後の最後は、ヒューマニズム』と題したコラムを新聞に書かせていただいたのは、弁護士3年目の頃でした。当時はまだ、甘く考えていたのかもしれません。それでも、こんな目に遭っても、自分は変わらないでいたいと思います」

鴨志田弁護士・中面サブ・花

京都の事務所玄関で。移籍を祝う花がたくさん寄せられていた

事件を知って、励ましを

――宗教者には、何を期待しますか。

 「『大崎事件は人権ではなく人道の問題として伝えなければならない』と語ったジャーナリストがいました。だとするなら、人を救い、幸せにできる宗教者の出番だと思います」

 「まず、事件を知っていただきたい。『ひどい』と思ってくださるなら、檀家・門徒の方々に、説法や法話を通じて伝えてほしい。すると、世論に影響します。世論は法律を変えられます。何より、宗教界には発言力があります」

――これまで冤罪被害者に寄り添う宗教者は、そう多くはいませんでした。

 「全ての人が救われなければならないのに、無実の罪で処罰されていい訳がないですよね。冤罪は、真犯人を取り逃がしているという意味でも不正義ですし、宗教者の方々には黙っていてほしくありません」

 「冤罪被害者は、孤独です。『命の限りに無実を叫んでも、分かってくれないのか』という思いを抱えて生きている人たちです。弁護士では救えない。支援者の存在が大きいのはもちろんですが、立ち上がる力を与え、励ますことを、宗教者にやっていただきたいのです」

――宗教者は、どこにアクセスすれば情報を得られますか。

 「映画監督の周防正行さんらが共同代表を務める市民団体『再審法改正をめざす市民の会』(https://rain-saishin.org/) には研究者やジャーナリストも参加しており、ウェブセミナーの動画がホームページで公開されています。『冤罪犠牲者の会』(https://enzai.org/) も積極的に活動しています。熱心に取り組む地方の団体もありますので、ぜひさまざまな所に参加してくださることを願います」

鴨志田弁護士・1面サブ

 鴨志田祐美(かもしだ・ゆみ)1962(昭和37)年、鹿児島市生まれ。神奈川県横浜市・鎌倉市育ち。早稲田大学法学部卒。会社員、結婚、出産、予備校講師を経て、2002(平成14)年に40 歳で司法試験合格。鹿児島で弁護士登録し、今年4月に京都で登録替えした。早稲田リーガルコモンズ法律事務所京都オフィス所属。「落ち着いたら京都でもお寺巡りを始めたい」という。

【用語解説】再審
 有罪判決を受けた人が、判決の誤りを理由に裁判のやり直しを求める制度。やり直すかどうかを決める「再審請求」の手続きと、やり直し裁判に当たる「再審公判」の2段階で行われる。無実の人を救済する最後にして唯一の手段でありながら、裁判官の裁量に左右されるため長期化することが多く、刑事訴訟法の関連条文が70年以上も改正されていないなどの問題点がある。

【用語解説】大崎事件
 1979(昭和54)年10月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年
3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁で審理が行われている。

【用語解説】志布志事件
 2003年4月の鹿児島県議選で同県志布志市の住民13人が公職選挙法違反容疑で逮捕・起訴され、途中で死去した1人を除く12人全員の無罪が確定した冤罪事件。県警の違法な取り調べが問題となった。

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