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【東日本大震災10年】宗教者、なぜ支える 果てなき支援

※文化時報2021年3月1日号1、3面の掲載記事です。

 東日本大震災は11日、発生から10年を迎える。復興が進むにつれて被災地の地域格差は広がり、宗教者たちは取り残されそうになる人々を、休みなく支えてきた。一方、新型コロナウイルスの影響で対面の活動は停滞せざるを得ず、10年を区切りとして支援を見直す教団もある。今も、そしてこれからも宗教者に求められる支援とは何か。長く活動を続けてきた人々と共に考えたい。

一緒に生きる者として、共に祈る

 「あれから10年。一人一人が復興のお役に立てるよう力を尽くし、若い世代に震災を語り継がねばならない」。2月14日、北野天満宮(京都市上京区)の拝殿で神職が語り掛けると、京都府内に避難している5人がうなずいた。

 5人を引率したのは、「神主さんと京の社を巡ろうの会」の代表を務める神職、金田伊代さん(38)。2011年10月ごろから、当時奉職していた御香宮神社(京都市伏見区)などで避難者支援を続けてきた。

 氏子地域の団地に被災者らが続々と県外避難してきたことを知り、何かできないかと、神社の行事に参加してもらうとともに、避難者同士で交流する場を設けた。祭典への参列や正式参拝の後、避難者たちが晴れやかな表情になるのを見て、神社の力を実感。14年2月に会を立ち上げてからは多い年で年10回ほど、ほかの社寺も巡っている。

 ピーク時に千人以上いた京都府への県外避難者は、1月末現在で162世帯339人まで減った。さまざまな団体が行っていた支援は下火となり、コロナ禍が追い打ちをかけている。社寺巡りは昨年、3回に減ったという。

 それでも、なぜ続けるのか。

 北野天満宮を訪れた前日、福島・宮城両県で最大震度6強の地震が発生。避難者にも動揺が広がった。福島県郡山市から夫と共に避難している榊美子さん(68)は、居ても立ってもいられず、先に1人で上賀茂神社(京都市北区)を参拝してから参加し、「ささやかでも、他の人たちの心の平和を祈りたい」と語った。

 会には、避難者もそうでない人も参加する。生かされていることに日々の感謝をささげることが祈りならば、避難者もそうでない人も、神の前では同じではないのか。金田さんは「この時代を一緒に生きる者として、共に祈りたい」と話す。

境内を巡る避難者

神職の案内で境内を巡る東日本大震災の県外避難者たち=2月14日、北野天満宮

世俗から離れ、死後を引き受ける

 「10年で避難者の生活再建が進んだ。コロナ禍で人と会えず、強制的に自分自身や活動と向き合わなければならない機会が増えた。正直、疲れを感じる」

 震災直後から京都府内の避難者支援を続けてきた浄土真宗本願寺派僧侶の大塚茜さん(42)は話す。

 大塚さんは、宮城県石巻市で子育て支援を行うとともに、NPO法人「和なごみ」を立ち上げ、避難者の就労支援拠点や相談窓口として京都市内に開設した「キッチンNagomi」の運営を手掛けてきた。

 相談人数は徐々に減少。現在は5、6人になった。コロナ禍もあって事業の見直しが必要となり、昨年11月には避難者支援を切り離し、困窮家庭を支える一般社団法人「なごみ」を設立した。4月から地域の小学校の保護者グループと連携し、子どもたちの居場所づくりにも取り組む。

 「避難者支援で分かったのは、あらゆる分野があることだった」。貧困、母子家庭、引きこもり。相談窓口に蓄積されたノウハウを、避難者以外にも活用する。「平時に何とか暮らせていた人が、被災するとあっという間に生活が立ちいかなくなる。日頃からしんどい状況にある人の手助けをしたい」

 コロナ下で起きた昨年7月の豪雨災害は、現地に赴いて直接、被災者を支援することの難しさが課題となった。宗教者には何ができて、何をすべきなのか模索する段階だと言える。

 一方で、変わらないこともある。

 地元との縁を切って独居を余儀なくされた避難者は「これで安心して死ねる」と言った。緊急連絡先として大塚さんの電話番号を書き、誰にでも分かるように冷蔵庫に張ったからだという。別の避難者は、西本願寺が「被災された方にお見舞い申し上げます」と掲げ続けたことに「安心した」と語った。

 世俗から離れ、何百年間も変わらない確かなもの。あるいは、死後を引き受けてくれる存在。宗教は、そうした安心感を提供できる。

 大塚さんは「避難者は、生きる指針を欲しがる人が多い。それを示すのが、宗教者ではないか」と話した。

現世と結ぶ読経の尊さ

 浄土宗正明寺(堺市堺区)の森俊英住職(58)は毎年3月、宮城県を訪問している。南三陸町の歌津漁港から漁船に乗って回向を行い、石巻市で被災者の話を傾聴するためだ。

 泥かきのボランティアをしていた2011年5月、東日本大震災が発生した午後2時46分になると、被災者らが丘の上で海に向かって手を合わせていたのを見た。「海岸から回向するのではなく、沖合に出て読経したい」。海に近づけない人も、宗教者と一緒なら行けるかもしれないと考えた。

 7月上旬、遺族や大本山百萬遍知恩寺布教師会の僧侶有志らと、船に乗り込んだ。読経していると、漁をしていた漁船が周囲に集まり、漁師らが共に手を合わせた。以降は毎年訪問し、船上回向を行っている。

 「大切な人を亡くし、遺族はどうしようもない思いを抱えている。亡くなった方と現世を結ぶ読経が、いかに尊いか。10年たってもつらい思いが消えることはない」

果てなき支援1 回向

南三陸沖で回向する浄土宗僧侶ら

 真言宗御室派薬園寺(奈良県大和郡山市)の北野宥範住職(55)は、震災直後の11年3月末に入った宮城県東松島市の宮戸島をはじめ、震災でつながった東北の人々との交流を続けてきた。今年も3月に慰霊行脚と慰霊法要を現地で営む。

 二實(にじつ)修験道の代表者だった北野住職は「復興に10年はかかる」との考えから、「共に未来へ」を標榜する広域災害支援隊「二實」を立ち上げた。仲間と手分けしながら東北3県の遺体安置所を巡り、最後は腐臭の取れない衣を脱ぎ捨て読経したという。

 宮戸島は、人口千人にも満たない小さな島だが、他地域から避難してきた人たちを受け入れていた。北野住職は、大和郡山市が本場の金魚すくい大会を現地で実施。入賞した親子を大和郡山市に招き、行政同士の交流や協力を橋渡しした。

 縁あって13年に蓮臺寺(仙台市太白区)を譲り受け、大本山として真言宗護國派を立ち上げた北野住職。現在は管長を務める。「被災者から一番聞く声は『来てほしい』。観光でも出張でも、とにかく現地を訪れてほしい」と話している。

見えない不安と限りない命

 福島第1原子力発電所事故の問題を抱える福島県の復興は、宮城県や岩手県などに比べて緒に就いたばかりだ。

 「被害に遭って苦しむ人は、裁判を起こさざるを得ない。高いハードルだが、それを一緒に越えるのが寄り添うということではないのか」

 真宗大谷派光円寺(兵庫県市川町)の衆徒・坊守、後藤由美子さん(63)は「子ども脱被ばく裁判」を支える会の西日本事務局を担当する。

 裁判は原発事故を受け、避難者を含む延べ約200人が国や福島県などを相手に起こした。第1次提訴は2014年8月。この頃が、被災者支援の転機だったという。

 11年夏、後藤さんは宗派の「夏休み子どもの集い」と山陽教区の有志が行う保養事業に協力。福島の小学生を2泊3日で自坊に預かった。それ以降も保養事業を続けてきたが、あるジレンマを抱えるようになった。

 被ばくへの関心が高く、情報に敏感な親でないと、子どもは保養に出られない。放射能から子どもを守るという本来の目的を、同調圧力によって公言できなくなっている。「隠れ気にしたん」と自嘲する造語まで生まれた。

 そうした折に、裁判を通じて闘う人々がいることを知った。「声を上げる人の味方になり、『一緒に闘おう』と言えないと、本当の支援にはならない」

 活動の原点は「無量寿」。限りない命を体現する阿弥陀仏への信仰だ。原発事故で人間は、自然界にない放射能を放出し、家畜たちを置き去りにするなど衆生の命を犠牲にしたことで、深い罪を背負った。

 その罪から誰一人逃れられず、他の命への責任があるのだという地平まで下りたとき、人間は初めて分断を乗り越えられるのではないか。被害者と加害者、支援される側とする側という立場を超えられるのではないか―。後藤さんは、そう考えている。

 「放射能は、見えない。だから積極的に危険性を見ようとしないと、被害も見えなくなる」。自分が安全地帯にいると思い込むことで、現実を直視しないのが問題の本質なのだという。

 「子ども脱被ばく裁判」で福島地裁は3月1日、判決を言い渡す。後藤さんは支援者の一人として現地に赴き、結果を見届けるという。「原告の方々の苦しみが、私たちの生き方に影響を与えるようにしなければならない」と語った。

後藤由美子さん

「子ども脱被ばく裁判」を支援する後藤由美子さん
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