見出し画像

校舎に背を向ける理由 旧大川小「竹あかり」

※文化時報2022年3月25日号の掲載記事です。

 東日本大震災から11年を迎えた11日、児童74人と教職員10人が犠牲となった宮城県石巻市の旧大川小学校では、発生時刻の午後2時46分に遺族らが黙禱(もくとう)をささげた。夕刻には、犠牲者と同じ数の84本の竹灯籠に明かりをともす追悼行事「大川竹あかり」が初めて行われた。

 追悼行事の実行委員長を務めた佐藤和隆さん(55)は、小学6年だった三男の雄樹さん(当時12)を津波で亡くした。「震災の記憶を次の世代につなげるため、できることを考えた。今後、恒例の行事になれば」と語る。

 旧大川小学校は昨年7月、被災状況や教訓を後世に伝える震災遺構として整備された。旧校舎西側の広場にはこの日、高さ約5メートルのオブジェが置かれ、84本の竹灯籠を取り囲むように並べて、発光ダイオード(LED)で点灯させた。仙台市在住の女性(56)は「幻想的な雰囲気。ずっと忘れない」と話した。

祈りつなぐ僧侶――浄土宗大忍寺・福井住職

 午後2時46分に多くの人々が旧校舎に向かって黙禱する中、建物を背にして祈りをささげる僧侶がいた。佐藤さんの同級生で、浄土宗大忍寺の福井孝幸住職(55)。毎年3月11日にこの地を訪れており、「祈りを絶やしてはいけない」と前を見据える。

 同3時過ぎには、旧大川小の慰霊碑前で、浄土宗などの僧侶の有志3人と共に追悼法要を営んだ。檀信徒ら十数人と、居合わせた人たちが手を合わせた。

東日本大震災法要

福井住職ら僧侶の有志が営んだ追悼法要=3月11日午後3時過ぎ、宮城県石巻市の旧大川小学校

 大忍寺は、旧大川小が面する北上川沿いの県道30号線を、西へ約5㌔行った所にある。創建は安土桃山時代で、大化の改新が行われた1300年前、天武天皇の病気平癒のために彫られたとされる薬師如来像が伝わる。

 福井住職は、高校1年の長男と共に石巻市の市街地で被災した。境内は津波の被害を免れたものの、檀家20人以上が亡くなった。当初は旧大川小への慰霊訪問を躊躇(ちゅうちょ)したものの、長谷川匡俊・淑徳大学学長(当時)に「悩んでいるのだったら、行きましょう」と背中を押され、5月初めに旧大川小を訪問した。

 2011年はそれから毎日、旧大川小で供養を続けた。当初は調理器具のボウルを線香台として使っていたが、何ができるのかと苦悩する日々を送る中で、せめて供養する場を整えようと、旧校舎近くに慰霊碑を建てた。超宗派による合同法要にも参加し、3年目からは自坊でも発生日の朝に法要を始めた。

 新型コロナウイルスの影響で合同法要が中止となる中、旧大川小が震災遺構として整備されたことに伴い、慰霊碑は30メートルほど離れた場所に移された。

 福井住職は「慰霊碑に向かって供養するには、旧校舎から背を向けなければならないのが気掛かり」と悔やむ。「自治体の追悼行事も、発生10年を境に縮小傾向にある。記憶の風化に拍車が掛かるが、宗教者としてできることをしたい」と話した。(高田京介)

【サポートのお願い✨】
 いつも記事をお読みいただき、ありがとうございます。

 私たちは宗教専門紙「文化時報」を週2回発行する新聞社です。なるべく多くの方々に記事を読んでもらえるよう、どんどんnoteにアップしていきたいと考えています。

 新聞には「十取材して一書く」という金言があります。いかに良質な情報を多く集められるかで、記事の良しあしが決まる、という意味です。コストがそれなりにかかるのです。

 しかし、「インターネットの記事は無料だ」という風習が根付いた結果、手間暇をかけない質の悪い記事やフェイクニュースがはびこっている、という悲しい実態があります。

 無理のない範囲で結構です。サポートしていただけないでしょうか。いただければいただいた分、良質な記事をお届けいたします。

 よろしくお願いいたします。


サポートをいただければ、より充実した新聞記事をお届けできます。よろしくお願いいたします<m(__)m>