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学術会議 宗教界も対応を

 ※文化時報2020年10月17日号の社説「学術会議 宗教界も対応を」の全文です。

 菅義偉首相が日本学術会議の推薦した会員候補者6人を任命しなかった問題が波紋を広げている。さまざまな団体が抗議声明を出す中、日本宗教学会理事会が7日、6人のすみやかな任命を求める声明を出した。

 6人にはキリスト教学を専門とする芦名定道京都大学大学院教授が含まれている。宗教界にとっても、ひとごとでないのは明らかだ。何らかの対応を打ち出すべきである。

 日本学術会議は先の大戦での学者による戦争協力の反省に立ち、1949年に設立された。国の組織だが、政府から独立して職務に当たる「特別の機関」であり、政策提言や国際活動、科学者間ネットワークの構築などを行う。「学者の国会」と呼ばれるゆえんだ。

 会員は、日本学術会議法に基づいて「優れた研究または業績がある科学者」から同会議が候補者を選考し、首相に推薦する。推薦に基づいて、首相が任命することも明記されている。だが、菅首相は候補者105人のうち、6人の任命を拒んだ。

 問題は、6人が政権に批判的な立場を取っていることを理由にした「恣意的な任命拒否」なのではないか、との疑念を抱かせている点にある。6人は、安全保障関連法の制定など安倍政権の主要施策に反対してきたからだ。

 菅首相は内閣記者会のインタビューに、今回の一件が「学問の自由とは全く関係ない」と述べたという。だが、結果として政権が忖度を求め、自由な研究活動を妨げているのなら、憲法23条に定められた学問の自由に反するのではないか。

 宗教界がこの問題に敏感であってほしいのは、憲法20条の信教の自由とも重なり合うからである。

 学問の自由も信教の自由も、内面の精神活動に関する「精神的自由権」だ。もしも信教の自由が脅かされる事態なら、宗教界は黙っていないだろう。日本学術会議のような「特別の機関」こそ宗教界には見当たらないが、学問の自由を信教の自由に置き換えて想像すれば、権力が内心に踏み込むことの恐ろしさが分かる。

 日本学術会議が立脚する戦争協力の過去を直視しなければならないのは、宗教界も同じである。任命されなかった6人には、戦争反対への使命感を持つ人もいるようだ。なおさら擁護する動きがあっていい。

 今回の事態をきっかけに、日本学術会議の役割や組織の在り方も問われている。学問の自由とは切り分けるべき問題だが、限られた学者が閉ざされた場で特権意識を基に物事を決めているのなら、公金が投じられる機関として見直しは避けられないだろう。

 政府は科学に基づいた冷静な批判を受けてこそ、建設的な政策や制度設計に取り組める。そのためには、学者たちが忌憚なく意見を述べ合える環境整備が必要だ。宗教・宗派の違いを超えて協力し合う宗教界には、多様性を認める土壌がある。助言できる点があるかもしれない。

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