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5W1Hも要素は要らない / なにを だれと が刻む人生

大きな出来事なのに あまり憶えていないこと、
小さな事象なのに深く刻印され 記憶に刻まれたものがある

ことの大きさ と記憶の深浅有無は同調しない

人の記憶ってのはけっこうアテにならないらしい
2日前の夕食メニューすら スーっと出てこないときが多いのだ

意図的に関連するものを挿むことで刻まれるのだという


5W1H なんて大量の要素は要らないのではないかな
何を誰と で人生は刻まれている

日本人ってのは26コの文字の組み合わせで生活しているわけではない

誰と があれば他の情報も引っ張り出されてくるのだと思う
心情、加えて互いの心象風景すらも引き出しに仕舞われるのではないだろうか


即位の礼が無事終えた
母と2人 自宅で15時のパレード開始を待った

14時55分テレビの目と鼻の先で 母は正座をする

元年11月10日、元号から1が並ぶ前日 の午後 このシーンは忘れることなく済みそうだ

新元号スタートは妹が母と一緒に迎えたい と帰宅していた

元号発表は 40名強全社の集いがあり同じ空間に居た
そこでの新元号を聞くことになる
テレビで官房長官が掲げたフレームと番組のワイプが重なったことを知るのは2日後だったかな

一連の行事が どのようなカタチで記憶に残るのだろう

スカイツリーの建築過程は親父の逝去後 母との築地本願寺への参拝の動線が重なる

数年前 3.11 午後の揺れから社外への避難した同僚たち、帰宅を選ばず夜を明かした面々

十数年前 9.11 国立に構えた叔母の店で終電過ぎてまで後輩とくだらない呑み明かしの最中
ヘリコプター がビルに衝突したらしい とのあやふやな伝聞速報にあれこれ馬鹿話しを膨らませる
翌朝 とんでもなく大ごとだったことを知る
明け方まで呑み明かしたこのシーンがなければ大ニュースとの関わりは浅くなり、近くに誰がいた時代の出来事なのか記憶の書き換えが起きたかもしれない

平成スタート、直後の2000年ミレニアム 21世紀スタートの幕開け
当時つるんでいた同僚と呑み歩いていたのだろうが決定的なシーンがない のである

スルーしてしまった出来事
すべてを自粛ムード に飲み込ませた時間もあろう 

崩御と即位 を意図的に重ねない思考は理解を得る


小学生まで遡るとプロ野球が手助けする
王選手の756号本塁打は小学高学年の出来事だ

消費税導入、地下鉄サリン、阪神淡路震災、Jリーグ開幕
自分が健忘症でははいか と疑うほど、出来事の大きさ と自分の生活とのリンクの薄さ を再認識するのである


多忙や無興味、関わりの薄さや個人差 で即位の礼を経た改元元年をスルーしないで欲しい

なにも無かった1年 は避ける

だれと を挿み記憶に残すのだ


感情と思考に支配される人間 を不憫に思い遣ってくれているかのように草花樹々は自らの魅力を等身大で表現する

まぁまぁ くよくよするなよ
大丈夫 大丈夫
よかったね!
きみは悪くないさ

こんな心地よい声をかけてくれるから人々は植物と自然を求めるのだろう

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広島県庄原市 |フウキテイ|  は中国地方でも珍しい多肉植物、エアープランツと雑貨の専門店。

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『toujours jardin,fûkitei(トゥージュール ジャルダン フウキテイ)』

|いつも身近にあるお庭|という意味を持つ。

更地への基礎、ブロック塀積みからスタッフが手作りし、ヨーロッパ片田舎にあるおうちのイメージを表現。 広島県近郊の方はナチュラルなガーデン雑貨や寄せ植え、お庭作りの参考に是非お出かけいただきたい。


改元元年 noteを始めた
noteが動いた

noterさんのネームが令和元年を象徴することになりそうである

あといくつか 記憶に残るものが欲しい

5年、10年 と色褪せることのないシーンが


そこには だれと が必須なのである



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