手紙 を再認識した3枚の便箋 / 上質な石鹸の泡のように細胞に深く届いたもの
webやメールでは伝わらない|行間|と背景
数年会っていない親の兄弟のことをよく考える。
十数年会っていない親戚もいる。
幼少のころ可愛がってもらった記憶が、自分形成に大きな役割を果たしていたことを日に日に実感しているのだ。
日常の飲みや集まりでのふるまいに参考にしていたり、反面教師にしたり。
自分の年齢が増すと同時に20、30 と足されているのである。
10歳からの30歳も大きいが、50歳からの70歳もとても大きいのである。
90歳、80歳の愛しきおじさん、おばさんは体調の問題が大きくなっている。
去年、伺おうと電話した際、体調が優れないので、とやんわり来訪を断られてしまった。
同県の親戚から旦那さんの方は認知的な心配があると聞いていた。
今年は寄れるのだろうか。
事前に母が電話をかけた。
昨年は奥さんの方も脚の調子が悪く日常生活が不便であり申し訳なかった と。
2週間後の帰福の際、訪問予定を取り付けた。
認知的な心配もあり訪問当日にも再度、電話することにした。
3日後、とつぜん手紙が届いた。
便箋3枚にびっしり収まっている。
しっかりとした毅然とした縦文字。
涙が出そうだった。
ぜんぜん元気なのだ。
昨年訪問できなかったことに対するお詫びから始まって、ここ数年の体調。
自筆の文字には背景が見える。
こういうの も行間 と呼称するのであろうか。
活字以前から|行間|はあるのだから。これこそ行間なのだろう。
プロや優れた書き手は言葉選びや技で行間を読ませるという。
キーボードや活字で損なわれるデメリットがありながらも行間を駆使するのは至難の業であろう。
ケータイ小説 に行間があったらスゴイ と思う。
叔父叔母世代はメールやラインも打てる人も多い。
が、伝える手段として自筆の構成、そこにかかる時間経過が必要なのだろう。
そして受け取り、読み、理解し書き手を思うのに手紙の行間がもたらす効果はプロや優れた書き手を凌ぐことを再認識した。
プチバズリした代筆屋の小説もあったな。
元気である、心配無用、会えるのを楽しみにしています という内容。
メールで受け取るのとは異なり沁みるのである。
手紙用とでもいおうか、量販している太めのボールペンだろう。
文字の大きさやハネ、はらい、留め、節と節の空間。
ウルっときた自分自身に驚いた。
類似がすぐに思い付いた。
子供の手紙 である。
子供の文字 は最強なのだ。
大人に満面の笑みをもたらす事象では東の横綱。
ときにドキっとさせられるホラーも含み、読み手の満足度NO.1を明け渡したことはない。
祖母の家=石けん という連想が自分にはある。
大きなプラスチックタンクから垂れ出るボディソープは自分は好みではない。
詰め替え用へ消費はシフトしているがエコではないだろう。
ガソリンのように、中身だけ買える時代が来るのは何年後だろうか。
上質な石鹸の泡は自筆の手紙のように身体の隅々、細胞の隅々まで深く届く。
KOSHIBAせっけん
兵庫県の持ち山で採掘した岩石を粉砕・精製した国産クレイが原料。
肌の潤いを保ちつつ、ケアなの汚れまですっきり洗い上げるため、角質層すみずみにまで美容成分を届ける。
時代とともに変わりゆくものばかりである。
若い世代には石けんを使用したことのない方もいるのではないだろうか。
ハンドソープとボディソープが当たり前のような錯覚。
懐かしいもの は新しいもの だったりする。
細かい泡が細胞レベルまで届いているような気持ち良さは爽快なのである。
改元元年である。
手紙ブームが突然やってくるような気がする。
消費増税に関わる料金値上げに負けずに。
今年は先輩方へ自筆の手紙を添えて石けんを贈ろう。
時代錯誤のようなタイムラグを経て封書で届く返事を愉しみに。
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