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#ぐるグル21 あなたにとって「家族」とは?(1/25・火)開催

イベント概要

開催日:2022年1月28日(金)19:30〜21:30
テーマ: 『あなたにとって「家族」とは?』
ご参加いただいた人数:12名(うち主催3名)
開催場所:オンライン(Zoom)
企画:清水健人、清水万尋、鈴木弘樹

会の流れ

・ぐるグルの概要説明/自己紹介
・“家族”というテーマについて(鈴木)
・会を開催した背景/自分が“家族”で考えていること(清水健)
・フリートーク

この会を企画した背景には、清水(健)自身のもやもやがありました。
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「家族」の在り方は多様で、「家族」がどのような存在なのかは人それぞれです。
一方で、家族が閉鎖的なコミュニティーであることは、共通しているのではないでしょうか。世間話で家族のちょっとしたことは話すけど、深い話はしない、そういう方は多いと思います。

家族は閉鎖的だからこそ、そこで起こる幸せも不幸も、家族だけで背負っている気がします。私自身、家族のモヤモヤを一人で抱えていて、そういった気持ちを誰かとシェアして気持ちが楽になったり、解決のヒントを得られる場が欲しいと思っていました。また、「家族」って何だろう?という疑問があるので、それの自分なりの答えを見つけたいと思っています。
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参加者の方とこのもやもやを共有したのちに、フリートークへと移って行きました。

こんな話になりました

・子どもで生まれてきたときは家族を選べないが、大人になると家族は選べるしつくれる。
・家族もあくまで社会の中の小さな範囲。
・家族には危うさもあるし、大事さもある。
・社会性がある場所にもかかわらず、治外法権的なところを感じる。
・本当の家族だけではなく、家族のような見えないあたたかさを感じる、オープンでいられる場所のくくりが広がっていけばいい。
・自分が幼い頃は父が家族から孤立していた。
・家族は変化していく。
・「わたし」と「わたしの家族(家)」には隔たりがある。
・一緒にいるんだけれど、通じ合っていない感じがある。ピンチな時は協力的であるけれど、ちょっとビジネスライクで付き合っている。
・見えない良さ悪さがある。家族なりの伝統がある。
・家族の中での役割意識が強いように感じる。
・親と子のやりとりと、人と人としてのやりとりが違うように感じる。
・家族は誰がつくっているのか。自分の場合には、父親の判断が絶対だった。
・家族は両親がつくるもので、自分がつくるものとは考えたことがなかった・
・友人関係よりも強い繋がりを感じる。
・家族について深く考えていなかった。
・家屋について考えまくっていた。細かいルールまで定められていて反発した。
・親が完璧じゃないとわかる瞬間が来た時、気持ちが楽になった。
・家族では演者にならなきゃいけない感覚がある。
・一緒に共有することの価値はある。夫婦は他人。時間を共にすることは大事。
・自分の子どもは飛び出すだけ飛び出してほしいと思っている。よくやった!と褒めるようにしている。
・ともに暮らすってとても大事。暮らしのルールをともにつくっていける。
・色々なことがあるのが正解ではないだろうか。
・今日の話を聞いていて、それぞれの方が何かしら家族のバランスを取ろうとしているように感じる。人間がそこまでして守りたいものなのだと感じた。
・家族の決め事を一人で決めなきゃいけないのがとてもしんどい。
・シングルで育てている人がこの場にいたらまた違った意見が出ていただろう。
・家族を選ばない人もいる。
・家庭以外のバランスがあるといい。親と子だけではなく一人間として扱われる場所。
・それぞれの話を聞いて、自分とは別物の家族を想像して精一杯だった。
・自分にとって家族とはなんなのか、考えたい。
・今日のような話を自分の親と話してみたいと思った。
・自分の家庭は親が仲が悪く、兄弟が作っていた。
・家族以外のもどってくる場所があると、いい。


会を終えて(鈴木)

 企画3人で打ち合わせした時にもじっくり話したのだけれど、その時は親と自分という関係性が中心で、親側の立場から家族を見る人の話を聞けたことがとても新鮮だった。自分もいつか家族をつくる側にまわることがあるかもしれないし、シェアハウスに住んでいるので、広義の意味での「家族」は今もつくっていると言えるかもしれない。

 自分はどんな家族をつくりたいのかを考えるきっかけになった。人と人との関係であるし、生き物のように絶えず変化していくものだとは思うけれど、それでも自分がどのような形を望んでいるか、豊かだと感じる関係性が育めるのか、想像していくことは大事なんだろうと思う。自分が暮らしたい「社会」や「まち」を考えるのと同じように、「家族」も。それぞれの人の家族の話をじっくり聞くことはあまりない。豊かな時間だった。

会を終えて(清水万尋)

自分について深く考えるほどに、今の自分の性格や感性、価値観の大部分が家庭の中で形づくられたものなのだと感じ、それを誇りに思っていた。そして、私を構成するいくつもの要素のうち、清水家の一員であると言う要素は全体の一定の部分を占めており、それは今後も変わることがないのだろうと考えていた。

 今回の会の中で、何度か自分の家族について話す場面があった。
 ただそれは、自分について語っている時とは全く違う感覚であることに途中で気が付き、戸惑った。私はあくまで「清水家」を紹介しているのにすぎないのだと理解をし、参加者の方が「家族という人格が、自分とは別に存在している」という趣旨の発言をしてくださり強く共感した。

 この戸惑いが、これまで考えたことのなかった、自分と家族との距離や関係性について考える機会となった。
 家族とは「=自分」だろうか、単に「所属する先」だろうか。もしくは、「親が提供してくれていたもの」だろうか、「長女として自分がつくってきたもの」だろうか。

 家族という概念が自分から切り離された時、家族とは何であるか、自分とは何であるか。
 この会を開催し、これまでに出会ったことのない問いに出会えたことが嬉しく、ぐるぐると安心して考え続けられる場所がここにあることも同時に嬉しく感じた。

ご参加くださったみなさま、ありがとうございました!

(文責:鈴木)

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