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届け! トンボハンドブック

Author:尾園 暁(写真家)

キラキラと宝石のように輝く複眼に、大空を自由に飛びまわる透き通った4枚の翅、スマートな体型に赤、青、黄色など変化に富んだ美しい色模様……。トンボの魅力を挙げるとすれば、まずはこのあたりでしょうか。
日本はかつて「秋津洲(あきつしま)」と呼ばれたほど、トンボとは深い縁のある国でもあります。稲作が盛んだったこともあり、古より日本人にとってトンボは身近な存在でもあったのでしょう。現在、世界には約6,000 種のトンボが知られていて、日本からは206種類(2024年4月現在)が記録されています。

そんなトンボの図鑑といえば、おかげさまで『ネイチャーガイド 日本のトンボ改訂版』(尾園暁・川島逸郎・二橋亮 著/文一総合出版)が評価をいただいていますが、その情報量の多さからくる厚みや重さから、野外への持ち出しを躊躇する声も少なからずあったのも事実です。

今回の『トンボハンドブック』では、携帯性を高めるのはもちろんのこと、『ネイチャーガイド 日本のトンボ改訂版』の単なるダウンサイジングや焼き直しではなく、新たな要素を取り入れて「フィールドで本当に使いやすいトンボ図鑑!」を作ることを目指しました。
掲載種は既刊の『ヤゴハンドブック』と同じく120種類。両書を合わせて利用することで、本州で見られる日本産トンボ類については、幼虫も成虫もほぼすべて調べられるようになりました。また『トンボハンドブック』では新たにビニールカバーを標準装備し、トンボ観察で訪れることの多い水辺でも、あるいは急な雨でも(小雨程度なら)安心して使える本になったのは大きな進歩と言えそうです。

これはまさに僕自身が欲しかったフィールド図鑑の実現で、特に初心者の頃にこの本があったらなぁ!と思うものができました。具体的には生時の色を保った標本写真をベースとし、分布域や見られる時期、生息環境、生活史、そして重要になってくる類似種(よく似た種類)まで記載しています。

 ベテランでも意外と「あれ、この種類はどっちだ?」と迷うことがあるので、そうした場合にしっかりと確認、同定できる調べやすさと情報の正確性を確保しました。手軽さと正確さの一致は、図鑑作りにおいては簡単なようでいて難しいポイントなのです。
結果として本書は、初心者からベテラン、研究者に至るまで、どの層にも使いやすいハンディ図鑑となりました。日頃の散歩や撮影のお供としてはもちろんのこと、自然観察会やビオトープ作りにおいてトンボを調べる機会には最適な一冊になったのではないかと自負しています。

大きさ・環境・見た目の特徴で科を絞り込む表(トンボハンドブックより)

特に実用面では、日本を代表するトンボ研究者である二橋亮さんによって、本書の精細な標本写真を活かした使いやすい検索表ができました。
「色と形」「大きさ・環境・見た目の特徴」で科まで、さらに各科やグループごとに種まで調べられる検索表がついています。さらに二橋さんにはトンボの長距離移動や本州でごく稀に見つかるトンボについてのコラムも書いていただきました。分類学上の知見についても、二橋さんの監修を受けて最新の情報を掲載しています。

ヤンマ科の検索表(トンボハンドブックより)

本書の大きな特徴である鮮明な標本写真は、生きたまま、あるいは死んだ直後のトンボを撮影し、できる限り生時の色で載せるよう努めました。各種とも雌雄+未成熟な雄(これは一部)の横向き写真に加え、オスについては新たに背面から見た展翅状態の写真を加え、どの角度からでも同定できるように実用性を高めています。いずれの標本写真も本書のために新規に撮影したものが多く、従来の図鑑よりはるかに高精細な図版になっています。

標本撮影用のトンボの収集にあたってはできるだけ自分で採集するように努めましたが、産地が限られるものや出現時期の関係で自分で採集できなかったものについては、日頃から懇意にさせていただいている各地のトンボ屋さん(愛好家、研究者の皆さん)にメールやSNSを通じて「トンボ収集リスト」を撮影状況に応じて更新しながら数年にわたって何度もお送りし、リストに載ったトンボを送ってもらえるようお願いしていました(巻末に協力者のお名前が載っています)。

ちなみに採集されたトンボは高温下や蒸れた状態ではすぐに死んでしまうため、常温のまま送ろうとしても到着までに死んで腐敗がはじまり、ひどく変色して撮影に使えない状態になることがあります。これを防ぐためには採集したその日か翌日には宅配の「冷蔵便」で送らなければならず、採集から梱包、発送に至るまで協力者の皆さんには大変なご苦労をおかけしました。これだけ手間をかけても種類によっては生きているうちから変色が始まるものもあり、何度も繰り返し送っていただくこともありました。

ルリイトトンボ♂の展翅写真(トンボハンドブックより)

採集してきたり送られてきたトンボは、生きていれば冷蔵庫で数日保管もできますが、死んでいるとすぐに撮影しなければいけません。そうしたトンボは撮影台の上で整形・固定して撮影するのですが、この作業は1頭あたり短くても15〜20分かかり、展翅状態にして撮影するには1時間以上かかることもあります。天候や時期によっては多くのトンボが各地から一斉に届き、撮影するものが多くてほとんど睡眠が取れない日が続いたり、予定していた取材ができなくなる日もありました。

こうしていろんな方々の多大な協力と少しの犠牲?があってはじめて鮮明な標本写真を掲載することができたのです(各地への遠征費や着払いで送っていただくトンボの送料もかなりのものでした……)。せっかくなので標本写真は隅々までじっくりご覧ください。

検索表と類似種の部位拡大写真により、
サナエトンボ科の識別もできる(トンボハンドブックより)

また本書の大きなこだわりのひとつに、頭部や腹部の先端など、各部位の拡大写真があります。従来は別のページにまとめて掲載されることが多かったのですが、ページをまたいで行き来しなければならないためにどうしても使いにくい面がありました。
このハンドブックでは種ごとのページに拡大写真を入れたことで、より無駄なく簡潔に細部を確認でき、特に近似種との区別がしやすくなっています。加えて細部の形態についての解説もできるだけ詳しく記述しました。これらの情報量は本格的な図鑑をも凌駕するもので、この小さなハンドブックサイズでは考えられないくらいの情報密度となっています。

結果として文字が小さくなり、僕を含む老眼進行勢?にはややつらい面もありますが、従来難しいと言われることの多かった、イトトンボ類やサナエトンボ類の同定もはかどるのではないでしょうか。ただしこうした区別点はごく小さな部位になることが多いので、野外においては双眼鏡やルーペの使用、あるいはマクロレンズ、望遠レンズをつけたカメラでの撮影確認を推奨します。 

オナガサナエの産卵(トンボハンドブックより)

文字が小さくなったのと同じ理由で各種の生態写真が小さくなっていますが、こちらもできるだけ近年撮影した新作から種ごとの特徴をとらえた一枚を選びました。キャプション(写真解説)については尾園が長年の観察で得た知見をベースに、各種の特徴的な生態、行動について簡潔に記述しています。また、そろわなかった写真についてはトンボ生態写真のエキスパートの方々にお願いし、お借りしたものを掲載させていただきました(そうした写真には撮影者のお名前を入れています)。

最後になりますが、遅々として作業の進まない著者を企画段階からやさしく見守りつつ、必要なときにはしっかり的確なコメント、アドバイスをくださった文一総合出版の編集者、志水謙祐さん(いろんな本でお世話になっています)、ご多忙の中、監修を引き受けてくださった二橋亮さん、そして制作に協力してくださったトンボ屋の皆さんに心から御礼申し上げます。特にこれからのトンボ研究を担う20〜30代の若手トンボ屋さん方にも積極的にご協力いただけたのはうれしい経験でした。

こうして多くのこだわりと情熱によって生まれた本書が、一人でも多くの方の手元に届き、「こんなにきれいなトンボがいるの!?」とか「こんな環境にはきっとこのトンボいるはず……」など、トンボへの興味や関心をかき立てるきっかけになれば、これほどうれしいことはありません。
そしていつか本書の内容や収録種に物足りなくなったなら、そのときは『ネイチャーガイド 日本のトンボ改訂版』の出番です。

ようこそ、トンボ沼の入口へ……。

Author Profile
尾園 暁

1976年大阪府生まれ。神奈川県在住の昆虫写真家。日本自然科学写真協会(SSP)会員、日本トンボ学会編集幹事。著書に『ネイチャーガイド 日本のトンボ改訂版』(文一総合出版)、『くらべてわかる トンボ』(山と溪谷社)など。日々の活動を綴るブログ「湘南むし日記」は毎日更新中。

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