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間に合わなかった芽生えはこれでした。『田んぼと水辺でみられる植物の芽生えハンドブック』のウラで

印刷を翌週に控えた土曜日。著者浅井先生からメールが入りました。

「コウキヤガラが芽を出していて、実生(みしょう)の写真が撮れました。」

印刷に先立ち、写真の色調などを確認する色校正という作業があります。その作業を終え、修正部分の再確認が残るだけの段階でした。

コウキヤガラは、「塊茎(かいけい)」という球根を散らし、そこから次々と芽を出して増え、田んぼに入れば除草のむずかしい雑草になります。花もたくさん咲いて、実もよくなっているのですが、たねから発芽した実生を見る機会はほとんどありません。田んぼで見られるのは、ほぼ球根から出て来る「萌芽(ほうが)」です。たねを採ってきてまいても発芽してくれず、野外での見分けに利用する機会はほぼないとあって、昨年の秋の時点で、実生の掲載を見送る決断をしていました。なのに……。
めったに見られない実生、出てくれたなら収録したい。というわけで、滑り込み追加と相成りました。『田んぼや水辺でみられる植物の芽生えハンドブック』99ページに、最初からそこにあったような顔をしてしれっと載っている小さい写真ですが、なかなか貴重なカットなのです。二つ並んだかわいらしい実生、どうぞ、本を開いて見てやって下さい。

球根(塊茎)から出てきたコウキヤガラの萌芽。
花期のコウキヤガラ。

浅井先生は『身近な雑草の芽生えハンドブック』①、②の著者でもあります。この2冊に収録した芽生え写真は、先生自身が野外の植物からたねを採ってきてまき、発芽させて撮影されたものです。この2冊に収録した植物のうち、春になってから芽を出す「夏生」の植物は、採ってきたたねを湿った土に混ぜて冷蔵庫でしばらく寝かせて「冬」を経験させ、そのあとにまくと、順調に発芽してくれました。
ところが、『田んぼや水辺でみられる植物の芽生えハンドブック』に収録しようとたねを集めた植物では、出てくれない種がいくつもあったそうです。冷蔵庫の冬に反応して発芽してくれた植物が大半ではあったのですが、先生の印象に残っているのはやはり、そんな苦労させられた植物たち。

コウキヤガラはその一つで、冷蔵庫で経験する「冬」の期間をいろいろ変えてみるなどしたものの、どうしても発芽しなかったので、野外に放置しておいたら発芽しました。
悔しかったのは、コウキヤガラ発芽の報から2週間たって、印刷が終了し製本を待っている間に「昨日からミクリ(74ページ)が発芽しています」というお知らせをいただいたこと。ミクリも、やっぱり実生はめったに見られない植物です。出るならもっと早く出てくれればよかったのに!

ミクリの実生。

むずかしかった種がたてつづけに発芽したのはなぜでしょう。
どんなところで発芽していたかを教えていただきました。
コウキヤガラは乾いた土の上で。
ミクリは、この本のための「たねまき→撮影」の仕事が終わったので、冷蔵庫のたねを整理したときに、ただ捨てるのがちょっとかわいそうになって、ミニトマトが入っていたカップに、水と一緒に入れておいたら発芽した。
ほかのたねの多くが発芽した、発芽用のプランター(実際はイチゴパックなど)ではなかったそうなのです。

どうやら、ほかの多くの植物の発芽にとって有効だった「湿った土の中で経験する冬」は、コウキヤガラやミクリにとっては発芽の引き金を引く条件にはならず、逆に「まだいい場所にたどりついていない」という信号になってしまったようです。
本作りのための撮影が終わり、冷蔵庫を出されて移動した先で、適した環境に出会うことができたので、発芽したということなのでしょう。

ミクリのたねは水に浮きます。そして、浮かんだ状態で発芽していました。
植物のたねになったつもりで考えてみます。
本に載せた写真で見ていただけるように、実生はとても小さい。大きな親の傍らでは、競争に負けてしまうでしょう。だとしたら、離れた場所に移動するほうが、生き残る確率は高まるはずです。たねの形も、その種の生き方を推理する手がかりになるのですね。

原寸大の芽生え一覧。ページ両端の目盛りは1mm。
右ページ下方にあるコウキヤガラの萌芽と実生のサイズの違いにご注目。

キショウブ(71ページ)のたねは,平べったくて水に浮きます。このキショウブも、実生をあきらめた種のひとつなのですが、もしかすると同じように、水に浮かべてあげると、発芽してくれるのかもしれません。

キショウブのたね。
キショウブ。

発芽率が低いと考えられてきた、クログワイ(94ページ)、シズイ(106ページ)などのカヤツリグサ科の多年草も同じような性質を持っているのでは、と先生は考えているそうです。つまり、発芽率が低いのではなく、実生を見つけられていない。もし実験的に発芽させられれば、その姿を手がかりに、野外で探せるようにもなるのでしょう。

発芽させることができなかったので、自生地で実生を探したものもあります。たとえばゴキヅル(24ページ)では、採集したたねが、冷蔵庫に入れている間に次々と腐ってしまったそうです。自生地の様子などから考えて、この植物はミクリなどとは逆に、浅い水中で発芽しているのではないかと考えているとのこと。

たねを採るのに苦労したのは、ミゾハコベ(23ページ)やアシカキ(115ページ)など。
ミゾハコベは果実そのものが少ないのと、泥の上をはうように生えるので果実をつまみ採るのがむずかしく、どろどろになるわりに「収穫」があがらないそうです。そこでたくさん生えている場所の泥を採ってきて発芽を待ち、撮影に成功しました。

ミゾハコベ。泥に張り付くように生え、実を採集するのは労多くして功少なし。
生えている場所の泥を持ってきて、発芽を待った植物。

アシカキは、たねそのものが見つからない。まず、いつ穂が出るのか、生活パターンがわからない。出ているのを見つけても開花率が低く、群生している場所でも花を見ることがまれなうえ、結実率も低く、いきおいたねも見つかりません。田んぼの畦から中に向けて茎を伸ばす代表的な植物なので、今後も探し続けたいそうです。
ミズタガラシ(33ページ)も結実率が低く、たねは採れませんでした。

たねの保存もむずかしく、乾かしたら死んでしまうもの、ゴキヅルのように湿っていたらだめなもの、さまざまな性質と向き合うことになったそうです。そうした性質もきっと、それぞれの植物の生活と関係したものなのでしょう。ただ、どのような特徴とどんなふうに関係しているのかは、観察してみなければわかりません。

逆に、意外にうまくいったのは、サンショウモ(125ページ)。
秋に、胞子嚢果(ほうしのうか)をつけた植物を採集してきて、水の入った容器に入れておいたら、春に前葉体が発生し、そこから幼植物が育ってくれました。

実生撮影用の発芽床は、ホームセンターでイチゴ用のパックを買ってきたり、
プチトマトが入っていたカップを再利用して調達。
サンショウモはトマトカップで。胞子体が育ちはじめ、
緑色の小さな葉が対生している様子がわかるようになってきたところ。
右寄りに少し大きく見えているのはウキクサの葉。
サンショウモの成植物。育つにつれて葉は三輪生になっていく。

こうして『田んぼや水辺でみられる植物の芽生えハンドブック』ができたので、耕作地、草地、湿地と、人間の手が入る環境に育つ植物の芽生え図鑑が一通り揃いました。特に湿地を扱った『田んぼや水辺』には、田んぼの雑草を数多く収録している浅井先生の著書『植調 雑草大鑑』(発行:全国農村教育協会)でも収録できなかった、いわば本邦初公開の写真を多数収録しています。

田んぼの環境が変わり、かつては身近だった湿地の植物たちを観察する機会も減ってしまいました。でも、少し脚を伸ばせば、郊外の湿地で観察することができる種類もたくさんあります。
一方で、帰化植物に押されて激減してしまっている植物もいます。
残っているもの、消えかけているもの、何が運命を分けるのでしょう。
この本を片手に、考えながら観察してみませんか?


おはなしをうかがったのは……
浅井元朗(あさい・もとあき)さん
1966年、宮城県石巻市生まれ。京都大学博士課程修了。農学博士、技術士(農業・植物保護)。農業・食品産業技術総合研究機構研究職員。著書は『農業と雑草の生態学 侵入植物から遺伝子組換え作物まで』(責任編集・分担執筆)、『身近な雑草の芽生えハンドブック①改訂版』『身近な雑草の芽生えハンドブック②』(以上文一総合出版)、『原色 雑草診断・防除事典』(共編著、農山漁村文化協会)、『植調 雑草大鑑』(全国農村教育協会)など。
twitterではたくさんの雑草マニアと交流中。https://twitter.com/@asaimotoaki
勤務先では動画も作成。春の風物詩ツクシをつくるスギナの、地下生活を調べた動画が妙に好評

編集担当は「畑地にスチームアイロンをかけて雑草を減らす機械」が好き。


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