とまれ

【短文】順応への挑戦~演劇「精肉」を見て~

≪何を演じているのか≫

 自分にはどうしようもないことに対して――そしてありえたはずのもう一つの自分の人生が手に届かないことに対して――鬱屈としていた発電所に閉じ込められた人々は、これらの絶望を遺物に転化させていることに長けている。

 すなわち、これから待ち受ける搾取と必然的な殺害に満ちた絶望的な未来をすでに自分のあり方として遺物化させ、そのあり方にのせて「ありえた自分像」を永遠に演じているのだ。

 それゆえにこの演劇のモチーフに対する視線は、現在の姿に対する自虐に限るべきではない。不可能性を過去におしやり、現在への徹底した順応を垣間見ることができるのである。


≪何に挑戦すべきか≫

 発電所は人々から搾取を行い必然的な殺害へ導く奴隷制を発動させるが、その名実は発電によってドアの外にある世界の電力を支える社会的正義である。

 閉じ込められた人々と社会における交換関係は、支えあいを社会的正義にすりかえるうえ、――その意味で「One for all. All for one.」は正義の遵守をよびかける言葉である――彼らへ社会的疎外をもたらす装置となる。

 しかし、その体制からもたらされる、閉じ込められた人々の個性(またはキャラクター)は果たして豊かになるだろうか。その問いは、演劇、そして創作が向き合うべき挑戦を示していると思う。


著:タンタル

経営学徒だが、社会学・文学・哲学・サブカルチャーまで手を出している。主な著作に、評論「Charles×タンタル往復書簡 ~映画『楽園追放-Expelled from Paradise-』について~」(2014年秋フリーペーパー)、「ファッションにおける「差異と同一化」の考察」(『文/芸』Vol.8)。

謝辞:立教大学 劇団しどろもどろ のみなさんには楽しい時間を過ごさせていただきました。この場で感謝申し上げます。

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