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コレクションとはキュレーションである

自分が今まで集めてきたカメラやレンズを改めて見直してみるというのはとてもいいことである。いろんなタイプのカメラやレンズを買ったり、手放したりしてきたのだが、その現時点での総括ということになるのだろう。
というのも、先日現代美術を扱う老舗のギャラリー代表とお話しする機会があったからである。そして改めてモノをコレクションするというのはどういうことなのかをつらつらと考えたのだ。
アートのコレクターについていうならば、今はこれが流行っている、投資価値が高い、注目されている作品や作家だからということで、その方向性でどんどんコレクションしていく人がいる。このあたりはアマチュアコレクターなんだろうなー。
もう一つは自分の好みを考えながら、ポリシーを立てたり、自分の身の回りに置いていいのかなー、気持ちいいのかなー、を考えながらコレクションしていく人もいる。ちゃんと考えているのだ。
アートのコレクターというのは、自分がコレクションしていく作品によって、自分自身を表現しているのである。こういう作品を持っている人間はどういう人間なのか?すなわちコレクションとは自分の好みによって作品をキュレーションしていることになるのである。
書籍もそうだ。その人の家の本棚を眺めると、その人の頭の中が透けて見える。画集や写真集の背表紙を眺めながら、この人はこんな嗜好を持っているのか、というのが浮かび上がってくる。音楽のコレクションもそうである。
それはまたカメラやレンズであっても同じことである。

いままで自分のフィルム系カメラ&レンズコレクションについて時々書いてきたけれど、その大まかなポリシーはこんなところだろう。
・ちゃんと使えて、撮影ができること。するとフィルムの供給に苦労しない35mmになってしまうが。
・できるだけコンパクトであること。軽いこと、かさばらないこと。いつでもどこでもカバンの中に放り込んで、できるだけ持ち歩きたいから。
・傷や汚れを気にせず、普段使いできること。高価なレンズなどまっぴらである。
・珍しいものであること。珍ブランド、迷玉レンズなど。
・汎用性、拡張性があること。特にレンズマウントで。するとレンジファインダー機ではL39。一眼レフではM42となる。
・デジタル機でもフルサイズなら、アダプターを介して、フィルム用のレンズが使用できるのだ。

結局のところ、自分とカメラ&レンズの関係性をどう考えるか、カメラやレンズ、写真とはその人にとって何なんだ?ということを常に考えるべきなのだ。どんな写真を撮って、写真や映像とどのようなかかわりを自分が持とうとしているのかを考えるのである。
ライカだからいい、ニコンだからいい、キャノンだからいい、最新鋭機種だからいい、高価だからいい、みんながほめているからいい、じゃああなた自身はどう考えているのかが全くない、まったく考えていないのである。メーカーのマーケティングにフラフラと踊らされているだけの、どうしようもないドシロウトである。
それは生き方や装いにもいえることなのだ。
全身シャネルの泉ピン子をファッショナブルだと言えるか?全身アルマーニのタケシをセンスがあると言えるか?かれらはファッショニスタですらないのである。みっともないだけだ。
生きるということに、もっともっとセンスを発揮してほしいのである。カメラやレンズ選びにもっともっと粋な価値観を持ち込んでほしいのである。それが出来ないのなら、出来る限りすみやかに「写真よ、さようなら」してほしいのだ。

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