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坂の上の雲を知らなくて



正岡子規と夏目漱石の関係は深い。漱石と言う名前は、正岡子規のペンネームの1つ「漱石」を譲り受けたことで「夏目漱石」と名乗るようになる。学生時代に東京で知り合った二人は、松山市の下宿「愚陀仏庵」で52日間、一緒に暮らしたこともあったそうだ。

そういえば、NHKが総力と日本にいるすべての俳優をかき集めたような大型ドラマ『坂の上の雲』でも、正岡子規がメインだが、夏目漱石も登場する。

松山出身の秋山好古・真之兄弟と正岡子規たちの青春群像を渾身(こんしん)の力で書き上げた壮大な司馬遼太郎原作者の物語だ。新人、中堅、ベテラン俳優が登場する中で、海老名出身の若手俳優が出たので印象深かった。

何よりも、渡辺謙のナレーションが痺れる。

『まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。小さなといえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。』

『彼らは、明治という時代人の体質で、前をのみ見つめながら歩く。
登っていく坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を登ってゆくであろう。』(NHK 坂の上の雲より)


ついこの間まで、ちょんまげを結い、刀を刺し、着物を着ていた野蛮人が、西洋式の軍隊を作り、大国ロシアと戦うと言う馬鹿げたことを真面目にやって退けてしまった。

しかも、四国の山猿が、メインで登場する。漫画のような話だ。正常な頭なら、やるはずの無い事を平然とやってしまう彼らの脳味噌をみたい。

正岡子規の病床のシーンばかりが目に焼き付いている。そこまでして、俳句を変革したた姿に現代人として、敬服する。この勝利で、調子に乗っちゃった軍人達が、精神論を掲げて挑んだ太平洋戦争は、まるでドンキホーテそのもの。

同級生四人と市議選に立候補した俳優イケメン議員の話をしていた。

「あの子、テレビに出てたんだって、凄いね。なんか、NHKのドラマらしいよ。女房が言っていた」
と一緒にいた織田安正が口を挟んだ。

「日露戦争のころの話らしいね。」と前田美希が加わり、太平洋戦争の話に矛先が変わった瞬間、
「未だに、アメリカが唯一勝利した国家日本は、様々な意味で、属国に甘んじているのよ」と酔うと学生運動をしていた美希が熱弁を振った。

「確かに、完敗だから、アメリカに全部従うのは、仕方ないよ」と織田が反論する。
「もし、間違って勝つちゃったらどうなっていたんだろうね」
無口な寺田保人が、無茶な案を出してきた。
安さで売りの大衆酒場『なか屋』で、中学生時代の同級生の四人で呑んでいた。生ビールから、ハイボールに切り替え、美希は、日本酒に変えていた。

「日本が勝っていたら、独裁国家になっていたかもね。しかも、軍事国家に」と私が強烈な答えを返したものだから、誰もこの話題について、話さなくなった。

小皿が小さく、ちょっとずつ来るので、やたらとツマミを頼む。モツ煮込み、コンビーフは缶詰のまま、もろきゅう、めざし、下足炊焼、揚出豆腐、冷やしトマト、肉じゃが、たこウィンナー、一口揚餃子、カキフライ、串カツ、アジフライ、ひれかつもどき、塩らっきょう、紅ショウガ天ぷら、こぶチーズとメニューの殆どを食べた。

「歳を取ると、サッパリしたものが食べたくなる」沈黙を破ったたのは、織田だった。
「お茶漬けとか、漬け物とか、味噌汁とかね」美希が話に乗っかって来た。
「自分で作れるといいんだが、女房頼りでね」と寺田が嘆かわしいと言わんばかりに告白した。
「家庭料理は、ここで食べればいいさ」と織田が言う。

それでも一万円ちょっとでいける。

明治時代とは、大違いである。呑んで食って、クダを巻く。何処からか?太平洋戦争の話になってしまった。一番の問題は、誰もテレビドラマを観ていなかったことにある。

私は三部作のどれだか忘れたが、観たことがあった。漱石が新聞社に勤めていた頃のシーンだったと思う。渡辺謙のナレーションだけが、鮮烈に覚えているだけだ。

酔いに任せて、夜が深まり、地元ではといえども、散り散りに分かれた。もう一軒行きたい気分だったが、これくらいが酔った気分のままで眠れる。

漱石と子規の関係のように、最後まで突き合える仲間がいただけでも幸せだと思った夜だった。

子規34歳、漱石49歳で死亡。人生の半分で死んだ二人。我々四人は、もっともっと楽しまなければならないと思ってしまった。


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