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若き人への伝言 人を愛せよ

憧れの大先生であったリルケ『若き詩人への手紙』と言う本があった。もう50年も経っているので、かなり傷んだ古い文庫本だ。「久美堂」のブックカバーの付いて文庫本は、「どうもこの文庫本は、60円だった。1970年の頃、それが驚きだ。」と謙也は、自分の仕事部屋で振り返っていた。もう50年の月日が経っている。蝋を浸透させたパラフィン紙が表紙に被せてあった。「当時はこんな感じだった」のかと謙也は感心してしまった。

高潔で高みを目指したオーストリアの詩人、ライナー・マリア・リルケと若き詩人、フランツ・クサーファ・カプスとの往復書簡は、完璧なものだった。残念ながら、相手のカプスはリルケの助言にも関わらず、ベルリンの絵入り週刊新聞の大衆小説を書いていたと言う残念な結果に終わった。謙也がどんなに感受性豊かで、リルケを好きだったかを綴った文がある。

『愛するリルケ』

私の手にとまつておくれ
私の心を温めておくれ
お前のその唇から
ほとばしでる
詩によって
私にも空を飛ばしておくれ
お前の空に飛ばしておくれ
昭和46年6月19日記

謙也はこの本の表紙裏に書いていた。「作詩の多くが、パリやロンドンから生まれた中、敢えてドイツ語のリルケを選んでいた青春時代。なんとも不思議だが、天邪鬼な私らしいと笑ってしまう。」と思っていた。

「ライナー・マリア・リルケは、オーストリアの詩人、作家。シュテファン・ゲオルゲ、フーゴ・フォン・ホーフマンスタールとともに時代を代表するドイツ語詩人として知られる。 プラハに生まれ、プラハ大学、ミュンヘン大学などに学び、早くから詩を発表し始める。 」とウィキペディアに書いてあったのを確認した。

本には、「私たちが運命と呼ぶものが、人間の内部から出てくるものであって、外から人間の中へ入ってくるものではないということも次第次第に認識するようになるでしょう」や「あなたを苦しめるすべてのことに関して、耐え忍ぶだけの忍耐と、信ずるための十分な単純さとを、自分自身に内部に見出して下さるようにという希望です」という箇所にアンダーラインが引かれていた。

やたらとアンダーラインが引かれていた。謙也は、真剣にリルケの言葉を読み、自分の言い聞かせていたようだ。「若き詩人への手紙」は、一人の青年が直面した生死、孤独、恋愛、創作などへの純粋な苦悩に対して書いた真面目な助言だから、全ての若者に共通した点が多いと謙也は思っていた。今は、むしろ、若者たちに助言する立場である。

オーストリア人は、内向的、真面目な人が多く、綺麗好きで、節約の意識が強いらしい。そんな点も日本人の謙也が好きな点かもしれないと思った。リルケを愛した青春時代。もうその情熱も失せている謙也は、久々に昔の恋人に遭ったような不思議な感じがした。「そんな時代もあったね」と心の言葉を発した夜だった。


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