ほしおさなえ『カントリー・ロード』
今日も本を読む。
「あの日、あの駅で。 駅小説アンソロジー」(集英社オレンジ文庫、2020)所収、ほしおさなえ著、『カントリー・ロード』。
文庫にして70ページほどの短編。すぐ読めてしまうが、私の心の奥底に触れるものがあった。
主人公は、中学生の少女「ののか」。
学校生活は順調。だんだん世の中のことが見えてくる年ごろだ。
大学教授の祖父が亡くなり、祖母が一戸建てからマンションに引っ越すこととなったため、その片付けに母と向かう。
大学教授ともなれば、おびただしい数の蔵書がある。お弟子さんなども現れ、片付けの作業もちょっとしたイベントのようになる。
その中でののかが覚えるさみしさは、祖父と祖母の家がなくなってしまうさみしさだ。
そんな中で、ののかと母との関係もえがかれる。
母は大学の非常勤講師をしながらののかを育てるパワフルな女性。愚痴ることもなく、前のめりで仕事をこなす、私からすれば少し不器用に映るひとだ。
物語にはほとんど登場しないが、ののかの父もいるのだから、うまく頼ればいいのに、と思ってしまう。
そんな母を、ののかは客観的にみつめる。
実家の片付けから帰り、「わたし、なんのためにこんなことしてるんだろう」とぼやく母に、ののかは、また母のマイナス思考がはじまったな、と思う。
「(感情を)溜めこむだけ溜めこんでいるので、いったん漏れ出すとじわじわとあふれてくる。人のことを責めない代わりに自分を責める。キリがない」とののかは考える。
母のぼやきには、その真面目さと、父(ののかの祖父)と違い一流の研究者になれなかった自分へのコンプレックスも含まれている。
難しいな、と思う。
ののかの母は、ここでののかに甘えている。自分を認めてほしい、と思っている。ののかもそれをわかっている。わかる年齢になっているのだ。
「じゃあさ、お母さんはどうなれば満足なの?」
ののかは自分の母にそうまで訊く。いらいらしながら。
母は自分のもやもやの本質の一端を、そこでようやく悟る。
私もこんな時期があった。ただ、母との心理的な距離が近すぎて、ここまで突き放すことはできなかった。それが幼さだったんだな、と今ならわかる。
母の気持ちが理解できるようになってきたのは、ごく最近のことだ。
難しいのだ。適切なタイミングに、適切なアドバイスができれば、一番いいのに、そうはいかないのが人生というもの。
振り返れば、そうして失ってしまったひとや場所が、どれだけあるか。
ののかは、母と向き合って、腐らずに支えようと奮闘する。母が実家に忘れてきた、思い出が詰まった荷物を、ひとりきりで持って帰るという役割を担う。
いつも、母と一緒だった道を、電車を乗り換えながら移動する。「ちょっとした旅行」気分である。
無事祖母の家にたどり着き、荷物を見つけ、最後に空っぽになった家を見てまわる。
「だれでもできることはかぎられていて、あきらめなきゃいけないこともある」
そう人生について思いをめぐらす、中学生のののか。
「どこにたどり着くかわからないまま、一歩ずつ進んでいくしかない」
ののか、母、祖母。
三世代みんなの気持ちを全部理解できるようになるには、まだ私には時間がかかりそうだ。
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