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ただ生きるために、生きてみませんか

 僕はいわゆるHSPで、人間不信で、死にかけたこともあって、かと言って優れているところは特にない。生きるのがへたくそで、すぐに傷ついて、死にたくなる。それでも生きている。
 僕は人生に意味なんて持たなくていいと思うし、目標をもって生きる必要もないし、ただただ生きるために生きることを提案したい。僕はそうして生きている。理由は何個かある。
①どんなに頑張ってもみんな同じように死ぬ
 僕が一度死にかけて、集中治療室で多くの人が亡くなっていくのを見て、「どんなに偉い人も、どんなに家族に恵まれている人も、ある程度苦しんで、そのあと目を閉じて、最後の最後はたった一人暗闇の中で安らかに死ぬんだなあ」と思った。高尚な死に方なんて多分ないし、どんな高尚で素晴らしい生き方をした人でも、最後はみんな似たように死ぬのだと思った。
②生物にとっては生き残ることが一番の目的だ。
 僕たち人類にはいろいろな機能がある、不安感だったり、孤独感だったり、空腹感だったり、幸福感だったり。どれもこれもただ「生き延びるため」についた機能だ(厳密には生き残った人たちにたまたま付いていた機能だ)。 
 村から追い出されずに、仲間たちと安定した生活を送り、外敵や飢餓や病気でなるべく死なないために、生き延びた人たちに(たまたま)備わっていた機能だ。つまり「孤独」「幸福」「家族」という単語に高尚な意味は特になくて、すべては生き延びるための機能だ。そんな単語を意味ありげに求める必要や、噛みしめる必要は特にない。それらを求めて死にたくなる、なんて本末転倒だ。
③どんなにつらくとも寝て起きたら大体そうでもない
 
何百回と死にたい夜があったけれど、そのうちの半分くらいは寝て起きたらなんかどうでもいいことだった。そのうちの4分の1くらいは土日を迎えたらどうでもよくなっていて、今でも継続して悩んでいることは4~5個くらいだと思う。つまり大体のことが寝たらなんとかなっているから、一時の死にたい感情で死ぬのは少しもったいないと思う。死ななくて良かったなあ、と思う。
他人はあなたに大したことを求めていない
 アクション映画を見ていて、主人公がひょんなことから、追い詰められてしまう。そんなシーンにハラハラドキドキする。そんな映画を見ていて、主人公に対して「もっとちゃんとした仕事したら?友達作ったら?婚活したら?」なんて思わない。「がんばれ!生きのびろ!」それだけだ。そして敵からうまく逃れたり、敵を倒してエンディングを迎えたとき、「おっしゃあ!」と手をぐっと握る。
 そして僕にも少ないながら友人がいるけれど、正直ただただ生きてくれて、そしてたまに会ってお話ができるだけで十分だ。それは自分の兄弟や親にも思っている。何かを成し遂げてほしいとか全く思っていない。
 そして、たまたまこの文章を読んでいる人たちにも、ただただ生きていてほしいと思っている。

 幸せなんかじゃなくてもいい、仕事をしていなくてもいい、人にある程度迷惑をかけていてもいい、病気でもいい。ただただ生きていきましょうよ、生き残ることを目的に、生きてみましょうよ。
 そして今日まで生きてきた自分を褒め称えてあげましょう。ほんと皆さんお疲れ様です。

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