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卒業

高校を卒業した。

正直、まだ実感が湧かない。
週が明ければ、またいつもの日常が戻ってくるような感覚だ。しかし、事実として卒業式に出席し、卒業証書を授与されている。もう高校生に戻ることはない。

後悔の多い3年間だった。
自分の選択が全て間違いだったんじゃないかと思いながら過ごしてきた。
挑戦する覚悟を持てず、逃げて逃げて、やっとの思いで挑んでみれば呆気なく失敗に終わり、どんどん自分に自信が持てなくなっていった。

今思えば、部活を辞めなければよかったし、もっと早く受験勉強を始めていればよかったし、積極的にコミュニティを広げる努力をすればよかった。高校生らしいことを何も出来なかった。

後悔ばかりだけれど、しかし順を追って記憶を辿れば、確かに糧になった経験はあったし、変化もあった。

初めてアルバイトをして、お金をもらった。お小遣いではない、流した汗の対価。しかし、飽き性やコミュ障が災いして何度も飛んでしまったけど。

3年時の文化祭で、バンドを組んで演奏した。
高校生活を代表する、一番の思い出。人見知りで人前に出るようなタイプではない私がこんな経験をできたのは、声をかけてくれて、最後まで支えてくれた仲間のおかげ。本当に感謝でいっぱいだ。
ステージから見た景色、これが高校生活一番の思い出で、一生の宝物。私の人生を物語にするなら、このシーンは絶対に描きたい。

何より成長というか、変化を実感したのは、人間関係による自分の性格だ。
最初の頃はどうしても人の目を気にしてしまっていて、コソコソ話や笑い声が耳に入ってくる度、自分のことを言われているのではないかと思ってしまうほどだった。それに加えて、誰にとってもいい人でありたいという謎の欲求があり、八方美人のような振る舞いをしていた。

誰の記憶にもうっすらと残る程度でいたかった。いっそ忘れてもらえれば本望だ。可もなく不可もなく、いつか思い返した時に笑いものにされるような記憶が残らないように。

そんなことをいつも考えながら臆病に生きていたけれど、高校で出会った友人が私を変わらせてくれた。

その人は、好きなものを堂々と好きと言える人だった。
自分のことを全てひた隠しにして、誰からも非難されないように怯えながら生きてきた私にとって、それは危険な行動であり、私とは真逆の存在だった。しかし、とても羨ましいと思った。
周りの目を気にせず、堂々と自分らしく生きる。それは一部の人間にのみ許された生き方だと思い込んでいたけれど、彼が「お前も自分らしく生きていいんだよ」と態度で教えてくれた気がした。

3年間かけて、「自分」を確立し、前面に押し出す努力を続けた。その変化は目に見えるほど劇的なものではなかったけれど、徐々に徐々に、少しづつでも確かに変わっているんだと実感できた。

自分らしく生きることを羨ましいと思わせてくれたおかげで、自分を見つめ直して、変わる努力をしようと思えた。まだ若干の躊躇はあるけれど、好きなこと、やりたいことに全力を注げるようになった。
世間と比べてしまえばまだまだ。でも、過去の自分と比べればとても大きな変化だ。


今までの選択全てが間違いだったなら、今の自分を否定してしまうことになる。しかし、その選択をしたから出会えた仲間、繋がった縁がある。そして、宝物も見つけることができた。
だから、全てを否定する必要なんかないって今なら思える。後悔と言うよりも、理想が高かっただけなのかもしれないし。


3年間一緒に過ごした友達とは、これから違う道に進む。同じ大学に進学する知り合いは一人もいないから、環境も、交友関係も振り出しからのスタートになる。
大学受験に失敗した今、この道に進むのが正解なのかどうかまだ分からない。だけど、そこで出会えた仲間や環境を大切にして、正解だったと思えるように生きていきたい。


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