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紙を処分しながら、アフターorウィズコロナの生き方を考える。

紙、紙、紙。とにかく紙を処分しまくっている

自粛解除にともない、そろそろ仕事を取りに行かなければ。正直、どんどん腰が重くなっている。今までのようなやり方では、到底無理があるのがわかっているからだ。

しかし考えても考えても、答えが出てこない。
とにかく、今やれることは何でもやっておこう。
というわけで、挫折していた掃除の続きを!!!
遡ること2週間。
こんなことを記していた。

この後、やっと見つけたのだ、理想の収納ボックスを。
これでクローゼットが少しマシになった。

で、そのときからずっとやっていた紙の処分が、まだ終わっていないため、今日も部屋で黙々とやっている 。

前職で長いことスケジュール帳やメモ帳必須だったのと、資料をなんとなく取っておく残念な癖があるため、書棚の奥にそれらが完全に取り残されていた。約15年分のスケジュール帳とメモ帳に慄いてしまった。これらはさすがにこのまま捨てるわけにいかず、破いた紙を小さなシュレッダーに2枚ずつ入れていく。延々と。ひたすらに。あまり長時間やると騒音危害と思われてはマズイと、1日30分ずつに変更。シュレッダーにかけるとゴミとしての紙は膨らむので、まだ全部は終わっていないというのに中サイズのごみ袋ですでに6つになった。


このタイミングで出てきた25年前のノート

作業を溜息まじりにやっていたのだが、ふとスケジュール帳と一緒に出てきた記憶にないノートが目について、手に取った。それは、社会人になってしばらくした頃に書いていたらしい日記のようなものだった。今の住まいに引っ越してくる以前のものなので、捨てずに持ってきたことになる。何か大事なことでも書いているのかもしれないと、シュレッダーを中断して読んでみた。

大事なことはまったく書かれていなかった。しかし、当時の悩みなど鬱々としたことが書かれていた。SNSの無い時代、こうやってノートが吹き溜まりになっていたのか。それにしても、文章がひどい。ひどすぎる。

その中に「私は整理整頓が苦手だ。紙もいつも溜めてしまうし」という一文を発見。このタイミングで見つけてしまった自分に驚きつつ、「ああ、人って何十年経っても変わらないのね」と自虐気味に。

「そこは悩まなくていいぞ。悩んでもその性分は治らないから!」と、25年前の自分に言ってあげたい!!

なんだか紙と一緒に、今までの生き方も処分してしまいたい気分だ。

さて、これからどうする?

「本業、そんなに好きな事でもないような」ってとこまで突きつめつつ(笑)、この外出自粛生活を過ごしてきた。というか、好きなものはいろいろあるので、やれることはあれもこれもやってみようと実は思いはじめていて。複数の仕事を持つことに、自分は違和感が全然ない。むしろ、コロナ不況を経験したので複数仕事を持っていた方が生き延びられると思ったのだが、知人に「本業1本でやらないなんて恥ずかしいし、やる気がないだけだ」と言われて少々驚いている。

そうなのか。

一方で「やってみたらいいやん! また今度どうなったか聞かせて」と面白がってくれたのが、学生時代からの友達だ。正直、自分らしく生きていられたのは彼女らと過ごした4年間だけだった。よくこんな末っ子気質のちゃらんぽらんな自分とずっと友達でいてくれるよなあ、と感謝しかない。幼少期から母に否定ばかりされて生きてきたので、実家を出て、ぶはーっと羽をのばしたところで友達になったのが幸いしている。

しかし社会人になったら、元来の人見知りが災いしてどうにも生きづらくなった。それでもどうにかこうにか、周りの人に合わせて生きてきて現在に至る。私がこのnoteにたどり着いたのは、比較的安心して好きなものや自分のの事が書けるという点が大きい。

noteには、ひょいっと気軽には入って来られないような一枚壁があるイメージ(良くも悪くも)。著名な方々の文章が“おすすめ”として出てくるため、「こんな高尚な文章、自分は書けんわ」と最初は崖の端っこに追いやられた気分だったけれど、もう慣れた。自分は自分で、話しことばで書いていこう、好きに。

そんなわけで、noteを続けることは決めている。仕事のことは、明日も明後日も紙を処分しながら悩むだろう。


*ここは猫と日常とドラマ脳のnoteで、誰かの役に立つことは少ないですが、これからもよろしくお願いします。

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