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面白い人、面白くない人

小学生のころから「面白い人」に憧れてきた。

不思議と友達になる人の中にとっても面白い子がいて、その子がクラスの友達を笑わせている姿に憧れ、嫉妬し、自分も笑いを取りたいとその子の真似をしたりしてなんとか人を笑わせようとした。

そんなこんなで現在22歳。1年のぼっち生活を含めた地獄の中高6年間を経て、ぼくは見事に捻くれた人格を形成し、自分の周りでふざける1軍クラスメイトを「ふんっ、大声出してりゃ笑いをとれると思って」と冷めた目で見る典型的なこじらせstudentとなり果てていた。

とはいえ、自分でいうのもなんだが、お笑いというものを見始め、ユーモアというものを知り、昔と比べれば会話の中で友達を笑わせられることも本当に少しではあるが増えたように思う。

だが、最近街やネットで同世代を見て思うことがある。


”自分は果たして面白い人間の部類なのだろうか”


ぼくが思う面白い人には2種類いる。

1,芸人さんのように面白い本格派タイプ

2,明るくエネルギッシュな陽キャタイプ である。

特に最近気になるのは2の方なのだ。

1に関しては、あまり数が多くないうえ、目指してもなかなかなれるものではない。逆に2の方は、面白いというよりは明るいと言った方が正しいかもしれない、いわゆる”陽キャ”と言われる彼らは、街を歩けばそれっぽい人はすぐ見つかるし、インスタグラムを開けばそこは彼らの巣窟だ。アジトだ。魔境だ。そして何よりぼくが中学生以来忌み嫌って軽蔑してきた存在。それが陽キャ。

ただ最近「実は自分が陽キャをうらやましく思い、自分もあんな風に生きられたらな」と心の奥底では思っていることに気づいてしまった。もし自分が陽キャだったら、文化祭や体育祭、何より普段の生活を友達と共に楽しみ、たくさんの思い出を振り返り、卒業式で先生の話を聞きながら涙して高校を卒業し、コロナ禍だろうが関係なく大学生活を謳歌していたのではないかと感じてしまったし、その方が楽しい人生なのではないかとぼくの友達の中で数少ない陽キャな友達を見て思う。

昨日、渋谷ではハロウィンが開催され、相変わらず若者が騒ぎ散らかしていた。もちろんぼくはコロナも相まって「渋谷なんて行くもんか」と例年通り家で過ごし、ボーっと選挙特番を眺めていた。

しかし考えてみると、友達や同世代から面白い(明るい)と思われる若者はハロウィンに参加している人間なのかもしれない。家でネットを見ながら陽キャに対して嫌味を言っている人間ではなく、友達と渋谷の街へ繰り出しインスタに東京リベンジャーズのマイキーの仮装を投稿する人間なのかもしれない。

はっきり言って、私が1になろうとしてトークなどで笑わせようとしても、おそらく全く面白くない、お笑いに憧れた寒い奴としてしか見られない。ならば、私が目指すべきは2の方なのだ。変なプライドなど捨てて、陽キャとして生まれ変わった方が、この先楽しい人生を送れるのかもしれない。何より。ずっと憧れてきた「面白い人」になれるのかもしれない。

そんなことを考えていた11月の始め、読んでいただきありがとうございます。


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