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人生の岐路に立っている自覚がない就活生の戯言

どうしたもんか...


今年3月、就職活動が本格的に始まった。自分も20社ほど、いやそれ以上エントリーしたかと思うが、当然(?)志望度の高いところからはほとんど祈られている。全く、笑えるぜ!HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!!!!!!!!!!!!

こんなことを言うのもあれだけど、正直、自分が就活生だという自覚がない。もしかしたら多くの就活生がそうなのかもしれないが、人生の岐路に立っているという実感がまるでない。
コロナの影響もあるのだろう。特に自分だと、2年間一度たりともキャンパスに立ち入ることなく、毎日パソコンと1,2時間程度向き合う日々を過ごしただけで、オンライン授業の恩恵か、不相応に評価の高い単位を、無表情で積み上げてきた。そのため、おこがましい話かもしれないが、気持ちとしてはいまだ大学2年生なのだ。おこがましい話だけど。

ただそれ以上に深刻なことがある。
自分が企業で働けるはずがないという確信だ。

いくつもの業界があって、いくつもの職種がある。だが僕からしてみれば、会社で働くということそのものに良い印象がない。いや、できるはずがないと言った方が正しい。

僕のような能無しスキルなしの文系人間が企業に雇ってもらうとなると、素直に意見を聞く社畜適正◎の営業ソルジャーとして売り出すしかないのだが、豆腐メンタルなくせにプライドだけは高いうんこ系男子の僕には営業なんてまず無理で、数字や人間関係に襲われたらひとたまりもない。
そんな思いで面接してるもんだから、あいにく人事の大好物である「ボランティア」「留学」「リーダー経験」エピソードは持ち合わせていない僕は、苦し紛れの協調性ありますよエピソードや、好きでやっていた語学の資格の話をした挙句、たいていの場合「ありがとうございます」の一言でシャットアウトされるという作業をこなすだけなのだ。ちなみに何がありがとうなのかはいまだに分からない。

余談だが、面接における、就活生側が話す一方な状況もあまり好きではない。自分がこれまで何をして来たのか、どういう考えを持っているのか、自分の思想や思考について根掘り葉掘り聞かれ、時にはプライベートなどの立ち入った話を、その日、しかも5分前にあったばかりの無愛想おじさんたちへ赤裸々に暴露する。それだけ身を削ったお返しが、テンプレートが書かれたお祈りメール一通なのだから、就活生だってそりゃ病むに決まってますわな。
入社させてくださいと懇願しているこちら側が立場的には圧倒的に弱いことなど重々承知でも、見ず知らずのおじさんに自分のことを話すのはあまり気持ちのいいものではないし、率直に言えば恥ずかしくて屈辱的だ。(これは単に僕がプライド高いせいだとおもうけど)

まあここまで読んでくだされば分かったと思うが、とにかく僕は会社に入ろうが入るまいが、そもそも生きることに適していない、時代が時代であれば、間引きされているような人種なのだ。たちが悪いのは、そうやって自分で自分の性質を分析しているくせに、違う生き方をしようとする勇気もなく、まっとうな人間として存在しようと抗う卑しさだ。いい加減、自分はダメ人間としての自覚をもち、慎ましく生きる努力をするべきなのに!!!


先日、ダチョウ倶楽部の上島竜平に対するコメントの中で、たけしがこんなことを言っていた。

「自分はもう人生どうでもいいやと思って芸人になった」

これだと思った。これこそが、自分が至るべき境地だと思った。
僕はまだ、自分の未来に未練がある。親より一日でも長く生きられれば、40で野垂れ死んでも構わないと考えているつもりなのに、どこかで周りと同じように会社で何十年と働き、定年後は年金をもらいながら穏やかに生きる。そんな未来に期待してしまっている。
自分の人生を賭けて、大博打に出る。当たればラッキーだし、当たらなけりゃ道端で野垂れ死ぬ。それでいいじゃないか。一度きりの人生、恥も外聞もかなぐり捨てて、やりたいように生きようじゃないか。
そう考えてはいるものの、今実践できていることと言えば、noteに戯言を履き散らかすことのみ。情けない...

次回はもっと楽しい文書けるように頑張ります。んじゃまた。



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