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東京消費 #8 中国茶(下)「白茶」sandz

 食・ファッション・工芸――。東京には国内のみならず世界各地から洗練されたものが集まる。「消費」には必ず対価がある。洗練されたものを手に取り、比較し、楽しむ。幾ばくかの使えるお金があれば、東京は今なお世界でも有数の楽しめる都市だ。
 インバウンドが徐々に戻り、アジアの大国・中国からも大勢の観光客が来日しつつある。〝爆買ばくがい〟の時代は終わった。これからは、まだまだ広くは知られていないが、洗練されたものを探し求める時代だ。
 中国語と日本語を話し、東京を消費によって楽しむsandzさんず。この連載では、sandzが日々楽しむ食・ファッション・工芸を紹介する。


〈中国茶(上)「茶摘み」の回はこちら〉

 午前と午後に合わせて3時間ほど、ひたむきにお茶の葉を摘んで、でき上がった茶葉はたったの64gだった。お茶を一度飲むのに3.5gの茶葉を使うとしたら、20回分にも満たない量。でき上がった茶葉を手に持ってみて、その軽さに改めて製茶の大変さを痛感した。

 もちろん、北京で茶市場などに足を運ぶようになるとすぐに、製茶の大変さを情報として耳にするようにはなった。それでも、茶畑に足を運び、汗をかいて手を動かしてみて初めて、情報に手触りの感覚が宿った。

 東京には洗練されたモノやコトが集まってくる。その反面で僕が京都の茶畑で虫や蛇に囲まれながら経験した手触りの感覚は、東京のような大都会ではなかなか実感しにくいのかもしれない。手触りの感覚とは、生身の体をフルに使った経験をもってしか得られないのだろう。

 茶葉は摘んでから約3週間、自然に乾燥させた。白茶の甘みある香りがふわっと漂う。ただし、緑の茶葉本来の色が残っているように、甘さのなかに熟し切っていない青さのようなものも感じる。3週間ではまだ熟成が十分に進んでいないのだ。

 茶湯の色も緑茶に近く、味も香りと同じような印象だった。白茶について、中国では「一年茶、三年药、七年宝」と言われている。「1年目は茶、3年経つと薬、7年経つと宝」という意味だ。製茶の工程は、摘んだ茶葉を自然乾燥によって発酵(酸化)させる。この発酵にかける時間の長さによってどんどん味が変わっていく。

「一年茶」という言葉を、僕は情報としてはずいぶん前から知っていた。だけど、これもまた自分で茶をつくってみて、〝3ヵ月の発酵だとこんな味になるんだ〟ということを実感した。同時に、茶摘みから1年、3年、7年が経ったときにこのお茶がどんな香りや味になっているのか、という期待も生じた。

 せっかくの機会なので、茶畑を案内してくれた米山よねやま康子やすこさんが夫妻で経営しているお茶専門店「心樹庵しんじゅあん」(奈良市)で買ったお茶も一緒に淹れてみた。正真正銘のプロフェッショナルの味だ。

 パッケージには、茶葉の品種や生産地、生産者名のほかに、製法、摘採年、茶園の標高などの細かな情報が記載されている。茶を単に購入する側からすれば、これらはすべて文字としての情報に過ぎないのだろうけれど、実際に製茶や販売をする側からすれば、この情報に香りや味が結びついているのだろう。まさに、手触りの感覚だ。

「昨日もらった中国茶、何が美味しいのかさっぱり分かりませんでした」ーー。10年ほど前に中国茶を初めて飲んだとき、僕は茶葉を譲ってくれた相手に対してそんな感想を口にした。その相手というのは、北京留学時代に知り合った友人で、彼女が今回の茶摘みに僕を誘ってくれた。

 30歳を過ぎてから仕事を辞めて北京に渡った彼女は、現在は大阪で「鈴家-suzuya-」(大阪・高槻市)という中国茶教室を経営している。彼女は僕にとって友人であり、中国茶の先生でもある。

 彼女に出会って間もないころのこと。「中国茶に関心がある」と彼女に伝えると、さっそくその翌日に、福建省でつくられたという岩茶を分けてくれた。あとから聞いた話だけれど、とてもいいお茶だったそうだ。そのお茶に対する僕の感想が、先の「さっぱり分かりませんでした」という礼を欠いたものだった。

 ところが、僕のその言葉が負けず嫌いの彼女に火をつけた。以来、彼女は茶市場に僕を連れていってくれるようになったのだ。その〝茶縁〟が今回、僕を京都の茶畑まで導いてくれた。

「数人で飲むときにも使いやすいから、茶盤は大きめのものを買っといたほうがいいと思うで」
「欲しいと思った茶葉は、その時に買っときや。売り切れるから」
「長く中国茶をやるんやったら、茶道具を持ち運ぶための諸々の道具は揃えといたほうがええよ」

 兵庫生まれの彼女は、北京留学時代から関西なまりの言葉でそんな助言を僕に与えてくれていた。ところが、そのころの僕にとって、彼女からのアドバイスは耳から入ってくる情報でしかなかった。

「いまのところ数人で飲む予定はないので、小さい茶盤にしておきます」
「財布の事情もあるし、その時々に飲みたいものを買える範囲で買います」
「茶道具を持ち運ぶ予定はないんで、特に道具はいりません」

 僕のこれらの判断はすべてが誤りだった。茶盤は大きいものに買い替え、買い損ねた茶葉を思い出すたびに後悔し、茶道具を持ち運ぶ道具がないことに不便を感じている。中国茶を10年以上飲み続けるうちに、ひとつひとつの情報が手触りの感覚に変わってきたのだ。

 僕は東京の出身ではなく、地方の港町に生まれ育った。ただ、高校を卒業してからはずっと都市部だったからか、すっかり都会での生活に慣れてしまった。そんな僕にとって手触りの感覚は東京での消費をより一層面白いものにしてくれるに違いない。

 いつかは大好きな備前焼の窯元にも行ってみたい。いつも食べている魚はどんなふうに獲られているのだろう。洋服のファブリックの製造過程を知るのも面白いかもしれない――。茶摘みを体験してみて、僕の東京での生活を彩るモノのルーツに思いを馳せるようになった。



sandz(さんず)
バンタンデザイン研究所大阪校を卒校後、2009年に上京。2011年に創価大学に進学し、在学中に北京に留学。同大と北京語言大学の学位を取得。中国漢語水平考試「HSK」6級(220点以上)。中国語検定準1級。
Twitter : SandzTokyo
Instagram : sandzager

写真:Yoko Mizushima

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