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東京消費 #10 筆記具「万年筆」sandz

 食・ファッション・工芸――。東京には国内のみならず世界各地から洗練されたものが集まる。「消費」には必ず対価がある。洗練されたものを手に取り、比較し、楽しむ。幾ばくかの使えるお金があれば、東京はいまなお世界でも有数の楽しめる都市だ。
 インバウンドが徐々に戻り、アジアの大国・中国からも大勢の観光客が来日しつつある。〝爆買ばくがい〟の時代は終わった。これからは、まだまだ広くは知られていないが、洗練されたものを探し求める時代だ。
 中国語と日本語を話し、東京を消費によって楽しむsandzさんず。この連載では、sandzが日々楽しむ食・ファッション・工芸を紹介する。


 中国に「字如其人」という慣用句がある。字は人なり――。日本でもよく「字(書)は体を表す」と言われたりするけれど、この手の言葉で最も有名なのは中国前漢時代の文人・揚雄ようゆうの「書心画也」(書は心の絵なり)と、唐の書家・りゅう公権こうけんの「心正則筆正」(心正しければ則ち筆正し)だろう。

 今回は学生時代から愛用している万年筆を取り上げる。おもに中国語の学習において、僕はこのウォーターマンの「メトロポリタン」を使い倒した。

 日本のデジタル化が遅れていることは、基本的にはネガティブな話題として取り上げられる。もちろん、行政においても、民間企業においても、仕事の効率化を図るためには、デジタル化は必須だ。だけど、そのデジタル化によって手書きで文字を書く人や、その頻度が減ってしまっているとしたら、それは文化の面で大きなマイナスになるのではないだろうか。

 大学時代に中国語を学んでみて、人が手で文字を書くという行為の文化的な重みを感じるようになった。冒頭に引用した慣用句や故事成語が中国のみならず同じ漢字文化圏である日本でもよく知られているのは、文字を手書きすることの重みを僕たちが本源的に理解していることの何よりの証拠ではないだろうか。

 語学の習得は筋トレに似ている。読み書きにしろ、聞き取りや発話にしろ、とにかく反復に反復を重ねる。頭で覚えたり考えたりするよりも、何度も何度も繰り返すことで、目や耳、口といった身体に染み込ませるのだ。個人的には、この〝身体性〟を抜きに語学の習得はできないと思っている。

 聞き取りにはスマホやラジオを用い、書くためには筆記具が必要になる。とりわけ筆記具は、書く量が増えれば増えるほど機能性が求められる。手のサイズに合っているか。長く書いていても疲れないか。書き心地はよいか。そうした最低限の機能性に加えて、愛着が持てるか、書くこと自体を楽しめるか、といった付加価値も考慮すると、必然的に万年筆にたどり着いた。たまたま友人からペン先の太さやインクを選べることを教えてもらい、それらも決め手となった。

 その後、インターネットで入念にリサーチをしたうえで、結局はたまたま立ち寄った大丸東京店で一目惚れをして、このサファイアブルーの万年筆を購入した。試し書きをしたときの感触がよかったのは言うまでもなく、何より鮮やかな色合いが気に入った。大好きなパープルがあれば迷うことなくパープルを選んだのだろうけど、十分に満足できる買い物だった。

 ペン軸のブルーに合わせてインクもブルーにした。パープルにしろ、ブルーにしろ、色に触れることでテンションが上がる単純な性格は昔から変わらない。ピンクにハマっていた20歳の頃には、ピンクの全身タイツを着て専門学校の卒業式に参加したこともある。青い万年筆とインクは、僕の中国語学習を大いに盛り立ててくれた。

 しばらく使用しているうちに、それまで何気なく使っていたルーズリーフではペン先が必要以上に滑り過ぎる気がしてきた。そこでいろいろと調べているうちに、万年筆との相性がよいノートがいくつも販売されていることを知った。僕が選んだのは、原稿用紙の老舗として有名な満寿屋の「MONOKAKI」というノート。普通の大学ノートと比べると高額だけど、一度使い始めるとやめられなかった。

 日本では最近、若い人たちのあいだでも万年筆を使う人が少しずつ増えているという。昔に比べればインクの種類も格段に増えていて、東京にはインクを調合して自分だけのオーダーインクを作れるお店もある。いわゆる〝デジタルネイティブ〟と呼ばれる若い世代のなかに、アナログに趣を感じる人たちがいるのは興味深い現象だ。思えば、YouTubeで音楽を好きなだけ聴ける時代にレコードが流行しているのも、同じような〝アナログ回帰〟の現象だと言える。

 久しぶりに大学時代に使っていたノートを開いてみた。決して達筆とは言えない文字だけれど、当時の必死さがよく表れているような気がした。見返しているうちに、北京語言大学の寮で歯を食いしばって勉強した日々の記憶が蘇ってきた。

 同時にある問いが頭のなかに浮かぶ。もしもこれらの勉強をタイプやフリックでやっていたとしたら、僕はいまほどに中国語が上達していただろうか。昔のノートを見て、ここまで過去の記憶が鮮明に蘇ってきただろうか――。

 安くないノートだから、使い終わっても処分する気にはなれない。確かにこのノートにはあの頃の僕がよく表れている。少しだけ高価な筆記具と紙を使い続けたことで、「字如其人」という言葉に実感が伴った気がする。モノではなく、コトを消費する。いかにも、いまの時代の東京を象徴するような消費だと思う。



sandz(さんず)
バンタンデザイン研究所大阪校を卒校後、2009年に上京。2011年に創価大学に進学し、在学中に北京に留学。同大と北京語言大学の学位を取得。中国漢語水平考試「HSK」6級(220点以上)。中国語検定準1級。
Twitter : SandzTokyo
Instagram : sandzager

写真:Yoko Mizushima

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