どう、ジョージ?道成寺 アニメ『道成寺』
『道成寺』といえば、安珍清姫伝説である。
安珍とはお坊様で、清姫は旅の僧侶安珍に宿を貸した女性であるが、この話は、イケメン坊主安珍に一目惚れした女性が、淵ばりに襲ってくる話であり、女性は怖いなぁ(美形は男女ともに大変だ、変な奴らのターゲットにされる)、嘘をついてはいけないよ、というお話である。
お能や歌舞伎、浄瑠璃などでも演じられるこのウルトラに有名なお話は、川本喜八郎の人形短編アニメーション作品もあって、それは誠に傑作である。
大体20分弱の作品なので、この作品を映画館で予告編の代わりに本編前に流せば、間違いなく誰もが本編のことよりもそちらに意識がいくであろうほどの、トラウマ作品である。
能の面などにも通じるが、人形の表情は光が作る。つまりは、陰影により表情が幾通りにも変化していく。人形師とは、それは造り手や使い手であってもー、同様に、如何に影を当ててその人形から表情を、魂を呼び起こすかに苦心する。
私達は、例えば市松さんがお婆ちゃんの家に置いてあると、まぁ怖いわけだが、それはお婆ちゃんの家が超モダンでハイカラ、かつギンギラギンの摩天楼のような輝きを帯びているわけでもなく、なんとなく暗かったり、静かだったりすることで、そこに市松さんの顔色を見出して怖くなるわけである。
人形は魂を宿していないので、何も考えていない。けれど、人間側はどうしても考えてしまう。あの人形は、何を考えているのだろうか、まるで、生きているみたいだな、と。他人の評価と同様で、大抵の人はそこまで他者のことを考えているわけではないが、当事者の本人は世界の中心で愛を叫んでいるのは自分だからこそ、他人がどう思っているのか気になって仕方ないのである。
この20分のアニメーションは、とにかく、とんでもない恐怖映像である。
声がないのが、余計に怖い。
川本喜八郎の作品といえば、昔、NHKで『平家物語』や『三国志』なんかの人形劇がやっていたが、どちらも歌が最高に良い。
確か、夜の19時台くらいにやっていたような気がするのだが……。然し、冷静に歌詞を考えると、一切作品とマッチしていないのがまたいいネ☆
私は子供だったので、人形劇よりアニメがいいよーと思っていたけど。
さて、人形劇の『道成寺』では、坊主に惚れた女の情念が人形の表情が溢れ出していて、怖すぎる。
そら、安珍が悪い。気を持たせるようなことをするから……。然し、大抵の人は普通は諦めるのである。清姫はやばかった。安珍は下手こいたのである。
これは、現代にも通じる悲劇である。いや、人類が今後も繰り返していく悲劇であり、最終的に安珍は、ウルトラトラウマな姿を見せてくれる(可哀想すぎて泣けてくる……)。
最後、桜吹雪の中、一緒に風に解かされていくその姿は、最早どんな暴力映画よりも精神的ダメージが大きいものだ。そこに、ジブリみたいに『終』って出るから、おわりじゃねーよ!って言いたくもなるさ……。
『道成寺』の人形文楽では、カブと呼ばれる人形の首で女性の顔が一気に口が裂けて鬼になる人形が登場する。人間は、鬼にも、蛇にもなる。それは、全ては嘘やすれ違いから生まれるものだ。
鬼には誰でもがなる。そして、恋と憎しみは紙一重であり、表裏一体の感情であるからこそ、男も女も、愛している人にこそ、このような醜い姿を見せてしまう……そのような大変な悲劇である。
ちなみに、このカブの話は、私の大好きな津原泰水の『たまさか人形堂物語』において重要なキーとして登場するアイテムである。
川本喜八郎の『道成寺』はウルトラに傑作なので、映画好き、文学好きは勉強として観ておくべきであり、そして、どうでもいいが、今ヤフオクに清姫のカブが出品されているので、買うべきでもある(高いし、怖いよ)。
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