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タルホと月⑮ 黄漠奇聞と佐藤春夫

『黄漠奇聞』は1923年に中央公論に発表された、稲垣足穂の短編小説である。
稲垣足穂の小説というのは基本的にはそこまで多くない。
本人自身、皆どうやって長編を書いているのだろうか?と思っていたほどである。

彼の全集群で作品を選別していくと、恐らく小説は全体の30%前後、そのうちの40%は自伝的小説であり、完全な創作は少ない。それ以外は随筆を主に書いているので、小説家とは言えず、作家と言えるだろう。

この黄漠奇聞は、初出以降も何度も何度も書き直されているが、元々の発想の源は、【小函の中に残っていた三日月型の灰】というアイディアであり、登場人物はタルホの敬愛するロード・ダンセイニ卿の作品から取られている。
かつて栄えた、今は滅んでしまった都の物語であり、タルホ的アラビアンナイトの1ピースである。

このアイディアを聞かされたタルホの親友であり美少年の石野重道が、『バブルクンドの滅亡』なる美文の御伽噺を先に書いてしまった。それをベースに、この『黄漠奇聞』は書かれているが、例によってそれは何度も何度も改稿されている。

この『黄砂奇聞』は、6千年前に栄えていたサアスダリオンと呼ばれる白い大理石の都、青い布地に黄金の新月が描かれた新月旗を持つ都を知り、バブルクンドもまた白い大理石の神々の都へと変貌させようとし、月を盗ろうとした御伽噺である。
そのバブルクンドもまた、銀の砂漠の中に埋もれてしまい、はるか太古の物語であったことが綴られる。

私は、一夜で滅んだ享楽の都などの話、アトランティス大陸とバベルの塔の話が大好物なので、今作も大好きな話である。
然し、タルホであるからなかなかに難物であることは否めない。


ユリイカ版『ヰタ・マキニカリス』の『黄漠奇聞』

今作はまことに美しい小説で、『ヰタ・マキニカリス』にも収録されている作品だが、菊池寛はこれを読んで、「この種の文学は即刻叩き潰す必要がある」と評した。
菊池寛や久米正雄はタルホにとって天敵以外の何者でもなかったし、師匠の佐藤春夫は、本来はタルホ寄りな詩人であるのに、文藝春秋のラッパ吹きになったと、タルホは彼を嫌った。

「もう少し若ければタルホ文学と心中したかもしれないが」とは佐藤春夫の弁であるが、後年、両者は完全に絶縁し、結句、佐藤春夫は文化勲章まで受賞して、完全に体制側の勝利者になった(佐藤春夫は昔は全集が何十万円したそうだが、今はもう、誰も読んでいない作家になりつつあるのではないだろうか。谷崎の嫁さん譲渡事件でしか話題にならない)。

《夜道を歩いていて、足に何かが当たった。それは月光を浴びた赤い薔薇》、この時の感覚は、何かに思い当たる節があるとして、タルホは、「は!これは佐藤春夫!」と書いているが、正しく佐藤春夫の本質を顕しているだろう。
佐藤春夫は『田園の憂鬱或いは病める薔薇そうび』を読めばわかるように、確かに上記のような詩情に溢れた文章の名手である。ピアノソナタ月光的な、そういう言葉からにじみ出てくるような感覚。

感覚的に堀辰雄に近いが、堀はもう少し透明だが、春夫は肉感的である。
詩的な文章という意味では、佐藤春夫の感性はモダンで、非常に繊細で、而も退廃的でもあって、谷崎よりも耽美的に思える。

佐藤春夫を頼って上京したタルホは袂を分かつことになり、タルホは30代〜60代は中央文壇から完全に排除される形になるが、それはタルホのあまりにもコミュ障的な所も起因しているので、春夫はタルホ目線では完全に悪者であるが、然し、何度も何度も彼の随筆で先生として登場するため、タルホを構成する要素として重要である。

何よりも、『一千一秒物語』というタイトルは佐藤春夫のアイディアであり、タルホはこれを拝借したのである。
この名称は、本当には入道雲の兄弟の対話の物語として、佐藤春夫の作品として生まれる予定だった。

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