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ADONIS&SATYR-アドニスとサテュロス

第一章 ある熱帯のヴィラにて

作品は何度でも改稿され複製される。これも例外ではない。

自分のものが小さいと思えるのは上から見下ろしているからだ、鏡で正面から見れば、それなりのものである。

こんなことを言った人がいて、僕は、彼の映るテレビのボリュームを上げた。その人は今どきには珍しい鼻眼鏡をしていて、パーマがかった頭をしている。ちょうど、デヴィッド・リンチ監督の映画『イレイザー・ヘッド』の主演俳優に似たような風貌だ。彼は、そのあと続けざまに、
「だらしないムキマラをぶらさげているのは人間か馬しかいない。他の動物は皆、あれを主張などしていない。」
僕は、しばらく他のことを忘れて、この番組を見続けた。相槌を打つ司会者は、何も喋っていない。ただ、この男だけが、延々と喋り続けている。僕は見入っていた。自分のコンプレックスを、彼は見透かしている。時折、カメラに向けて話しかけてくる。彼の眼と僕の眼とがあって、彼は、何も心配しなくても良いんだよと、僕に向かって頷いている。その度に、僕は泣きそうになる。彼の優しさと、自分の抱えている恥ずべき部分を、彼は全て理解した上で、寛容でもって、肩を抱いてくれる。

突然だったから番組は録画もしていなかったし、彼について調べようとも思わなかった。番組が終わり、テレビを消すと、ちょうど、出会い頭にぶつかった春の花々と同じ、この心地よい気分が、彼を調べることで霧散してしまう気がしたのだ。僕はそのままベッドに横たわると、先程の言葉たちを反芻していた。
仕事柄、着替えの時に、様々な裸を見る。日本人のものは見飽きるほど見てきた。だから、自分よりも幾分も長い人や、いわゆる、ムキマラとも言える人のものも見てきたし、自分よりも小さな人のもの、それこそ、腹の肉に埋もれるものまで見てきた。そういう、たくさんの竿を見てきて、海外にいる今は、西洋の人間、白人も、黒人も、黄色人種も、それこそ様々な一物を見てきた。その上で言うのならば、やはり、自分のものが、他のアスリートと比べてどうしても頼りなく思える。「お前のバットはしょうもないな。」、そう嘲った選手もいた。幼い悪戯の言葉だが、僅かな自尊心がそれに反応する。僕は、何も気にもしてない風を装いながらも、その実、本当には、そうのたまった彼を、下に組み敷いて、菊門に自分のものを打ち込んでやりたい衝動に駆られるし、よだれ枯渇こかつするまでしゃぶらせてやりたいと、そのような思いにかき乱されていた。

結局、僕はカムアウトするような勇気は持ち合わせていないし、自分で自分を慰めていれば、もう後は仕事で発散できたから、それで充分だった。ただ、あの偶然に聞いた彼の言葉、ペニスにまつわるエトセトラは、自分をして、なるほどと頷かされるばかりだった。彼がどうして男性器に執着しているのかはわからなかったが、彼がしきりに少年愛の、同性愛の美学を言葉にしていたのが思い出される。彼もまた、同性愛者なのだろう。あるいは、両性愛者。彼は、番組内で、受け入れる相手の気持ちを考えろと、そうしたらば必然、怖くないほうが良いに決まっているだろうと、そう言ったのだから。
 
僕が今、こうしてその番組上でしか識り得なかった彼の講演会に来ているのは妙な心地だった。彼からの招待だった。僕は驚いた。一方的に僕が識っているだけだと思っていたし、彼にコンタクトを取ろうと試みたことはない。僕の専属の通訳から渡された手紙に、講演会と、その後に開催されるレセプションへの招待状が同封されていた。その講演会の招待状には、彼の写真が控えめに、けれどもあの鼻眼鏡越しの強いまなじりが強く何かを主張する相貌そうぼうで掲載されていた。そこから僕は彼について調べた。曰く、彼は同性愛にまつわる数多の小説やエッセイを書いている小説家なのだという。始めは驚き、そして次に恐れた。なぜ、彼が僕に招待状を送るのか。僕の性的指向が、彼にはバレているのだろうか。そんな馬鹿なことがあるはずはないだろう。近しい人間以外に、誰にも公言などしてない。そこから、あり得ない妄想へと思考が広がる。彼は、あの画面越しに僕を見ていたのだろうか。そうして、そこから僕の嗜好を嗅ぎ取ったのか。
「場所はバリ島だ。」
「バリ?」
辺鄙へんぴな場所だと思えた。文化人が、作家が講演会をするような場所ではないような。通訳の彼が僕の言葉を引き継いだ。
「『希臘羅馬ギリシャローマ時代における同性愛の発展とそれが導き出す星座への座標』。」
「それがテーマ?」
「そう書いてある。そいつにね。その講演会の後、会場近くのリゾートヴィラ、ああ、老舗だね。そのヴィラを貸し切っての、ささやかなパーティがあるんだと。」
「ゲイたちの乱交パーティの会場か?」
僕が茶化すと、彼は顔をしかめて、
「どこで聞き耳立てられているかわからないよ。」
彼はそう言って、椅子に座った。僕は頷いて、
「折角招待されたんだし、バリは魅力的だ。」
それだけ言うと、僕は手紙を折りたたんで机の上に置いた。
「行くの?」
その問いに、明日返事をするよと答えた。熱いシャワーを浴びながら、僕の性的事情を識る通訳の彼の慎重にならざるを得ない気持ちと、自身、どうしようもなくバリ島の熱い匂いに惹かれる気持ちとがせめぎ合っていた。そうして、自分の一物を撫でながら、彼の言葉が思い出される。確かに、上から見た時は小さく、情けなく見えるけれども、今、目の前の鏡の中に映る僕自身は、なかなかどうしてそれなりのものだ。
誰かに識られば八つ裂きにされるかもしれない。そのような恐怖は、常に僕に奥底に掬っていたけれども、言葉よりも、自分自身だんせいじしんが後押しした形になる。以前、誰かに教えてもらったことがある。名優であるマーロン・ブランドがバイセクシャルだったことを。彼は、若いその頃から仲の良かったウォーリー・コックスという俳優とそういう意味でも親密であったと。どこまでが真実かわからない話だが、たしかに二人の遺灰はデスバレー死の谷に散骨されたのだと。マーロン・ブランドは大俳優だ。彼は、マリリン・モンローとも寝たことがあって、野生と理性そのものだが、彼ほどの人物ですら、本当のことは言えなかった。それでも、絶望の淵、そのような希望はいつでも抱いているのだ。

マーロン・ブランドは両性具有だった。

僕はプライベートを装い、お忍びでレセプション会場に入った。
講演会の後、ヴィラのプールサイドにある籐椅子に腰掛けて、ウォーターメロンのトロピカルドリンクを飲みながら、穏やかな海を見ていた。作家は、講演会後、色々な招待客の相手をするのに忙しそうで、僕は彼に会釈しただけで、会場の外のここに来ていた。会場はたくさんの宿泊用ヴィラが横手に連なっていて、ゲストはそこで数日寝泊まりする。強ち、乱交パーティーというのも冗談ではないのかもしれない。
 潮風を受けながら、僕は先程彼が喋っていた言葉を反芻しながら、頭の整理に努めていた。同時に、甘いドリンクを飲んで生暖かい風に吹かれていると、頭が弛緩してくるのを感じる。そうして、ぼんやりと海を砂浜が溶け合うのを見ていると、
「今日はお越しになってありがとうございます。」
眼の前に、彼が座った。咄嗟のことに僕は驚き立ち上がろうとすると、そんな僕を彼は微笑ましく手で制して座るように促した。
「あんたアドニスやな。」
「え。」
「貴方の高名はスポーツにうとい私でも識っていますよ。」
彼はそう言うと、静かに微笑み、目の前にあるポットからジェンガラのカップに茶を注いだ。僕が引き受けようとすると、それもまた手で制して、
希臘ギリシャ羅馬ローマにはたくさんの同性愛者の偉人がいる。先程、講演でそのような話をしました。例えば、シーザー、ホラシウス、プラトン、ソクラテス、それからハンニバル。哲学者や戦士、そして叙情詩人に軍人にその傾向が見られるのです。何故かわかりますか?藝術とは、汎ゆる藝術とは同性愛とともにあるからです。同性愛は戦争の落し子という言葉もありますな。それならば、日本ではどうでしょうか。このような歌があります。

まそ鏡見飽きぬ君に後れてやぁしたゆふべにざびつつ居らむ

ぬばたまの黒髪変り白髪ても痛き恋には遇ふときありけり

ここにありて筑紫やいづく白雲のたな引く山の方にあるらし

これを、田中純夫氏は、おおらかな同性愛を歌い上げる恋の歌だと語っています。
まぁ、いずれにせよ、希臘ギリシャ羅馬ローマ、それから現代のモダンジャパンにおいても、同性愛は極めて美しい営みである。それは何故か。色々な文献がありますね。私も様々読みました。バートン男色考は?お読みではない?アンドレ・ジットの男色考はいかがです?南方熊楠翁の男色考は?まぁ、アスリートならばそうでしょう。読みもせんでしょう。練習が大事ですからね。スポーツマンというのは崇拝される対象であります。そういったものと近しいのはよろしくないとする考えが未だにある。とにかく、希臘ギリシャには美しい男性の裸体の彫像が数多くある。オリンピックがアテネから始まったことを考えれば、男色と関連づけることは極めて正しいのだが……。私の夢はね、一つ、日本ではあまり識られていない、好事家こうずかだけが識っている、そのような希臘ギリシャ羅馬ローマ時代の男性像、それも同性愛にまつわる彫像をあつめた豪華な写真集を作りたいのです。様々な文献をそこに添えて、なぜ、このように美しい愛情が秘匿ひとくされてきたのか。そのあたりを紐解いていくわけだ。」

彼は、一気呵成いっきかせいにそれだけまくし立てると、上品に仕立てられたと思しき緑色のスーツ、このような熱帯にスーツで暑くないのかと問うと、彼は首を振り、いつだってエンジンの火は胸を焦がしていますと、それだけ言って、スーツの胸ポケットから取り出した葉巻を加えて、それをしゃぶるように口角に遊ばせながら、緩やかな髪を撫でつけた。すると、白檀のような、甘い香りが漂ってきた。彼は微笑んだまま、
「同性愛が秘匿ひとくされてきた理由。それは女どものせいでもあります。つまりは異性愛者の女性です。異性愛者の男性も本質的には同性愛的である。なぜ、息子が父親を憎むのか、そのメカニズムを識っていますか?」
「どうして?」
「同性愛からの忌避きひによる。近親同性愛は、禁忌タヴーですからね。年頃の娘が父親を避けるのも近親相姦を避けるためだと言われているが、フロイトの論じるエディプスコンプレックスもまた同じことだ。けれども、それは母親への愛着ゆえの父親への憎悪ではなく、父親に対する自身の近親相姦の芽を感じ取ったからだ。つまりは、同性愛への忌避きひ。シューベルトの歌曲、ゲーテの詩の『魔王』はご存知か?あれも本質は同じことを語っている。つまりは、父親の息子への同性愛です。それに関しては、こんなことを言った作家があって、あれは暗いドイツの森の幻想だと。エルケーニッヒは、knabenchanderの藝術化であると、そう書いています。ええ、クナーベンリーベです。」

ハンノキの王、妖精王である魔王は息子が見た父親であり、同性愛への忌避を描いている。

彼が喋るたびに、その背後の滝水が流れてプールの水が跳ねる。そうして、喧騒は消えていき、風だけが彼の香水の匂いを乗せて漂う。そこに、甘いシガーの香りが混じっていく。
「父親の同性愛、と聞くと聞こえは悪いが、あんた美しいね。あんたアドニスだね。あんたが幼い頃、息子が幼い頃、どんなにかお父様があんたを溺愛したことか。お父さんは幼い息子に理想を見ているから。成長したあんた、あんたみたいな美しく逞しい青年ならば、それは永劫続くよ。それが藝術です。」
僕はわかったような、わからないような風に、彼の言葉に頷いた。そうして甘い匂いに囲まれながら、甘いドリンクを飲み彼の話を聞いていると、魔薬か何かで眠りに落とされる直前の感覚にいざなわれる。
「こういう場所で、愛らしい我が子を抱きしめるなんて、それは天国でしょうや。」
「父親と息子の関係性だから、秘匿ひとくされてきたと。そういうことでしょうか?」
彼は葉巻を指先に挟み、それを指し示して、
「これは一物みたいでしょう。少年の一物です。つまりは魔王の一物。ここからお教えしましょうか。」
彼は静かに紫煙を吐き出すと、ちょうど、葉巻の先端に紫色の火が明滅めいめつしている。彼は魔術師なのだろうか、僕は、その魔力の磁場に囚われて身動きができない。ちょうど、給仕係が水を注ぎに来て、グラスに一杯なみなみに貰うと、半分ほど一気に飲み干した。それは、レモンの香りがした。
「父親と息子の関係性故の秘匿ひとく隠匿いんとくあるいはそうでしょう。それは、必ずしも実際の関係を持つ必要はない。そもそも、少年愛というものは、いや、恋愛というものは、肉体的接触を叶えた時点でその繊細な美は壊れていく。少年愛も同様に、基本的には片恋かたこいで終わるものです。父親の片恋かたこいです。そもそも、私は作家ですから、貴方とは違うけれども、男にとって藝術とは、子を持ち、その子を美しく育て上げることにある。理想とは常に過ぎ去っているものであり、これから過ぎ去るものである。過ぎ去っているのは自身の過去であり、過ぎ去っていくのは子供の現在であり、未来である。『美のはかなさ』という、エッセイがありますね。オスカー・ベッカーのエッセイであり、イナガキタルホ氏が、それをほぼそのまま複製して自分のものにしていますね。『美のはかなさと藝術家の冒険性』がそれです。美のはかなさとは、それこそイナガキタルホ氏が言うように、美少年の儚さである。六月の夜の都会の空です。美少年は十五夜をさかりにお月様と同様に欠けていく存在であるが、その個である美少年は過ぎ去っても、いつか見た小路こみちの残照の輝きのごとく、美少年という概念そのものは移行き、他の場所を照らすわけです。花は繰り返し咲く。繰り返しね。藝術家の冒険、これはどういうことだろうか。それは、その概念と化した美少年の個を抽出して残すことでしょう。それが翻って永遠の美少年へと転じる。そして、永年の美少年とは、それは男性にとっての道徳そのものである彼自身の息子であることに他ならない。そして、彼自身と今申し上げたように、彼自身とは何か、その根源はペニスになりますな。」
彼は僕を見据えたまま話した。彼の言いたい言葉というものは、まさに、男性自身そのものが、藝術であるということだろうか。
「バットとボールとミット。この危険な三角関係の遊びをされているのだから、貴方はまさに藝術の申し子だ。あんたのお父様も鼻が高いだろう。魔王の一物。或いは、天使、軍神、英雄、聖者。それらは全てが皮かむりです。ペニスの半分を自身の袋で包んでいる。つまりは、ハドリアヌスタケです。ハドリアヌスタケはご存知か?南方熊楠が採集した奇形のきのこで、媚薬になるのだと彼はうそぶいた。牛蒡ごぼうのような臭気を出していて、汁を吹き出すとか。まさにあれですな。それで、ハドリアヌスですがね、ハドリアヌスはアンティノウスという美しい青年を囲っていて、寵愛ちょうあいした。けれども、アンティノウスはナイル川で溺死してしまう。ハドリアヌスは女のようにむせび泣いたのだと、そう書かれていますが、実際には、アンティノウスはあまりにハドリアヌスから激しく犯された男色行為で死んだのが実情だという話もある。ハドリアヌスも偉大な皇帝ですが、偉大な人間に同性愛は付き物だ。ハドリアヌスは美しいアンティノウスの後に、少年マルクスを愛した。ともに、自分の幼年期や青年期を想起させる美しい男性たち。彼らに徳を視ていたのだ。そして、そのハドリアヌスの名を熊楠が一物そのものである菌に付けたのも偶然の相違ではあるまい。彼の萃点すいてんがそこにあった証左しょうさでしょうね。高貴な、貴族的な男性のものは割礼でもされない限り、いや、割礼という儀式がある理由、それこそが、重要だ。割礼の前夜無花果の杜で少年同士頬よせ、という塚本邦雄の短歌もありますね。さて、ペニスにはタケノコ型とマツタケ型があるとイナガキタルホは言っています。タケノコ型こそが魔王たちのペニスであり、美少年時代のペニスだ。これを小口径型砲弾型だと。ではマツタケ型は?それは世俗の、女とのセックスだけに明け暮れる知恵遅れの持ち物です。ペニスを剥く度にその男の口はだらしなく締まらなくなります。反対に、ペニスの皮を半分被っているのは、そのものの高貴性を引き立たせる。御覧なさい。あんた自身のペニスを。あんたのは多分タケノコ型でしょう?」
突然に話を振られて、僕は何も言い返せなかった。けれども、それは的を射ている。僕はただ微笑んで、残りの水を一息に飲み干した。空を見上げると、緑の樹木たちの間の青空にかすかに星星ほしぼしまたたいているのが見えた。
「アンティノウスは星座になりました。鉄炮工の国友一貫斎も。鉄炮、これもまた一物だ。ただ、大変に危険な一物です。信長もお蘭を愛していましたね。森蘭丸です。黒人も囲っていた。お蘭は美少年で、彼はけていなかったでしょう。信長は第六天魔王を自称しましたが、真の意味で魔王です。彼は犯されもするし、犯しもする。両性具有でありますから。エルマフロディットは必ずしも優男でなくても構わないのです。蘭丸もそうでしょうが……。それに、結局タケノコ型は受け入れる時に安心するでしょう。」
「つまり、あなたは男性は包茎ほうけいであるべきだと?」
包茎ほうけいである、タケノコ型である、その時が理想の自分の似姿でありアドニスでしょう。英雄の、魔王の美しさです。」

ナポリ アンティノウス像
アンティノウス座はわし座と共にある。ハゲワシに唇をキスされた夢を見たレオナルド・ダヴィンチは多くの少年を愛した。

彼は立ち上がり、僕に一瞥いちべつをくれると、そのままジェンガラのカップを手に歩いて行ってしまった。
僕は、彼の言葉の様々に、何か、妙に納得できるものと、理解できないもの、その二つが混ざり合っているものを感じていた。それ以上に、「あんたアドニスだね。」、その言葉に、僕は空恐ろしいものを感じていた。彼は全部が全部、話していることが僕の心を直接撫でる。直接に一物を握られるかのようだ。
 僕は、その狂熱きょうねつめいた恐れを冷やすために立ち上がり、プールサイドに腰掛ける男性と、その恋人めいた年の頃十五、六の少年が囁き合うのを見つめていた。そうして、だんだんと、このヴィラやその周辺には極端に女性が少ないことに気が付く。講演会には、野太い笑い声以外、時折甲高いものが交じっていたことを思い出して、ここは男の園か天国かと思えた。
 プールサイドから繋がる宿泊用ヴィラに戻る。テラスから室内に入ると、風が流れ込んでいて心地よい。ここは、普段は男女がむつみ合う場所のはずではないか。看板にもそのような意匠が凝らしてあるというのに。この講演会が行われる数日間だけが、むせるようなスペルマの匂いが満ちるということだろうか。オーデコロンの香り、シガーの香り、それから、えも言われぬ体臭が、時折風に乗ってやってくる。そうして、立ち上がり壁を見つめていると、そこには裸体の少年が二人並んでいる絵が架けられている。彼らの視線はどこか別の地平を見ているようで、僕を見ているようで、見ていない。いや、あるいは、この絵すらも、僕の魂を見ているのかもしれない。
「キレイな絵でしょう。」
振り向くと、美しい少年が立っていた。巻き毛で、柔らかい匂いがした。
「ドナルド・フレンド。オーストラリアの画家さんなんです。」
「初めて見たよ。」
自然、口調が馴れ馴れしくなる。自分の応援に来てくれる子らと、それほど変わらない。
「有名な人なの?」
彼は首を振った。
「パパが好きなの。」
僕は頷いた。そうして、少年は、
「ごめんなさい。お兄さん、有名な選手でしょう?僕でも知ってる。」
そう言われて頷くと、
「だから、ちょっとちょっかい。話しかけちゃった。握手してもらえますか?」
「うん。喜んで。」
僕の二周りは小さな彼の手のひらを包んで、頭を撫でてやると、彼は微笑んで、僕を手招きした。僕は中腰になって彼に顔を近づけると、彼は唇にキスするかのように口元を近づけて、ありがとうと微笑んだ。僕はどきりと、その仕草に魔王を感じた。
 彼が部屋から出て行って、僕はドナルド・フレンドの絵をじっと見つめた。相変わらず、絵の中の彼らはどこか遠くを見つめていながらも、何か嬉しそうな顔立ちで、少しばかり微笑んでいた。

Donald Friendsの絵画
Donald Friendsはオーストラリアの画家で、スリランカでベイビス・バワと5年間愛し合ったのだ。ベイビス・バワの兄、ジェフリー・バワもまた同性愛者である。

 部屋から出てプールサイドに戻ると、作家が先程の席に一人腰掛けていた。少し疲れているようだったが、僕を見て微笑み、手招きをする。僕は、この妙な空間にいる自分に対して、先程までの場違いの違和感を感じることもなく、妙な安堵感があった。だんだんと、この空間が自分の中に折り入ってくるように感じられた。僕はその居心地の良さを振り払おうともせずに、彼の横に腰掛けた。彼はゆっくりとジェンガラのカップに口をつける。そうしてまた葉巻を取り出して、
「吸っても?」
僕は頷いた。彼は燐寸まっちを擦ると、その炎を葉巻に灯した。先程流れ込んだシガーの香りはこれだろうか。辺りを見渡すと、幾人かの男性たちが、シガーをくゆらせている。
「さっき、自分の部屋に飾ってある絵を見ていました。」
「ドナルド・フレンド。」
「ええ。識らない画家で、男の子が教えてくれました。」
「ドナルド・フレンドはオーストラリアの画家です。彼はスリランカの庭師のベイビス・バワの恋人だ。ベイビス・バワは著名な建築家のジェフリー・バワの兄君あにぎみです。ジェフリー・バワは?」
僕が首を振ると、
「ルヌガンガ、という美しい庭園と建築がある。バワの理想郷です。それはこのようなリゾートヴィラの原点だと言われている。順番は、あべこべですが。彼は、トロピカルブティックリゾートの先駆者である。そのルヌガンガの更に原点となっているのが、兄のベイビスのブリーフガーデンなのです。ブリーフガーデンは、庭師のベイビスの作り上げたこれもまた理想郷。同性愛のね。この兄弟は揃ってゲイでね。ドナルド・フレンドもそうです。彼の絵を観たでしょう?少年同士のむつみ合いだ。愛情だよ。同性愛の藝術は、同性愛の天国でこそ完成する。それを地でいく二人である。同性愛者こそが藝術の先達せんだつです。」

ブリーフガーデンは藝術家の愛の都である。

「それはレズビアンも?」
「サッフォーという詩人がいます。サフォともいう。彼女も同性愛者で、レズビアンの語源です。何故ならば、彼女が希臘ギリシャのレスポス島の出身だからです。彼女は同性の弟子たちを多く囲ったのですよ。すなわち、詩人、藝術家、そのような人種は極めて同性愛的である。或いは、心理的にそういった傾向がある。男女の違いになんら関わりなく。」
「先生のお話は面白い。頷けることばかりです。さっき仰っていたタケノコとー」
「マツタケ?」
「ええ。マツタケ。その二元論もとてもおもしろい。と思いました。さっきから、そのことばかり考えているんです。ちょうど、さっき、僕の部屋にいた少年、とても美しい少年でした。彼から、なにか、魔王的な匂いがしたのです。彼の髪から、漂ってきた。それは、香水でもなければ、シガーでもない、不思議な匂いでした。あの年齢の少年ならば、それはきっとタケノコでしょう?先生の言うように。だから、そういう風に思えたのかもしれないと。なんだかとりとめもないこと言ってますけど。」
彼は何度か頷いて見せて、
「そうですね。少年の髪の匂い、特に息子のものは恐ろしいほどに魔薬的だ。つむじから立ち上る魔王的な匂い。それは正しいでしょう。それは少年愛の形而上学けいじじょうがくそのものだから。ただ、貴方が感じたのはそれだけではないでしょう。あんたもまだ、私から見れば幼いよ。だからかな、自分の幼さが客観視できていないんだ。香水、シガー、男性的な匂い、それに加えて象徴的なものは酒もあるが、もう一つ重要な要素は糞便だ。アナル的な要素。恐らくは、糞便の匂いがどこから漂ってきたのだろう。化粧室ですかね。それは、大人の男が自然に身に着けているものです。そのあたりが香水やシガーと異なるところだな。」
彼は、どこか満足気に、僕の落とし物に気付いてそれを拾って渡してやったかのように得意げになると、そのまま続けて、
希臘ギリシャ羅馬ローマの彫刻の話をしましたね。僕が作りたいと言っていた、豪華本の本。そこには様々同性愛にまつわる具象彫刻ぐしょうちょうこくが置かれている。ある種の王国キングダムだ。その中にある、ヘレニズム文化華開いた時代に作られた数多の男性像、少年像の多くが性器の部分が損壊されている。これと同じく、同性愛的な文化の破壊として、人名を男性名から女性名に変えたりといった文化破壊も行われている。ね、全く馬鹿げたことでありますね。何よりも、銅像のペニスを壊すのは、破壊者自身があのタケノコ型のつるぎが怖いからに他ならない。それは、自分はいたく平凡な異性愛者の男性であることへの信仰を守る、愚かな抵抗に他ならない。けれども、時折逃げ切ることの出来ないこともある。貴方はパンをご存知か?牧神、半獣神。希臘ギリシャではサテュロス、羅馬ローマではパン。同一視されることがありますね。このパンは、女も大好きだが、美少年も大好きだ。彼が少年を誑かす銅像もありますね。あれはまるで言い訳ですね。神に誑かされるのであれば、しょうがないとでも。」

ローマ 誘惑する牧神パンと羊飼いダフニス
美しい青年 アドニス
半獣神サテュロス

彼はそう言いながら葉巻をしゃぶり、そうして、それを噛み切ると、僕に渡した。僕は何も言えずにそれを受け取り、見様見真似でそれを咥えた。

「ペニスの神。男根の神。半獣神サテュロス。あの美しい彫像をご存知か。ドイツのミュンヘンの美術館に置かれたローマンコピーの傑作を。バルベニリーのフォーンです。見事な肉体はアドニスの如し、いやアドニスはやはり青年だ。細身繊細ほそみせんさいな部分がある。女形おんながたを描かせると、大抵はその身体に肉感がもたらされるものだが、それは間違いだ。本当の少年や青年の腰元こしもとはほっそりとしているものだ。痩せているのです。そこが違いです。
そして、半獣神、サテュロスだが、あれもまた、タケノコ型だ。大理石製ですがね。彼こそが詩人ゲーテの言うところのエルケーニッヒであり、音楽家シューベルトの言うところの魔王です。魔王は寝ているとあのように可愛らしいタケノコですが、充血した葉巻にもなりうる。あの状態。あの状態こそが重要なのだ。ファルスとは常に皮かむりであることが重要なのだ。勃起してても皮カムリ。その状態です。天国キングダムには善と悪もあることを心得よ。そう、そのどちらもある状態です。
この像が発見された場所は、あのハドリアヌス帝の霊廟だったのです。これもまた不思議な合致、いや、必然の合致でしょうね。
お父さんは、お家ではソファであのように寝ているでしょう。御覧なさい。あなたがくわえているものを。あなたのようなアドニスも、可愛らしいアンティノウスも、ある種のメタフィジックな童話や神話の人物であり、お父さんにとっての理想の息子だ。息子をかどわかすのが牧神サテュロスの宿命です。彼は酒と美少年を愛しているから。銃や剣、絵画、歌、詩を朗する、童話を読んでやる、時に戦争を起こす、汎ゆることで息子の関心を惹こうとする。父親になるとは、サテュロスになるということだ。微睡まどろむサテュロスというものは魔王であるお父さんの藝術化であり、理想の息子をメタフィジカルした少年自身がまだついているのは、その願望に他ならない。同一性です。つまりは少年嗜好症は天体嗜好症の裏返し、サテュロスはアドニスの裏返し。同じものなのですよ。王と王子は同じ肉体に宿る。
さて、サテュロスの像はいくつも複製されている。その肉体は必要以上のエロスを伴って継承される。ああ、しいすべき肉体のモダンなる継承!これだけの鍵をお渡ししたら、その理由が、藝術とはなにか、もうおわかりでしょう。
お月様は何度でも新月に生まれ変わり満月に至ります。」

「なるほど。どこかから、『魔王』が聞こえてきそうな話ですね。」

1700年代の『微睡むサテュロス』の子(複製)
紀元前220の微睡むサテュロス


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