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ないしょ


伊藤茂次という詩人がいる。

大正14年に生まれた。札幌から京都へ流れ着いて、それ以外のことはあまりわかっていはいないが、酒飲みだったことは確かである。

彼は、大野新という詩人とも懇意にしていた。大野新は、『京都のカフカ』と呼ばれていると本も読んだ。

それは、詩を書きながらも印刷所という本業があるからだが、それは重要なことかもしれない。
そもそも、作家に成って食べていきたいというのは本来の藝術とは乖離している。藝術は生活の真横に置いてこそ成り立つのである。

作家や藝術家には酒乱が多いが、西村賢太氏もそうだろう。
伊藤茂次もまた、同様に酒で迷惑をかけていたそうだ。
伊藤茂次の詩集『ないしょ』はこちらで333部の限定版などが刊行された。


ないしょ

女房には僕といっしょになる前に男がいたのであるが
僕といっしょになってから その男をないしょにした
僕にないしょで ないしょの男とときどき逢っていた
ないしょの手紙なども来てないしょの所へもいっていた
僕はそのないしょにいらいらしたり
女房をなぐったりした
女房は病気で入院したら
医者は女房にないしょでガンだといった
僕はないしょで泣き
ないしょで覚悟を決めて
うろうろした
ないしょの男から電話だと
拡声器がいったので 女房も僕もびっくりした
来てもらったらいいというと
逢いたくないといい
あんたが主人だとはっきりいってことわってくれというのである
僕はもうそんなことはどうでもいいので 廊下を走った
「はじめまして女房がいろいろお世話になりましてもう 駄目なんです逢ってやって下さい」 と電話の声に頭を下げた
女房はあんたが主人だとはっきりいったかと聞き
わたしが逢いたくないといったかと念を押し
これで安心したといやにはっきりいうのである
僕はぼんやりした気持で 女房の体をふいたりした


詩とは何かと問われると、なんとも答えようがないものだろう。
然し、見事な詩は、間違いなく心を打つものだ。
そして、それは美しいものを美しいということではなく、自己への諦観や失望が詩になってこそ、人の心を打つのかもしれない。
結局、詩とはその人そのもので、恐らくは藝術もあなたそのものなのであろう。



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