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タルホと月⑩ 古典物語


『古典物語』は稲垣足穂41歳の作品で、1942年に発表された、自伝的小説である。

前回の『カフェが開くと途端に月が昇った』と重複する箇所も多く、少し記述が異なる箇所もある。『カフェが開くと途端に月が昇った』でも東郷青児のエピソードがあったが、今作ではより詳しく東郷青児とのエピソードが書かれている。
彼は、自伝的色彩で仕上げた手紙を送ったとここで述べているが、私の所蔵する足穂の書簡にも、自伝出版の際、色付き自伝にしたいと色彩に拘っている。

今作の主人公は多理という名前で、まぁ、足穂なのであるが、彼が関西学院普通部に入学するところから物語は始まる。『美しき学校』というタイトルで現代日本文学全集に前半部分も掲載されている。

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さて、この美しき学校というのは、本当に美しき学校だったことが、足穂の筆の魔力と、実際の写真を見ることで体感できる。

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美しい原田の森のキャンパスで、足穂は勉学と、芸術の感性を養っていく。
足穂的『ハリー・ポッター』(然し、女の子はいない)であり、そして、哲学への傾倒。

「多理は、あの煉瓦造りの塔がついた礼拝堂に隣合った総務部で、制帽と印刷インキの匂いがした教科書の一束を買った。よく光った新月の徽章きしょうがついた帽子は一等大型でなければならなかったから、坊やはなかなかお利巧らしいねと、分厚い近眼鏡を掛けた、髭の剃り痕の青い、小父さんめいた高等学部の実習生が云った。」

新月の徽章をマークとする学校というだけでも、足穂に相応しいが、彼はここで、得難い友人である猪原太郎や石野重道と机を並べる。

私が足穂を好きなのは、彼ら二人を、この二人をのけて審美的天禀として挙げたいものはいない、とまで言い切っているところだ。ダンセイニ卿など、ある種、大衆的に大きく認められている人間や文壇の重要人物に阿らないところが好きなのである。自分の好きは、自分で決める。
こういうことはよく言う人がいるが、自分の友人こそ優れていると認めるものは、殊に創作界隈ではそうはいないだろう。

この小説も足穂の学校生活で起きたエピソードが延々と語られていくが、多理は、教室の窓辺から見える山脈の景色に、幻想的な風景をよく視る。それは、葛折りになった山道を降りてくる山賊などの魔のものたちの幻視で、この辺り、足穂の空想性、夢見がちな姿が見えてくるが、彼は飛行家熱がすごかったので、空や山などにそういった幻も視る(これは、『風立ちぬ』における堀越二郎が関東大震災の折りですら空に飛行機を視る感覚に近い)。然し、こういった幻視は誰でもするもので、少年というのはそれが顕著であろう。

また、多理はこの学校生活において、『物自爾』という言葉を識る。これは学校の先生に尋ねてもわからず、それは漢字で見せたからで、『ディングアンジッヒ』と尋ねればすぐに解決したはずだと書いている。
『ディングアンジッヒ』は物自体という意味であり、現象と物自体とは異なるものだとカントが言っている。我々人間は本来は『ディングアンジッヒ』それ自体を実際に知覚することは出来ない。そういう、非常に難解な話を、多理はショーペンハウエルの本から学ぶ。
この話は、足穂が思春期に学ぶ様々な哲学を羅列していく。

物語の終盤で、多理は桜ん坊めく少年から哲学談義を投げかけられて、それに応えるが、この辺りは『ディングアンジッヒ』に関しての話と連動していて興味深い。曰く、『インク壺は前からここにあったのかどうか』という問答である。
哲学は屁理屈のようでもあるが、足穂は哲学者、そして物理学者や数学者こそが男性の真の手本であり、ダンディな存在であると語っている。

今作で私が一番印象に残った文章は、

くぬぎ林の径で多理が持ち出した意見、それに続く瞑想、これには空虚なまぼろしが委託されていた。それは、「未来をせき立て、過去を停止させようとする」状態である。彼ら二人は大層若かったから、存在しないものの上に思いを馳せ、それだけが自分らのものに属する唯一の時間については、いっこう考えようともしなかった。「享楽の必要とは本当には生きていない証拠だ」ということに、未だ気付き様はなかった。われわれがあるのは只現在のみであり、憂いも喜びも共にこの現在を時間的に伸ばそうとするところに生じるもの、従って双方ともに空虚なものだということが、未だ呑み込めていなかったのである。

で、これは非常に足穂的な考え方である。
時間などはない。我々には現在しか無く、常に中央に存在している。
そして、非常にシンプルにすると、青春の最中、幸福の最中には、それに気づかないものである。

この古典物語は、哲学や物理学など、異様に難しい話を内包してはいるが、本当には『美しき学校』での生活の話である。そこで、足穂が学んだこと、世界の不思議を、淡々と描いている。

若き日に於ける哲学書は美しき肉体の如くに心をときめかせる。

この言葉の如く、多理=足穂は、哲学を学び、その上で、この世界は素晴らしい連動と運動に満ちていて、汎ゆる全ての運動が死をも突破する大軍勢であると、悟りに近い思いに至り晴れ晴れとなる。

足穂はその後も、様々な宇宙論や哲学を紐付けて、虚空を掴むために考え続けてきた。『物質の将来』を書くために、筆を取り続けてきた。そして、子若きこの時に、彼は『物質と記憶』なる本に出逢っていた。

次回こそ『北落師門』について書く。



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