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碁精は碁聖

囲碁の漫画はあまり多くない。

代表的なものに『ヒカルの碁』や『星空のカラス』などがあるが、囲碁を嗜んでいて、かつ漫画を描くという人が少ないこと、ということが要因だろうか。

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先日、加藤文枝さんの囲碁漫画『碁精2』が発売されていたので、早速購入して読ませて頂いた。

『碁精』は以前発売されていた『いしのおと』にも収録されていて、その物語の続編となる形である。
作者の趣味が詰め込まれたこの作品は、以前読んだ物語のさらなる広がりを感じさせて、ぜひともこの続きが読みたいと思わせる引きで終わった。
完結はしていない。

同人誌という形態が、一つの豊穣を産む。
商業、となると、作り手は読者、それもある程度の利を取れるペルソナを想定し、ある種、マーケティングを駆使した手法で物を作ることもあるだろう。然し、マーケティングには限界がある。数字は嘘をつかないが、中庸ではない。往々にして、人の心理に影響を与える。売上が良いから良い作品、というのは数字の暴力にほかならない。

数字のゲームに付き合うことは、自分を捨てることに他ならないわけだが、自分の好きを追求していると、本来の芸術性が萌してくる。それは、恐らくは大多数に支持はされないかもしれないが、明らかに一つの歌となって、同好の士の心に響く。
好きなもの、趣味、フェイヴァリットを大切に作品に落とし込み、一番の読者を自分として書くことが重要だと思われる。

『碁精2』は人を置いてきぼりにする作品だが、囲碁の美しいところが煌々と描写されていて、真を掴んでいる気がする。それは、『いしのおと』もそうである。

囲碁の漫画といえば、諸星大二郎の『碁娘伝』という作品もある。

これは、舞台が中国の作品で、剣の腕も、囲碁の実力もある主人公が仇討ちをする物語だが、囲碁の強いことは、古来から中国では琴棋書画きんきしょがと言われるものの一つで、重要なことだった。
琴棋書画とは、琴=音楽、書=書を書く、画=絵を描くことで、棋は囲碁のことである。中国の文人の嗜みの四芸として、囲碁は重要なものだった。
囲碁は大局観が養われるというが、私も少し囓ったくらいなので偉そうには言えないのだが、全容を掴むのが非常に難しい遊戯である。広大な碁盤が埋まっていくにつれて、局所で様々なやりとりが並行して行われる。知的ゲームの頂点とも言えるほどに、熾烈な読み合いが求められる遊戯だ。
そして、何よりも黒と白の石の美しさがある。世界は全て0と1で出来ていて、同時に黒と白とで出来ている。黒と白は、恐らくは二つともが、一番に美しい色でもある。

知性と美質がどちらも養われる囲碁を、小さいお子様のいる方は、習わせてみてはいかがだろうか?

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