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谷崎潤一郎のお家♡


谷崎潤一郎は引っ越し魔で有名で、都合10回以上転居を繰り返している。

その中で有名なのは、兵庫県魚住にある倚松庵であろう。
倚松庵は、『細雪』の家として有名な建物で、今でも見学可能である。
私も二回程訪れたが、一度目は工事中で入ることが出来ず、二回目でようやく足を踏み入れた。
小谷野敦と小池昌代の『この名作がわからない』でも触れられていたが、意外に狭いのだ。物の10分もあればじっくりと見ることができる。
夏に伺ったから、窓が開け放してあって、風鈴が穏やかに揺れていたのが、印象に残っている。

倚松庵よりも感動したのが、京都左京区、下鴨神社の糺の森の裏手にある潺湲亭(現石村亭)である。ここは喧騒の京都から離れた裏路地にあって、すぐ向かいに糺の森の小川が流れている。今は京都の日新電機さんの迎賓館として使われていて、時折見学者を募っている。私はそのツアーに参加して中を見学させてもらった。この屋敷はとても広く、女中部屋などもあった。女中部屋は三畳〜四畳ほどの広さで、ここに詰め込まれて寝るのかと思うとぞっとした。お台所には井戸もあって、当時の生活の匂いが感じられた。離れもあって、そこは書斎のようで、大量の谷崎本が犇めいていた。
この潺湲亭は、谷崎の『夢の浮橋』の舞台となった屋敷だ。『夢の浮橋』はとても綺麗な小説で、揺蕩うような幻想性がある。ここで、主人公の糺が屋敷の池の中を見るシーンがあって、池の鯉はいつも底の穴蔵に潜んでいるという描写があった。私を案内してくれた方が、「ほら、鯉がいるでしょ。」と言って、見てみると、本当に、小説そのままに穴蔵から少し鯉が覗いていて、「すっごーい。小説っといっしょー。」と感動したものである。

この屋敷と同じ町内に、泉川亭という屋敷がある。ここは今は香港資本が入っているようで、中に入ることはできないが、川端康成先生が『古都』を書いた場所だという。

もう一つ、谷崎の家でこの目で見たいが叶わないのは、阪神岡本に建てた鎖瀾閣(さらんかく)である。うーん、この名称、美しい。
鎖瀾閣は和と中華の折衷のようで、オリエンタリズム漂う屋敷である。
哀しいことに、阪神大震災で倒壊してしまったのである。

妖しげな屋敷に住む芸術家という意味では、金子國義もいたが、彼の屋敷もまた、もうこの世には存在しない。


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