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車谷長吉の三笠山

車谷長吉の傑作である。
私はこれが彼の最高傑作だと思っている。『忌中』という単行本で読める。
車谷長吉の小説は、基本的には人生の暗黒面が描かれている。その中でも、これほどに透徹した冷たさは他にはないだろうと思われる。
基本的には、この本には、嫌な話しか書いていない。露悪的なイヤミスのようなものではなく、隣家で起きていそうな、ありふれているかもしれない悲劇だ。なんでこんな話書くの?と問いたいほどに、悲痛な話ばかりだ。


三笠山といえば、どら焼きを思い出す。
それから、谷崎潤一郎の『卍』の若草山。

今作は、新聞の三面記事から物語が作られている。
物語は、2人の男女が出会い、そして家族を設けるが、最終的には無理心中を果たす話である。これほどに救いもない、哀しい話はない。努力は報われず、死が口を開けているのだ。

主人公とその妻は、学生時代からの知り合いで、彼らは北条民雄の『いのちの初夜』について、クラス内で討論した結果、実際にハンセン病の患者が隔離されている島へ2人で行くことになる。
それから月日が流れて、彼らは最終的には結婚し、夫は妻の親の会社を継ぐことになる。が、不景気の波により、死が迫ってくるという話である。

『いのちの初夜』は実際にはハンセン病になった北条民雄の小説で、タイトルは川端康成がつけた。北条民雄は複数の小説家に向けて自作を送り、結果、川端が北条民雄をフックアップしたのである。
『いのちの初夜』は最近角川からも新装版で復刊されたし、青空文庫でも読めるので、読んでほしい。

かなりインパクトのある内容だが、勉強になる。

で、この『三笠山』は、車谷長吉の淡々とした、それでいて精緻な筆致で、
真綿で首を絞めるように、じわじわと主人公一家を苦しめるべく綴られていく。
子供らは何も識らない。まだ小学生である。彼らは、最終的には親に殺されるわけだが、その前日には、最後の遊園地へと趣き、楽しい一日を過ごす。宿で、美味しい食事を頂く。
その直前に、主人公は一縷の望みで、万馬券の為に、家族皆で競馬場へと赴く。
ここで、普通の作家や小説ならば、ある程度ドラマを用意するだろうし、ご都合主義なら勝てるかもしれない。
けれど、わずか数行で、彼らの命は絶たれることになったと、無情に告げるのである。

こんな恐ろしい小説、私は読んだことがなかった。
凄まじい作品だと感じた。そして、傑作のもつ重みが具わっていた。

『三笠山』は、非常に丁寧で、よく構成されていて、小説の見本のような傑作であるが、同時に恐ろしい運命を描いている。

今作では、歌人の吉野秀雄の歌が伏線として物語に登場する。
『寒蝉集』という作品に収められている。ここで歌われる、『真命(まいのち)』に関して、学生時代の主人公と妻が、どういう意味か話し合うのである。

これやこの一期のいのち炎立つせよと迫りし吾妹よ吾妹
ひしがれてあいろもわからず堕地獄のやぶれかぶれに五体震わす

この歌が、最後の最後に、文章に見事に織り込まれて、壮絶な物語は幕を下ろす。哀しみに満ちた、命がけの口づけで物語は終わる。

この小説を読んで、正直、谷崎潤一郎だの、川端康成だの、車谷長吉には小説を書く、という能力においては、車谷長吉には敵わないなと感じた。
小説家を目指す方には車谷長吉を読んでほしいなぁと思う。

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