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一番好きな女装男性はカンナビス

街のダニ共、全員死刑に処す

というのは、『狼の死刑宣告』の惹句じゃっくである。

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最高のキャッチコピーの一つであるが、この映画は復讐もの、ヴィジランテものである。
非常に良い映画なのだが、街のダニ共、全員死刑に処す、に関しては、私は『サイコメトラーEIJI』における、傑作エピソードであるテロリストの挽歌編を思い出してしまう。

以下、ネタバレはあります。

『サイコメトラーEIJI』は触れると物の記憶を掬い取ることが出来る超能力を持つエイジが主人公だが、今回はその仲間の1人であるトオルが主役になっている。
テロリストの挽歌が衝撃的なのは、その導入部である。トオルが出会う14歳の少女、加藤舞とのエピソード「迷える子羊」が描かれて、それは非常のほっこりとするボーイ・ミーツ・ガール的な話で、悩める少女の背中を押す話である。その話は1話限りで終わったかのように思えるのだが、次の話は少女の電車飛込自殺から物語が始まる。そして、その少女に集団で乱暴を働いて自殺に追い込んだチーマー(死語)たちが次々に殺されていく。エイジは事件の背景のことを知り、少女と親しかったトオルが三度目の殺人の現場に居合わせたことで、トオルが復讐者なのか…?!と思うが…的な展開で進む。

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然し、犯人はエイジの相棒の刑事志摩さんの上司だった轟さんである。
少女の轟さんの孫娘であり、エイジは轟の部屋に残る残留思念により、轟さんの舞への思いを見せられる。ここはまさに胸が締め付けられるシーンだ。
23年くらい前のエピソードだが、私は未だにこのシーンははっきりと脳裏に焼き付いている。

かつての上司を逮捕しなければならない志摩だが、轟さんは初登場時、好々爺的な感じな顔見せなのだが、いきなり骨格までが変わる。
轟さんは元オリンピックの射撃の代表(だったか候補だったか)で、戦闘能力も高い。この話は単行本1冊ほどだが、ピークはまさに、轟さんの怒り炸裂のこのシーンだろう。

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街のダニ共、全員死刑に処す。


それは紛れもない真実の言葉である。綺麗事など一切ない。
そして、志摩には非常に辛い選択が待っている。感情的には轟の行動に理解を示すのは、恐らくは多数の人がそうであろうが、刑事である志摩には、法治国家の番犬である志摩には、轟は絶対に否定しなければならない存在なのである。
とかく、この世の中は狂っている。

やったら、やり返される。


『シャーマンキング』での葉の言葉、そして、作品のテーマになっていく言葉である。
『シャーマンキング』において、チョコラブのエピソードなどある種この轟さんのエピソードに近いかもしれない。
身勝手な理由で人を傷つけた、殺した。その裁きを他人に託す、というのは被害者の関係者には耐え難いものがあるだろう。どれほどの怒りと失望と哀しみを抱えなくてはいけないのか。それと闘うということは、どれほどの苦痛を伴うことだろうか。
そして、同時に今作の轟さんのような、心が破壊された人と向き合うことは、どれほどの苦しみに耐え忍ばなければならないのか。

中学生の私はこの話を読んで、しばらく普通に落ち込んでしまった。
そして、今読み返しても、普通に轟さんの心情には同情できるし、その他の人物の思いも理解できる。
結局は、轟さんの立場に立たないと、轟さんの行動を非難することは出来ない。

この時期の『サイコメトラーEIJI』は非常に濃密な話が多く、黄金時代を迎える。この後に描かれたカンナビスのエピソードも素晴らしいが、やはり『サイコメトラーEIJI』では、この轟さんのエピソードが一番である。
一番洗練された話であり、シンプルでありながら、愛も憎しみも怒りも哀しみも、全ての感情が詰まっていて、少女の祖父への思いが語られる下りに、切なさがこみ上げるからである。


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