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聖なるもの

舟越保武は、舟越桂氏の御父上である。

偉大な彫刻家で、カトリックに帰依した人である。
舟越保武は、膨大な作品を数多残しているが、そのどれもが、聖なるものである。
聖なるもの、とは、この場合はキリストやマリアを指すのであろうが、船越氏の代表作としては、長崎26殉教者記念像であったり、島原の乱で戦士した兵士の亡霊の原の城であったり、キリスト教が強烈に根ざしている。
所謂、長崎の伴天連の、パライソが濃厚に背後にある。

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有名なのは、ダミアン神父であろう。ダミアン神父は、ハンセン病で亡くなった方であるが、彼は、ハンセン病の患者が隔離された場所へと行き、
彼らと過ごしたのである。当初、友愛を持ってその場所に入っていったダミアン神父を、患者の方たちは除け者にした。
あなたは、何を言っても、私達と違うではないか。
だから、ダミアン神父は早く自分も病に罹りたいと思った。彼らと同じ目線に立つために。彼らと、同様の苦しみを識るために。
そうして、ダミアン神父もまた病に罹ったが、そのような彼の心は、まさに異形、聖人だろう。私には到底想像もつかない境地である。
その姿を見た舟越氏は感動し、彼の姿を病魔に冒されたまま、立像として作り上げた。

ハンセン病といえば、『もののけ姫』にも登場する。打ち捨てられた人々を
エボシ御前が助け出し、タタラ場へと連れて行き、看病をする。彼女は先進的で、美しい聖人としてあの国に存在している。
森の生きもの達からは憎悪を募らせられているが、はぐれた者たちに寄り添う人だ。

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また、『キングダム・オブ・ヘブン』におけるボードワン4世は、20代で夭逝した名君主だが、彼もまたハンセン病だったと言われている。けれども、その姿は凛々しく、盲いていても、気品を忘れなかった。彼もまた聖人として今はその名が語り継がれている。

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『キングダム・オブ・ヘブン』も聖なるものを問う話だった。エルサレムを巡るキリスト教徒とイスラム教徒との闘いの中、主人公のバリアンは、真のエルサレムは人心にこそある、と絶体絶命の中、町の人々を守るために戦う。

このような聖人たちを、舟越氏は作り続けてきて、志半ばで死んでいった者たちの苦しみを掬い取り、またある時は、あまりにも美しいマリアたち聖女を産み出してきた。

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然し、脳梗塞で倒れてしまい、半身に麻痺を遺したとき、彼は、その麻痺の出た肉体で、力強いキリストの像を作り出した。
それが、『ゴルゴダ』シリーズであるが、これは私も写真でしか拝見したことがないが、その迫力には息を呑んだ。

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信仰が、作品を高みへと上げる。そのようなことは、間違いなくある。それは、商売に走るものとは別格の輝きである。

舟越氏は、『巨岩と花びら』において、自分の幼子が亡くなった話を書いている。その、哀しみと美しさに満ちた詩情は、読んでいて涙を誘われてならない。
私はこのエッセイのことを、車谷長吉の本を読んで識った。

聖なるものとは、何なのだろうか。時折、極稀に、そのような人がいるが、けれども、聖なるものは、いつも大勢の悪魔に追いやられてしまう。
その悪魔とは、自己愛である。

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