タルホと月⑪ 無一物
本嫌い、というのが稲垣足穂のスタンスである。
足穂は完全なる無一物であり(実際にはそれなりに所蔵していたときもあったようだが)、『ユリイカ』の創刊者であり、足穂を見出した伊達得夫いわく、「部屋には一切なにもない」というのが足穂であり、一時期は布団もなかったわけなので、まぁウルトラに貧乏だったので、しょっちゅうメガネを質に入れたりして、その金で酒を呑む。
現金も必要ない。銭湯代と電車賃、それだけあればよかった。
時々、天体望遠鏡を買ったりして贅沢をした。それも、すぐと手放した。
足穂には、本を架蔵することは罪悪である、的な価値観があり、学校の教員など仕事に必要な場合には致し方ないが、それ以外の、特に男性のコレクションなどは悪癖であると言っている。
要は、読みもしない本、持っていても読みきれない本を自慢するのは馬鹿、ということであり、知識そのものこそを頭に入れればいいのだ、というスタンスである。
彼は身辺には不動の広辞苑、それから他に数冊を時期によって変えて持っているだけだが、然し、凄まじい記憶力である。彼の書いた随筆などは知識の宝庫であり、並大抵の勉強ではなし得ないようなことがつらつらと書かれていて舌を巻く。その上、読んでも理解できないほどに話も飛躍するが、彼には視えている。
私なんかは古書が好きなので、所有欲もあるが、ある程度満足したら手放す。然し、また欲しくなるので、欲望に囚われている。
反対に、同じ無一物に関連した小説家ならば、車谷長吉はどうだろうかと思うと、彼もインテリである。然も、ウルトラに明晰な文章を書き、足穂との違いは科学的なことや哲学的な方面には疎く、少年よりも女が好きだということだ。
然し、小説の一作品として考えて、物語小説という意味での完成度は車谷長吉の方が高い。人間の感情の機微などにかけては、彼は本当に唸らせるものを書く。
車谷長吉は無一物に憧れていて、雲水になり、出家したい、世俗を捨てたいと考えていた。様々な場所を遁走し、最終的には料理屋の下足番になって、30代後半で再度一念発起し、40半ばで『赤目四十八瀧心中未遂』にて直木賞を受賞した。
車谷長吉は無一物に憧れていたが、自身も理解していたように、完全な俗物で(それを客観的に書くのが彼の文学である)、直木賞を受賞した際の喜びようは半端なかった。エッセイにはまぁ様々な祝賀にてんてこ舞いの様子が書かれている。
男子の本懐を遂げたと自ら言うほどであり、彼の繊細な魂は、評価されない、顧みられないことに耐えられなかったのだろう、この受賞で手に入った印税などで家を買ったりしている。
彼は20代そこそこで、『なんまんだあ絵』で新潮の新人賞候補になっていて、編集者からも目をかけられている。
本は数冊しか持っていないと嘯き、その実、家には凄まじい蔵書があったというエピソードがあるくらいだから、勉強熱心で、インテリである。
実際、全集などに掲載されている作家論、作品論などの評論においては、非常に優れた分析をしていて、やはり明晰な頭脳の持ち主なのだなと思う。多種多様の本を読んでいる。やはり、読書量は性格の悪さに拍車をかけるが、知性は研ぎ澄まされていく。
然し、真の意味で無一物にはなれなかった。
稲垣足穂は少し狂気的とも言えるので、ある種、車谷の理想に近い無一物なのではないだろうか。
彼は40年間もの長きに渡って顧みられず、極貧を経験し、(聖)セイントを見出した。
稲垣足穂は、自殺を前にした時に、死ぬほどのことを前にした時に、芸術の虚無性に気づくという。確かに、自殺を考えるほどの精神的圧迫の中、芸術には些かの価値もないだろう。
どちらもインテリであり、自己愛の塊であるが、結局は最終には、世俗か芸術か、そのどちらかで人は揺れる。遠藤周作の『沈黙』ではないけれども、転んでしまう。
栄光、大金、異性、名声、それらは全てを狂わせてしまう。全てが虚無なのに、それに気づかずに手を伸ばしてしまう。
稲垣足穂は、自分の言った言葉、書いた言葉もバンバン使ってくれというスタンスだった。詩人の加藤郁乎が「使わせてもらっています」と言った折、「ええですよ。どれも人間の書いた言葉や。」と答えている。
彼には、本など知識でしかない。言葉は、誰が書いても、誰が言っても、真理に到達すれば、それでいいのである。
だから、稲垣足穂自身も、作品は様々な人の言葉で溢れている。それもまた読書の為せる技。
足穂は、他者は自分だと言っていた。つまり、他人が何かすれば、それは自分がした、経験したのと同じことだから、自分は自分の領分を生きていればいい、そう言うのだった。それが、彼の無一物の根源にある。所有する意味はないのだ。
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