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パラダイス②


「どれか気に入った絵はある?」
トゥキの言葉に、泉は振り向いて、少し考えたあと、かぶりを振った。
「絵に興味はない?」
「あるよ。でも、この中にはない。」
トゥキは頷いて、
「趣味は?」
「読書。とサーフィン。」
「君も島出身?」
「日本には結構波の高い海岸多いの。」
「日本も島だろ。」
テイラーが話に入り込んで、泉は舌打ちをした。
「何を読むの?」
「『マノン・レスコー』。」
「『椿姫』?」
泉は幽かに頷くようで、然し、トゥキを見もせずに、絵の中の一枚を手にとった。そこには美しい日本の娘が描かれている。
「高畠華宵。日本の、数世紀も前の画家。気に入った?」
泉はじっとそのタブローを見ているかと思うと、ポイっと床へと投げて、そのまま部屋から出ていってしまった。
「我儘な女だ。まぁ、我儘じゃない女はいない。」
「経験が?」
「腐るほど。まぁ、君等は籠の鳥で、自由なんてないんだから、曲がっちまうのはわかるがね。」
「不自由はしていない。」
「金も、飯も、それから住処もあれば、必要なものはなにもないってわけか。」
「健康は必要です。」
「まぁ、君等の肉体は弱い。俺たちが造られて、さぁこれからウィルスに打ち勝つぞという時に新たなパンデミック。」
テイラーは目を細めた。その、地獄の最中を見てきたかのような目で、いや、実際にテイラーは見てきたのだろう。彼は本土の様子、文明社会の中枢にいたのかもしれない。花嫁の運び屋にはエリートが選ばれるという。そういう意味で、テイラーは優秀なのだろう。
「僕が生まれる前の話です。」
「君はゼロ世代だろう。だから、現人神なわけだ。」
「あの娘もでしょう?」
「うん。あいつはそれから四年後に産まれた。ゼロの、ほぼ最後だな。」
テイラーの言葉に、トゥキは目を細めた。最後の世代。泉の同世代は、この地球上に数えるほどしかいない。
「現人神なんて、くだらない話です。」
トゥキがそう言うと、テイラーの青い目の熱が消えた。
「まぁ、その神様を目の前に言うのもなんだけどよ、俺もくだらないと思うよ、実際ね。けどな、竺原博士があんたらの再生産に躍起なんだよ。」
「僕たちの子供?」
テイラーは頷いた。竺原。複製人間として産まれて、複製人間の科学者として、彼ら自身の数を莫大に増やした。
「なぁ。神様に聞いていい質問かはわからないが。」
「どうぞ。」
「神様を信じているか?」
「と、言うと?」
「俺たちは神を見ている。ここでも、こうしてな。紛れもなく。だからかな、信仰心が薄れていくわけだ。君等は俺たちの産みの親かもしれないが、あまりにも脆弱で、信じがたいほどに愚かだ。」
テイラーは澄み切ったガラス球の瞳を動かすこともなく、淡々と人類を慢罵したが、然し、多くの複製人間の総意なのであろう。
「だけどな、ある意味ではラッキーだ。神様がいるんだ。俺たちには空想じゃない、本当の神が。君等にも神様はいると聞いている。けれど、それは君らの前に姿を顕したことのない神だ。」
「そうですね。」
「なぁ、なんでそんなものを信じられるんだ?種族として絶滅を免れない君等は、自分たちが産み出したものに飼われているわけだが、君等の神様は君等を救ってくれないじゃないか。姿も見せない上に、声も聞かせない。なのに、なぜ信じられる?」
テイラーはトゥキを見つめたまま、心臓までもがブリキ製だと思えるほどに、顔色を変えることはない。波音が耳をさらって、トゥキは息をついた。
「つまり、貴方方には、もう僕たちは必要ないと?」
「初めに言ったとおりさ。」
テイラーは立ち上がり、煙草を咥えたまま部屋から出ていった。
 一人残されて、トゥキはため息をつくと、天井のファンを仰いだ。そうして、立ち上がりブラインドを覗き込むと、きらきらと星屑が散らばった浜辺の光に足を洗われながら波を見つめている泉の背中があった。

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