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好きだったよ

今公開中の映画で、岩井俊二監督の『キリエのうた』という作品があって、それを観たいなぁと思いつつも、まずはスコセッシの3時間20分の『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』を観ないといけないので、かなり厳しい様子。

私は特に岩井俊二のファン、というわけではないが、まぁ、1990年代後半から2000年代中盤くらいまでは、岩井俊二はすごい神聖視されていたし、『リリィ・シュシュのすべて』とか『Love Letter』とかもなんだかんだで好きだし、2010年代以降の、『リップヴァンウィンクルの花嫁』もやはり映像に魅入ってしまい、何よりも、一番好きなのは『花とアリス殺人事件』で、殺人事件って言葉は、まぁ、実際には最大級に嫌なことだが、これはタイトルにつければ、なんでも文学的、エンタメ的になる、不思議な言葉で、特に、文学との親和性の高さは注目に値する。
まぁ、『花とアリス殺人事件』の、あの、なんというかぐだぐだ感、その上で感情の積み重ねで物語を収斂させていくあの手法、あれが抜群に上手くて、それでいて大したことはなにも起こっていないのがいい。

で、岩井俊二といえば、監督作ではないが、2006年公開の『虹の女神』がウルトラに好きなのであるが、まぁ、あれはよくある難病もので、あの時代は難病が本当に多くて、『世界の中心で、愛をさけぶ』から人が病気で死ぬ話が本当に多くて、その、突然の別離、というのは、まぁ、お涙頂戴なわけだけど、この『虹の女神』はその点、他の難病ものと同族ではあるが、妙に喪失感がある。

死ぬ死ぬ映画はね、上手く決まれば凄まじいダメージを与えることも可能。

それは、あの、セピア色の映像風景、或いは、自分がほぼ同世代であることからくる、その時間の共有があるのかもしれない。いや、結句は、学生時代というものの持つ強烈なノスタルジアに惹かれているだけかもしれないが、『虹の女神』は市原隼人と上野樹里、その他の俳優の演技のあの異常なまでのリアリティテイストに、図らずも(いや、図っているのだろうが)、その時間がまさに彼処に置いて置かれていたような気がするのだ。
突然の別離、といえば、『テラビシアにかける橋』、という外国の映画もあるが、あれは、ファンタジーブームの最中、いや、ちょうど終盤に作られた映画で、まぁ、幼い恋の話みたいな感じだが、『チャリーとチョコレート工場』のアナソフィア・ロブちゃんが抜群の存在感で演じており、まぁ、彼女でもっている映画である。

なんか『アトランティスの心』とかを思い出す。まぁ、予告編を久々に観たら、本編いらない気も……。タイパ予告。

で、市原隼人、といえば、この『虹の女神』の頃に、『天使のたまご』、じゃなかった、『天使の卵』に主演していた。これも、永久の、突然の別離を描いた作品で、村山由佳原作の小説が原作である。

押井守の『天使のたまご』は藝術だが、意味は不明だ!


私は、当時、この映画は観ていなかったが(今も観ていないが)、原作は好きで読んでいたのである。
この小説で、村山由佳は第6回小説すばる新人賞を受賞したのだが、まぁ、年上の女性と恋に落ちた青年の物語で、最後には……という、非常にオーソドックスな物語で、当時村上龍が解説で、非常に凡庸だが、その凡庸さに逆に驚かされる、みたいなことを書いていたのだが、まぁ、たしかに凡庸なのだが、この小説の素晴らしいところは、いや、恐ろしいところは、今作のヒロイン春妃に恋する主人公の恋愛感情の瑞々しさだろう。この、恐るべき凡庸な感情こそが、汎ゆる虚飾を突き抜けて、最後の数ページ、圧倒的な喪失感と恋の美しさの表現へと昇華している。

私は、結構村山由佳の小説は読んでいて、一番好きなのは『BAD KIDS2 海を抱く』で、これは高校生のサーファーと優等生の女子高生が身体を重ねる話だが、そこに恋愛感情なくて、然し、思春の感情は溢れ出す、そのような物語で、まぁ、前作の『BAD KIDS』でもゲイの主人公など、周りとは異なる性にまつわる悩みを描いていて、私は別にそこに感情移入するわけでもないが、魂の孤独に触れている気はしたものだ。

恋愛、性愛、というものは答えはないので、何が正しく間違っているのか、というものは個人の価値観に委ねられる。
この価値観の相克こそが文学だが、私が思うに、文学はその相克を描き、その絶望的なまでの溝、そして、それでも溢れ出る愛、というものが書かれていてこそ、文学を文学たらしめているのではないかと思う(そうではないものもたくさんある、あるが、愛が不在だからこそ愛が浮かび上がるのである)。
人は、生まれてからずっと、ぶつかり、愛し合ってきた生き物であるから。

『天使の卵』と同様に『椿姫』も私の好きな小説で、これも悲恋の物語だが、これには元ネタがある。つまり、小デュマのこの物語は、彼自身の恋が元になっているし、それに昔の作品である『マノン・レスコー』をフュージョンさせたものであって、そこには、実感が込もっている。

先程、価値観の相克こそが文学だと描いたのだが、結句、最大の価値観の相克は恋愛、友愛、人間愛、郷土愛、全て愛から始まる。憎しみも愛から始まる。
そして、愛は喪って初めて気付くものである、本当には。

『虹の女神』もそんな映画だった。愛は、常に傍らにある。けれども、それをどうしても傷つけてしまう。どうしてそのようなことになるのか。それを解き明かすために、文学作品があり、そして、解き明かせないから、未だにたくさんの人が藝術という依代よりしろでもってして、それと対峙しているのだろう。


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