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機械仕掛けのボレロ②


 そのように、本や星に興味を抱くロイを、ファームの同胞たちは変わり者扱いした。複製人間は、肉体的な超越を持っていても、しかし、精神性の意味で、人間よりも幾分か劣ると、御父様は彼らに話して聞かせたものだ。尤も、それも今ではサイバースペースから繋がれるダクト越しの情報に取って代わったけれども。御父様の言葉を盲目的に信じるのであれば、複製人間は人形であって、それ以上の存在ではない。そうして、人間の遥か複雑な心を獲得しているのは、一部の複製人間だけで、それでも器があっても、魂はない。故に、複製人間たちは、AIと何ら変わらない、人間の手足であるべきである。
 ロイも当然、その父=神の言葉は生まれたときから本能と言えるほどに、脳みその片隅に鎮座しているわけだから、それを疑う道理はなく、本を読んだとしても、決定的な心変わりなど、起きようがない。そもそもが、人間たちとは違う。自分たちをクリエイトした存在と、肩を並べようなどという傲慢は、萌しようもなかった。ただ、ロイは美しいものをより愛しただけだった。美しいもの、それは、ダクトから機械的に流れてくる人口の記憶とは違う、ニューロンの発光の火が連鎖して立ち昇る炎。その炎に、本や詩は近しいものに思えた。
 そうして、先程まで、あの、山猫のような眦を尖らせていたフタナリヒラ、そのフタナリヒラは、一等に美しいものにロイに思えた。あの娘(青年)が、御父様と一緒に帰ってくるのか。心が痛んだ。あの娘(青年)、彼女(彼)は、御父様の寵愛を一身に受けて、そうして、ダクトから流れる御父様の言葉を、先程のように、直に耳に注ぎ込まれているのか。あの耳朶の赤らみは、それによる恍惚だろうか。御父様が語るように、フタナリヒラは神、乃至は天使であるのだとしたら、人間、その人間が使役する自分たちは、動物よりも劣る。ロイの性別は間違いなく牡であるが、しかし、その野生からはみ出たフタナリヒラはなるほど、彼らにとっては間違いもなく天上の存在であろう。天上の存在にならなければ、御父様の寵愛を受けることなど、夢を見るようなものだろう。
 遠くに雷鳴が聞こえた。外を見ると、月は雲に隠れて、そうしてその雨雲は、だんだんと広がっていく。
「ロイ。御父様のお車が。」
同胞が指を差した。この男の名前を、ロイは覚えていない。陰気な顔で、見ていて美しいと思えない。そうして、その男のささくれた指先を見ていると、薄靄立ち込めるファームの道を切り拓く、赤い火が見えた。あの自動車には、御父様と、あのフタナリヒラが乗っているのだろう。しかし、遠い場所である。あれは、神の御輿であって、ロイはただ見ていることしか出来ない。ロイは、近づいてくる車から視線を外し、また夜空を見上げた。巨大な月が、雨雲の奥底で瞬いていて、夢の中だった。
 月は、資源の奪い合いが収束し、各国の基地が置かれてから四半世紀、均衡状態だが、しかし、やはり宇宙は人間の住む場所ではないようで、幾多の戦闘が行われる度に、それが帯月者の精神に多大なストレスを与える。そのストレスを、人形ならば、耐えられると、御父様は語るわけだ。そうして、ロイにとっては、様々な詩や物語で謳われている美しい月に行くことは、他の同胞たちとは違う意味もまた孕んでいる。月は、兎や、かぐや姫の住まう場所であり、神の国である。そうして、そこに向けて空を飛ぶことは、彼のようなフタナリヒラになることのできなかった模造品、失敗作の、唯一の神への道だと、御父様はあの口で囁いていた。
 遠く、複製人間の宿舎から離れた御父様の屋敷に、音が帰ってきた。そうして、窓から目を逸らしてみると、車から降りる人影が見える。複数いて、御父様と、あのフタナリヒラだろう。
 ロイは天上を見上げた。どこまでも白く磨かれている。この、白い火のような宿舎、白い毛布に、白いキャップをかぶり、眠らされる宿舎、ここで、日々働かされて、最後にはあの黄色い月に跳ぶのだ。ロイはキャップを外した。白いゴム製のキャップは、複製人間が仕事を終え、宿舎に帰ると被らされる。それは、複製人間を識別する役目を果たすかのようである。そのキャップを外すと、ロイは黄金のように白く灼けた髪を、指で梳いた。ロイは、美しい白髪と、美しい体躯、そうして、美しい碧い目を持っていた。そして、自らが彫った星座。それから、詩を詠う心。彼の持ち物は、これだけだった。
「ロイ。」
ロイが振り向くと、ハイネがいた。ハイネは、美しい黒色の肌で、ロイと並ぶと対象で、幾何学的な神聖すら感じさせる。
「聞いた?御父様のパーティ?」
ロイはかぶりを振った。御父様のパーティ。ひどく魅惑的に聞こえる言葉だった。そうして、ロイはそれを知っている。御父様のパーティ。財界人、政界人が集う、御父様の資金繰りの場所。そうしてもう一つ、それは、骨董を集める好事家たち、同好の士が集う、ブルジョアジーの秘かな愉しみ。
「二、三日後の夜、お屋敷でね、また集いがあるそうなの。」
「俺たちには何ら関係のない話だな。」
「そんなことないわ。だって、明日は趣味人の集まりですもの。」
つまりは後者である。御父様は骨董の人形を集めている。それは、古代の仏像から、十八世紀のアンティーク、そうして、二十世紀のビスクドール、はたまた近代の、うち捨てられたマネキンまで、様々である。その様々を同好の士が集まって、品評するのである。その中で、御父様は毎度自慢の人形を持ち出す。つまりは、複製人間である。人間とは違い、魂がないとされるその複製人間、それも輝かしい、燦燦たる炎のような複製人間を、仲間に見せつけるのだ。
「つまり、俺か君も、お呼ばれされるかもしれないってわけだ。」
「そういうこと。ねぇ、そうしたら、御父様と一緒に、月のお屋敷に行けるかもしれないわ。」
ハイネは目を輝かせた。この美しい娘は、夢見る姫君のように、瞳孔までも大きく見開かれて、そのような御伽噺に期待している。ロイは小さく頷くと、
「君はそうかもしれない。俺は違うだろうな。俺は所詮は戦闘用さ。宇宙船外の戦闘要員。殺すために産まれてきたんだ。屋敷に入ることはできない。」
「そんなことないわ。あなたは頭がいいもの。たくさんのことを識っているじゃない。それは、他の複製人間とは明らかに違うわ。」
ロイは照れくさそうにはにかんだ。素直に嬉しく感じられたが、しかし、またすぐにかぶりを振って、
「でも、最近は薬の量も増えたんだ。」
「安定剤?」
「きっと、俺の心が少し変になってるんだ。そうしたら、戦闘でも迷惑をかけるかもしれない。そんな状態なんだ。俺には何もできないよ。」
ロイはそう言うと、また窓外を見つめた。耳を澄ますと、御父様の屋敷から楽の音が聞こえる。
「『牧神の午後』だ。ドビュッシー。」
「ほら。何でも識ってるわ。」
ロイは目を細めた。そうして、耳をさらに研ぎ澄ませて、闇を泳いでくる音譜を捕まえることに躍起になる。そうすると、心が落ち着くようだ。幾たびの、船外戦闘訓練で受けたポストトラウマが、音楽を聴く度に、何処かに流れ行くようだ。音楽を聴いている間だけ、ロイは薬を必要としない。
 目を開く。ロイの碧い目は、戦闘の夢を見ていた。ロイは汗だくのシャツとキャップを脱ぐと、隣で眠る同胞達の寝息に耳をすます。いつの間に寝てしまったのか。漆間の屋敷から聞こえる音楽はもう当然止んでいて、窓外から見える月が先程よりも仄白い。人の匂いすら幽けくしない夢幻の世界で、闘う夢を見ていた。ロイは就寝室から出ると、そのままロビーに一人座った。戦闘の麻痺からまだ逃れらない。頭を何度も振るうちに、夢魔が出ていくかとも思えたが、しかし、目ぶたの裏側にしっかりと映じているのは、昔殺した誰かだった。
 自分の記憶が混濁しているのは、心を安定させる薬のせいだろうか。本を読んでいる自分と、戦闘をしている自分との間に乖離があるように彼には思えた。そうして、一人ロビーのベンチに腰掛けていると、天窓から見える月はいよいよ燃え上がりそうなほどに白い。
「御父様のパーティーか。」
ロイは独りごちた。そうして、自分が招待されればいいなと思えた。ロイを含む、複製人間達は、御父様と直に話すことなどそうはない。会話があっても、ただの命令でしかなく、それは一方通行である。しかし、パーティーは違うと聞いた。パーティーには数十名の複製人間が呼ばれて、もちろん仕事はさせられるのだけれども、御父様と個人的な話を交わすこともあるという。それは、天上の声を聞くに等しい。ロイは、汗が引いて冷えてきた身体を温めようと、ロビーをぐるぐるとジョギングした。そうすると、天窓に見える月もぐるぐると回転して、白い火車に見える。そうして、天を仰ぎ見ながら走っていると、自分も月の一部と化したように思えた。
 数日経っても、ロイはファーム内で漆間を見かけることはなかった。毎夜、音楽が聞こえてくるから、屋敷にはいるのだろう。そうして、ハイネの言っていた、二、三日後の夜は、もう過ぎてしまっていた。パーティーはなかったのだろうか。それとも、自分が呼ばれなかっただけかと、ロイは、当然のことであると落胆もなかった。そうして、また日々の作業に戻るだけである。ロイは、月に向かうための民間用シャトルに搭載される、戦闘艇の整備を日々行っている。宇宙航空中に何かあれば、これに乗って出撃するわけだ。銀色の十字架のようで、死の棺桶である。これに乗るときは、命を失うかもしれない。そうして、この棺桶には、中に小さな戦闘服が入っている。真空での戦闘に特化した、棺桶とダクトパイプで繋がれた死の舞踏服である。何度か身に付けたことがあるが、重量は二百キロを超えるため、地球での使用には向いていない。人間ならば身に付ければ歩くこともままならないだろう。この戦闘服は、内部に幾つものパイプがさらについていて、それを、ロイは工学博士が拵えた、肩につけられたいくつものダクトに差し込む。そうすれば、彼の脳内ニューロンの制限から、エンドルフィンの異常防止、または呼吸器循環器系の無重力下における耐性限界の崩壊を容易に防いでくれる。
 しかし、その説明を宿舎で受けたとき、工学博士が用意したミニチュアの戦闘服と棺桶は、さながらおもちゃの兵隊をロイに連想させた。
 その、命を繋ぎ止めるパイプに異常がないか、丁寧に点検をしていく。その間、無心になって、ロイは作業に没頭する。そうしていると、名前を呼ばれた。ロイの上長(彼もまた複製人間である)が、彼の名前を呼びながら手招きしている。ロイは作業を止めると、彼の元までゆっくりと向かっていった。
「何でしょうか?」
「君にインビテーションカードが来ている。」
ロイは上長から渡された銀色のカードを受け取った。上長はそのままロイを残して行ってしまうと、彼は一人、呆けたような顔でそのカードを開いた。美しい銀のカードは開くと白地に朱色のペンでロイの名前、パーティーの日取り、時間、そうして、場所が書かれていた。当日は、正装で来るようにとも書かれている。
 ロイは信じられない心地で、指先で震える銀色の光を見つめた。そうして、正装で来るように指示されたとて、そのような服は持っていないことに思い至った。そうして、足が震えて動かないようだった。その場に立ち尽くしたまま、自分が先程まで弄っていた戦闘服に視線をやると、その色もまた、眩いばかりの銀色だったことに、不思議な照応を感じていた。
 そうして、ロイの心配は杞憂に終わった。パーティはもう二日後の夜で、宿舎に戻るとハイネに正装の件を相談する。ハイネはロイよりも何倍も御父様のパーティーについての知識があって、正装は恐らく、明日家に送り届けられること、またそれに合わせて、特別なエステを施してもらえることを、自慢げに話していた。もちろん、ハイネにはそのような体験はないわけだが。そうして、それは実際、ほとんどそのようになった。宿舎には配達人が来て、ロイのサイズに合わせたタキシードや革靴が入った、正装一式が送り届けられた。ファーム内にいる複製人間のサイズは全て情報が揃っているから簡単なことなのだと、またしてもハイネが嬉しそうに言った。そうして、そのまま指示を受けて、ロイは宿舎にやってきた特別なエステティシャンに身を預けることになった。髭をきれいに剃り(それは、憧れの御父様のように美しい頤になるほどに細かい髭まで狩り剃られた)、甘い香りのするシャンプーで髪を洗われる。全身の至るところを、丁寧に揉みほぐされる。ロイには全て、初めての経験である。そうして、それらの施術が終わると、ロイは見違えるように、洗われたように新しくなった。
「卸したてのお人形ね。」
ロイを見て、ハイネはほほ笑んだ。
「いやな冗談だ。」
ロイは眉根を顰めて、ハイネを睨んだ。
「ロイが選ばれるなんてね。」
「俺も不思議だよ。なんで俺なんだろう。」
「さぁ。私にはわからないけど……。御父様のお眼鏡に適う部分があったってことでしょう?」
ハイネはそう言うと、まるで自分のことのように笑った。その嬌声に、ロイの顔もほころんだ。
「でも、きっと、ロイは御父様の自慢のお人形なんだわ。」
今度は羨ましそうに、ハイネは言う。ロイは、ハイネが先程から言う、人形という言葉、おもちゃという言葉に、不快な思いはあったが、しかし、仮に自分がおもちゃであるのならば、それはハイネより優れているのだろうかと、微かな自尊心が鎌首を擡げる。
「いいわ。ねぇ、ロイ。楽しんできなさいよ。御父様のパーティーは、行きたくても行けないのがほとんどなんだから。」
ハイネはそう言うと、また声を立てて笑った。ハイネの明るい声に、ロイは先程までの危うい自尊心を恥じた。

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