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ダダイズム作品集 『造園学のリボンをつけた家』 田中啓介の作品

最近あがなった本に田中啓介の『造園学のリボンをつけた家』がある。

これは前から欲しかった本で、大正期のダダニスト詩人である田中啓介の唯一の書籍である。

約160ページ。2017年刊行。

そもそも、大抵の人には、そもそも田中啓介とは誰なのか、という話であるが、田中啓介は稲垣足穂の熱心な読者以外は識る良しもない、彼の大正期の取り巻きの1人である。
田中啓介は、大正時代に稲垣足穂のグループの1人になって、彼の紹介で同人誌などに作品を発表した。特に有名なのが、『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』、つまりは、『G・G・P・G』といダダイズム/シュールレアリスムにまつわる文芸誌で、野川隆や北園克衛などが書いている。
北園克衛は超有名な詩人であるので、本もたくさん出している。大物である。

デザイナーや写真家でもある北園克衛。だからか、オシャレな男である。ちなみに、『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』はウルトラにレアな雑誌で、復刻版でも高いが、元本なら1冊20万円とか30万円します。

で、田中啓介に関しては、そうして大正時代に同人として活躍し、昭和のはじめに亡くなったのである。彼は早世で、少年詩人と呼ばれていたから、恐らくは20歳前後で亡くなったのではないかと思われる。彼は、ほとんどその詳細がわからない人物なので、ある種、伝説の存在とも言えるかもしれない。伝説の人、神話の人とも呼べるのかもしれない。
この本は2017年に出版された限定100部の少部数本であり、定価は6,000円する。
田中啓介はほぼ一切の情報がない存在なので、作品は同人誌などから蒐められた極めて珍しいものばかりで、こういう本というものは、熱情の塊である。
超有名作家ですら原稿の散逸があるのだから、田中啓介のようなある種、完全に素人作家の作品などは、見つけ出して本を編むだけでも大変な事業であり、6,000円は当然の対価である。寧ろ、安いくらいだと言えるだろう。普通にしていたら、まぁ手に入らない同人誌ばかりであるから。

で、問題の内容であるが、私はこれを読んだ時に、哀しい思いがしたものだ。
以前記事でも書いたのだが、ここに書かれているのは同時代を生きた憧れの作家の完全なエピゴーネンであり、そのガワだけを真似た哀しい作品だった。
彼の作品、そこでのすべてのイマジネーションが模倣である。模倣、というのは私は寧ろ肯定するものだが、彼の場合はその憧れた太陽が大きすぎるために灼かれて翼の落ちたイカロスになってしまっている。

彼の作品を通読していくうちに、彼の中でのオリジナリティといえるものは数えるほどしかないが、その中でも、彼が好きであろうモチーフが煙草のゴールデンバットであることは、この本の装丁からも疑いようがない。彼が好んでんでいた銘柄なのだろうか。

彼の作品の中でも、それなりに長い作品、とはいえそれでも短編だがー、『少年の黄昏』においては、彼の本質が出ているように思われる。つまりは、彼自身の放つ熱を感じられる作品ー。
中学生である聖一が、もうすぐサンフランシスコに行ってしまうという奥さん(日本人)への思いと、様々な鬱屈を抱えながら、田中啓介なりの幻想のフィルターをかけた港町を彷徨うような話である。
その表現は、どこか病的であり、他の作品ではあまり顔を覗かせない、性的な描写も多々あり、それもまた病的で、この、病的な、女を求める少年の黄昏こそが、本来的な田中啓介の世界観なのではなかろうかと思われる。
そこでこそ、少年はゴールデンバットを吹かしながら、極めてダダ的な幻想の帳が降りた世界を睥睨する、そのような世界。
そして、これは若干私小説的な香りも孕んでいる。どこか現実味がある。つまりは、彼は夢のような幻想の世界に遊んでいるが、本来的には、厭世的であり、病的な世界を幻想で包むことこそ、得意とすべき資質だったのではなかろうか。
だからこそ、病的な世界、そこでの退廃的な性への渇望を書けば、一等に素晴らしい作品を書けたのではあるまいか、などと、そのように想像する。

憧れ、というのは時に縛鎖になるし、それで自分をスポイルしてしまう可能性が往々にしてある。

何れにせよ、彼は早くして世を去ったわけで、たくさん作品を残せた訳では無いが、だからこそ、これらの作品群には哀しみが相伴するだけではなく、そこから開くはずだった他の何かの可能性が見えたのが、それをより深くさせた。
いや、若かったからこそ、本当の自分というものを模索して藻掻いていたのかもしれない。
その萌芽は、とりわけ『少年の黄昏』において強く出ていたし、タイトルもまさに、彼にとっては少年時代、憧れの終わりの時だったのかもしれない。





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