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王と王子の部屋

車 


汽車
汽船
拳銃
哲学
狩猟
戦争


これら全ては 王から王子への求愛の贈り物にございます
お気に召されましたでしょうか?

王子は部屋いっぱいのそれらの贈り物を見て首を振った

ううん 
だってこれはぜーんぶ 
パパが パパのために贈ったものでしょう

それならばこれはどうだと 
王は 
王冠を王子の御頭おつむりに乗せてやった 
途端に王子は消えてしまった
王はうなだれて 
鏡をみると 
大人になった王子が映っていて
さっきまでの王は消えていた

植物園からの帰り道、眠ってしまった息子を抱いて歩き疲れた私は、川沿いのマンションの階下にある喫茶店に入り、アイス珈琲を一杯注文した。
息子を窓際のソファ席に横にさせて、辺りを見回す。客は私の他に数名。
皆、新聞を読んだり、本を読んだり、私達に気を留める者はいない。静かにクラシックが流れていた。ラヴェルの『妖精の園』。
観葉植物の狭間から息子のほほに、唇に、額に、五月の明かりが射すたびに朱が顕れる。アイス珈琲が運ばれてきて、その水滴を指先で撫でた。
ストローで垂らしたミルクをかき混ぜていると、隣にいた二人の男性の声に意識が奪われる。ちらりと横目で見ると、一人は柔らかいウェーブのかかった茶髪に黒い髭の男、相対する、丁度私とは向かい側、息子の隣に座した男はスーツを着ていて、剃り跡が蒼い。彼が少し動くと、花が匂うようだった。
彼が話すと、また別の花の香がするのだった。

ー王と王子について謎解きの続きを

ーどうすれば二人共出られるのか?という話ですね

ー「王と王子の部屋」は名前の通り
王と王子の部屋なのです
だからこの部屋は
二人だけの部屋ということです
無論 
死はこの中に入ることができます
そして 
この部屋に入るときは一人でしか入れませんし 
出る時も一人だけなのです
二人まとめて出ることはできません
王は王子の替わりにはなれませんが 
王子は王の替わりになれます
ここが肝です 
王子は王の替わりなのです
けれども
王子が王になると
今の王は昔の王になりますから 
消えてしまいます
その代わり 
新しい王子が部屋にやってくる
また二人になります
そうして
王と王子はまた二人で仲良く暮らすわけですが
出ることはできません

ー王妃様は?王様の御相手の

ーご冗談を
王の御相手は王子です
だから
「王と王子の部屋」なのです
さぁ
出る方法を
どうぞ
お考えください
時間はたっぷりとありますから

ー私の性に合いません
答えを識りたい性分なのです

ー単純な答えですよ
王子は王の替りです
つまり
王は王子を自分と見立てている
それを自覚するかです
王は王子の理想であって
王子は王の理想である
要は
二人は同一人物だということです
違うのは人格だけなのです
それがわかれば
出られるでしょう

ー王妃と王女ならどうでしょう

ー王妃と王女はむずかしいでしょう
二人それぞれ
互いに他人だと認識しているからです

彼等が席を立って、店から出ると、私はさっとテーブルの紙ナプキンを取って、そこに先程の紳士が喋っていた「王と王子の部屋」の図を描いてみた。
そのナプキンを折りたたんで胸ポケットに入れると、未だに眠る息子を抱きかかえて、マンションまでの道を歩いた。
途中、教会の脇にある花屋で、きれいにひらいていた百合と菫の花束を購った。
部屋に戻ると、息子はぱちくりと目を覚まして大きく伸びをした。
バスルームで、草原遊びで汚れた足を石鹸で丁寧に、指の間まで丹念に洗ってやり、ついでに彼の身体をシャワーで流した。
バスタオルで拭いてやり、水色の襟のついた白いシャツと半ズボンを着せてやった。
清潔なマリーン。彼はソファに座ると、天体写真集を手にしてパラパラとそれを捲る。私はキッチンに立ち、冷蔵庫からまだ封を空けていないベージュの包み紙からバターを取り出す。トーストで焼いたパンにキッチンナイフでバターを塗り、それを与えると息子は美味しそうに食べている。
さっと立ち上がり、だんだんと日が落ちて窓外の都会が菫色に染まる中、遠くの空に、黄金のバルハンを見た。
窓をさっと開けると、子供たちの隠れん坊をする声が聞こえてくる。その声の反響するたびに、きらきらと空のバルハンから星屑が降ってくる。
私は、テーブルに置いた百合と菫の花束を解きほぐすと、そのままそれで花冠を拵えた。
息子の元までそれを持っていき、腰を下ろすと、バターで濡れた唇を指で拭いてやる。そうして、そのまま花冠を息子の御頭に被せてやった。
誰かを探す声が、いくつも重なり合って、いつの間にかそれは聖歌のように聞こえてくる。
私は、先程の彼等の言葉を反芻しながら、息子の耳に触れてみた。
これは、ちょうど、私の耳の形と同じだということに、はたと気がついた。


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