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源氏物語 現代語訳 賢木その5

 夜もすっかり明けてしまいましたので、命婦と弁が二人して厳しい言葉でお諌め申し上げます、中宮があたかも死んでしまわれたかのようにぐったりしていらっしゃるのに胸が痛まれ、「こんな私がまだこの世に生き永らえているとお聞きになられるのが恥ずかしくてなりません。いっそ死んでしまおうかとも思いますけれど、それもまた後の世に遺恨を残す事になりますので……。」などと申し上げますが、中宮は異様なまでに思い詰めておられます。

「お逢いすることの難しさが今日だけでなくこの先も永遠に続くのであれば、私はいったい幾つの世を嘆き暮らせばよいのでしょう

この想いが往生の妨げとなりませんよう……。」と申し上げましたところ、さすがに感じ入るところがおありだったのでしょう、

「この先幾つもの世に渡って私に恨みを残されるのも、詰まるとことろは貴方の徒し心が招いたことと分かっていただきたいものです」

そうさらりと仰るお姿が、たまらなく愛しいとも思われますが、やはりその御心中を慮りますとご自身も身の置き所がないほど辛く、心ここにあらずの呈でお退がりになりました。

 どの面下げてまたお目にかかれよう、せめて私を不憫と思っていただければ、と思われ、後朝の文もお遣わしになりません。ぱたりと宮中へも東宮の御前にもお伺いせず専ら御殿に籠られて、寝ても覚めてもなんとつれないお心の持ち主かと、みっともないほど恋しく同時に悲しくてたまらず、魂をなくして脱け殻のようになられた挙げ句、ほぼ廃人同然となられております。淋しくて淋しくてたまらず、この世にいる限り憂さが晴れることはないのだからと、ふっと出家のふた文字が脳裏を過りますが、あの西の対の姫が愛らしく、健気に自分一人を頼りに思ってくれている事を考えますと、そうおいそれと振り捨ててゆくわけにもまいりません。

 方や中宮も、事の名残にずっとお加減がすぐれません。源氏の君がさも気を引くかのようにわざとらしく御殿に籠っており、訪れることさえなさらないので、命婦などはいたく気を揉んでおります。中宮も、他ならぬ東宮の為を思えば、距離を置かれることはお気の毒で、そのうち源氏の君が世をはかなんだ末に、出家なぞなさるようなことがあれば……、とさすがに気が気ではありません。しかしながら、あのような想いをこの先も絶えることなく寄せられるとしたら、いずれのこと口さがない世間に浮き名が漏れ広まってしまうであろう、どうせならいっそ大后が怪しからん事と憤慨なさっておられる中宮の位を退いてしまおうかとまで、つらつらと思い巡らしておられます。

 亡き桐壺院の思慮深いお言葉の数々、そのあまりの畏れ多さを思い浮かべられますだに、世は移ろいゆくもの決して昔には戻らない、戚夫人の遭遇した憂き目とはいかぬまでも、いつかきっとこの身にも人のお笑い種となるようなことが起こるに違いない、等々我が身を厭い生きていることさえ辛くなり、かくなる上は世を背いてしまおうと決意されますが、東宮にお逢いしないままお髪を下ろされて様変わりしてしまうことを考えますと、申し訳ないお気持ちになり、ひっそりと参内なさいました。

 大将源氏の君は、ほんの些細なことでさえご配慮を怠らず仕えてこられましたが、このところのご病気を口実に、参内のお供もお務めになりません。もっとも通り一遍のご挨拶はなさいますけれど、まったくすっかり億劫になられて……、と事情を把握している女房たちはご同情申し上げております。

 東宮は、まことにお美しくご成長なされて、久方ぶりのご対面をお喜びになりまとわりついていらっしゃいます、なんと愛くるしいのでしょうとご覧になられますが、それだけに出家の決意がつい揺らいでしまわれます、それにつけても宮中を見渡せば、この世の儚さが身に沁み、移り変わってゆくあれこれがあまりに多いのでした。

 大后のお心向きもいたく気がかりで、こうして出入りなさるのもきまりが悪く、何かにつけて気の重くなることばかりで、東宮の将来を思えば不安でなりません、万事悩み事の種は尽きませんから、「しばらくお逢いいたしません間に、この姿が無様に変わってしまったら、どうお思いになられるでしょうね。」と申し上げましたところ、じっとお顔を見つめられ、「式部のようになるってことかしらん。あんな風になるわけないじゃありませんか。」とにっこり笑ってお答えになります。そのお姿が涙が出るほどいとおしくて、「あれはですね、歳をとって醜くなったのですよ。そうではございません、髪もあれよりずっと短くなり、墨染の衣裳を着て、まるで夜っぴいてお祈りを捧げるお坊様のようになるとすれば、こうやってお逢いするのもなかなか出来なくなるかもしれません。」そう仰った途端に涙がはらはらとこぼれます、すると東宮は真剣な表情で、「久しく逢えないなんて淋しいに決まってます。」とつられて涙をぽろりと零されますが、恥ずかしいと思われたのでしょう、さすがにお顔を背けてしまわれました、垂れ髪が清らかに揺らめき、眼差しがお優しくきらきらと輝いておられるのが、大きくなられるに従い、さながらあのお方のお顔を脱いで取り付けたかのようです。虫歯が少し目立つ口の中がわずかに黒ずんだお顔でにこにこと笑っておいでになるお美しさは、ぜひとも女にして拝見してみたいと思うほどの麗しさでございます。ここまで似ていらっしゃることを思えばつい憂鬱にもなり、そのことがあたかも欠点のようにすら感じられますのも、口さがない世間の評判を気にされてのことに相違ありません。

 大将源氏の君は、実のところ東宮にお逢いしたくてたまらないのですが、無下な扱いをなさる中宮のお心に、時々は思い知らせて差し上げようとばかりに、必死に堪えながら日々を送られておられますものの、外聞を憚るほど無聊を持て余された挙げ句、秋の野の見物がてら、雲林院に参詣なさいました。亡き母君御息所の兄上の律師が籠っておられる僧坊に逗留され、法文などを読みつつ念仏修行をなさろうと思い立たれ、わずか二三日いらっしゃる間にも、胸に去来する様々なことがございました。

 紅葉がようやく色づいて、秋の野が実に味わい深くなっておりますのを見渡されておりますと、ついご自邸のことも念頭から抜け落ちてしまう心境になられます。法師たちの中の優秀な者を一人残らず召し出され、論議を戦わせては聞き入っておられます。どれほど世の無常を感じて夜を明かされても、しまいにはやはり薄情な人よとつい思い出されてしまう明け方の月影、法師たちが閼伽を奉るべくからからと音を立てながら、菊の花、紅葉の濃いのや薄いのを折り散らしておりますのも儚いのものですが、こういった仏道修行は現世の虚しさの救いとなり、来世への頼みとなるのです。それにしてもつまらない我が身をいつまでこうも扱いかねて悩めば気が済むのだろう……、などとひたすら想い巡らしておられます。律師がまことに尊いお声で「念仏衆生摂取不捨」と、声を延ばして唱えられておられるのが羨ましくもあり、引き換え何故自分は思い切れないのだろうとお考えになりますと、まず真っ先に西の対の姫君の面影が浮かんでしまわれるのは、往生際が悪いとしか申し上げようがございません。

 この度は例になくお逢いしない日々が長いので心許なく思われて、お手紙だけは頻々とお遣わしになります。

この世を捨てられるかどうか試してみたくてここに来ましたが、どうにも虚しさが拭えません、それどころか心細さは募るばかりです。まだ聞いてみたいお話もございますから当分おりますが、どう過ごされておいでですか。

などと普段使いの陸奥紙にさらさらと認められる筆致のなんという流麗さでありましょう。

浅茅生の露にも似た家に貴女を一人残し、ここで四方の嵐を聞いておりますが、心はざわつくばかりです

そんな心細やかなお気遣いに、姫君も思わず涙が零れます。お返しは同じく普段使いの白い薄紙に

風が吹けばまず一番先に乱れますのは、色が変わった浅茅生の露にかかる蜘蛛の糸なのです

とだけ、「いつの間にすっかりお上手になられたなぁ」と独りごちられ、なんて可愛いんだとにんまりしておられます。欠かすことなく文のやり取りをなさっておられますので、ご本人の筆遣いによく似ており、ほんのり色っぽく、女らしさが加味されております。何につけても不細工なことがないよう上手に育て上げたものよなぁと自画自賛しておられます。

吹き交う風も近しい距離にありますから、斎院にもお便りを差し上げます。女房中将の君に、「こんな風に旅の空をあてもなく彷徨うほどの恋患いを、おそらく解ってはくださらないんでしょうね。」と恨み節を述べられ、御前へは、

口にすることも畏れ多いことですが、あの頃の秋が偲ばれる木綿襷でございます

昔を今にと申しますのも今更ではありますが、つい取り返しがつくような気がいたしまして……、とさも馴れ馴れしげに、浅緑色の唐紙に、榊に木綿などお付けになり、いかにも神々しさを演出なさってお遣わしになります。お返事は中将がこんな感じで、

「気の紛れる事もなく、ただ在りし日々をぼんやり思い返す所在ないひと時には、貴方様とのあれこれを思い浮かべる折もございますけれど、所詮は虚しいだけでございます」と、わずかに心に留まっていることも多いようです。斎院のお返しは、木綿の片端に、

さてその昔私と貴方との間に何があったというのでしょう、木綿襷にことつけて偲ばれると仰るわけは

近しい世では存じ上げません、と認められておりました。

必ずしも繊細な書き様ではありませんが、淀みがなく、草書もずいぶん上達なさっておられます。ましてや朝顔を贈ったお顔立ちもどれほど美しくなられたことか、と想像するだけでつい劣情をもよおされてしまいますとは、なんともそら恐ろしいことでございます。ああ、そう云えばちょうどこの頃であった、野宮の秋の風景が身に沁みたのは、とふと思い出され、奇妙なものよ、また同じ目に遭っていると、神を恨むお気持ちになられるなぞ、はしたないことこの上ありません。そこまでの想いがおありなら、結ばれてもおかしくはなかったですのに、そのお年頃には考えなしにのほほんと過ごしておられて、今になって悔やまれておられる……、一寸理解しがたい心情でございます。斎院の側も、そのような不可解極まる御性分をすっかり把握しておられますので、たまのお返事の折にもそう無下にも出来かねておられるようなのです。これまたいささか不適切ではないでしょうか。

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