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源氏物語 現代語訳 賢木その2

 十六日になり、桂川にて御祓をなさいました。これまでにも増して、伊勢までお送りする長奉送使はもとより上達部までも、高貴で教養のある者たちを選りすぐられました。おそらくは桐壺院の御意向を受けての人選でしょう。

 いよいよ旅立ちの時をお迎えになり、大将源氏の君が例によっての尽きせぬ想いを縷々述べられます。

申すも畏れ多い御前にて、と木綿に付け、

雷神でさえ仲を裂かないと申します、

八州を守る我が国の神々よ、心あるなら尽きせぬ想いを抱く二人の仲を今一度見極められよ

考えても考えても思い切れません、と認められておりました。お取り込み中ではございましたが、お返しがありました。斎宮の御歌は女別当が代筆いたしました。

国の神様が空から判断なさるほどの二人の仲なら、まず真っ先に実のない言葉を糺すでしょう

 大将源氏の君は、御一行のご様子をその目で確かめたく思われますが、振られた身でお見送りするというのも不細工な気がして、思いとどまられ、すっかり悄気ておられます。一方で斎宮の御返歌が妙に大人びているのを、微笑ましく眺めておられます。お歳以上に嗜みのある方かもしれないとよからぬ想いが頭をもたげます。このように、普通ではない面倒な身の上の女人につい心惹かれる悪い癖がおありですので、振り返ればいつでもよく見ようと思えば気軽にお逢いできたはずなのに、つい見損ねたのは残念至極、まぁそれでもこの定めがたき世であるから、いつかまたお逢いすることもあろうなどとお気楽に考えておられます。

 お二人の旅立ちのお姿が奥ゆかしく優雅ですので、見物の車も大勢くり出しております。申の刻にまず宮中に参内なさいます。御息所が斎宮とご一緒に御車に乗られるにつけ、かつては亡き父大臣がいずれは后にと望まれ大切に大切にお育ていたしておりましたのがすっかりお歳を召されて老け込まれ、晩年にもなって内裏をご覧になられるのですから、筆舌に尽くしがたいほどの悲しみに襲われておられます。思えば十六の歳に亡き皇太子の許に上がられ、二十歳の時に先立たれました。そしてまた三十になり今日また九重をご覧になられるのです。

かつての幸せな日々を思い出すまいと耐え忍ぶけれど、心に蟠る悲しみが拭えない

 斎宮は十四歳になられております。きわめて美しくご成長なさいましたのを、更にいっそう麗しく装わせて差し上げましたので、身震いするほど神々しくお見受けいたします、お上もいたく感動なさいまして、別れの櫛の儀式を執り行われる間も、感極まられつい涙を零されました。

 御退出なさるのを待ち受けて控えております八省に立て続けてありました旅立ち御車が、袖口も色合いも何もかもが斬新で趣味がよろしく、殿上人達の中にも、想いを寄せていた女房たちとの極私的な別れを惜しんでおります者が大勢おります。

 暗くなってからご出発になり、二条より洞院への大路を曲がられますと、二条院の前に出ますので、源氏の君も万感胸に迫るものがおありで、榊に挿し、

私を振り捨てて今日は旅立たれましたが、鈴鹿川を渡られる頃八十瀬の波にきっとお袖が濡れるでありましょう

と認められたものの、まだ真っ暗で何かと取り込んでおられます、翌日逢坂の関の向こうからお返しがございました。

鈴鹿川の八十瀬の波に私の袖が濡れようが濡れまいが、遥か先の伊勢まで誰が思いやってくれるでしょうか

そうさらっと書かれてありました、まことに流麗な筆致があたかも匂い立つようで、惜しむらくは今ひと匙しんみりとした味が添えられていたら……と思われました。霧が深く深く立ち籠めて現実とも思えぬほど霊妙な夜明けを、ぼんやりと眺めながら独り言を洩らされます。

この秋は向かわれた伊勢の方を眺めやっていよう、だから霧よ逢坂山を隠さないでおくれ

西の対にもお渡りになられることなく、誰のせいでもない他ならぬご自身が招かれた淋しさを持て余しながらお暮らしになられております。ましてや旅の空の下のお方のご心中やいかばかりか、察して余りあるものがございます。

 桐壺院のご病気は、十月に入ってずいぶんと重くなられました。世間の誰もが心を痛めております。お上も気が気でなくお嘆きになりお見舞いがございました。すっかり気弱になられ、一にも二にも東宮のことを返すがえすお頼みし、続いて大将源氏の君の処遇、「私の時代と変わることなく、大きな事も小さな事も遠慮せず、あらゆる面で後見役と思われてください。歳に似合わず、世のまつりごとにつきましてもまず問題なく執り行ってくれるはずと見ております。必ず世の中をきちんと治めてくれる相を持つ者です。そういうわけですから、いろいろと差し障りもありましたので、臣下としてゆくゆくは朝廷の後ろ楯となるべくあえて親王にもしませんでした。どうかこの気持ちを無になさいませんよう。」と、涙なくしては聞けない数々の御遺言がございましたが、女がどうこう云うべき類いのお話ではございませんので、ほんの些細な事を書く記すだけでもつい臆してしまいます。お上も悲しみに胸がふたがれて、決して御遺言に背かぬ旨、幾度も幾度も申し上げます。お顔も実に清らかにご立派にご成長遊ばされ、院も嬉しくまた頼もしく目を細めてご覧になられております。お時間に決まりがありますので、急ぎ帰られますが、後ろ髪引かれる事がきっと多かったのではないでしょうか。

 東宮も、ぜひご一緒にと思われましたが、お上の行幸と重なってはなにかと騒々しくなりますので、お日にちを変えられておいでになりました。お歳のわりには大人びてお顔も整いお美しく、常日頃より父桐壺院を恋い慕っておられましたから、ただただ無心に喜んでおられ、ご様子を伺うお姿が哀れを誘います。中宮が泣き濡れてすっかり気落ちされておりますのをご覧になる院のお心には、様々の想いが去来されておられます。東宮に向かいいろいろとお話なさるのですが、いかんせんまだお子様でいらっしゃいますゆえ、もどかしさに不安と悲しみを感じておられます。大将源氏の君に対しても、朝廷にお仕えする際の心構え、この東宮への御後見役としてなすべき事を、くどいほど繰り返し繰り返し仰られました。夜が更け、ようやく東宮がお帰りになります。御付きの者達が一人残らずあたふたと大騒ぎしている光景は、お上の行幸となんら変わりありません。まだまだお話足りない院は、お帰りになられた後もいたくお心が残っておられるようです。

 弘徽殿の大后もお伺いなさろうとされましたが、中宮がずっとお側にいらっしゃるのに気兼ねして、後込みなさっておられるうちに、非道くお苦しみにもなられず御隠れになられました。人々は上を下への大騒ぎです。単に譲位なさったというだけで、天下の政を執り行われておられましたのは以前となんらお変わりありませんでしたのに、まだお上はいたってお若く、御祖父右大臣は性急かつ酷薄でいらっしゃいます、あの御気性の思うがままの世になってしまってはどうなることかと、上達部、殿上人は誰も彼も途方に暮れております。

 中宮、大将といった方々は、それ以上に取り乱されて、その後の御法事などをお勤めになられておられるお姿が、他の大勢の皇子達の中でもとりわけ神妙にお見受けいたしますのも、当然と云えば当然ながら甚だお気の毒と世の人々も拝見いたしております。藤の喪服に身を包まれてお窶れになられておられる源氏の君は、この世のものとも思えぬほどに麗しく痛ましいお姿でございます。昨年今年と立て続けにこのような目に遭われましたので、世の無常をひしひしと感じられて、これを機会に出家のふた文字が脳裏を掠められますが、やはりまだなにかと足枷が多いのでございました。

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