「千本ノックどころか“一万本”書いてました」放送作家 澤井直人が壮絶な下積みを経て身につけたアウトプット力
美容系クリエイターのプロデュースやキャスティング、企業のSNSやYouTubeのマーケティング支援などを手掛けるbuggy株式会社。代表を務める関根(@mu41208)と、buggyに関わるさまざまなクリエイターが対談する企画の第二弾をお届けします。
今回のゲストはテレビ番組やYouTube動画の企画を手がける、放送作家の澤井直人。
『ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ(フジテレビ)』『NEOべしゃり博(フジテレビ)』『ダウンタウンvsZ世代~ヤバイ昭和あり?なし?~(日本テレビ)』『タクシー運転手さん一番うまい店に連れてって!(テレビ東京)』『サウナノフタリ(YouTube)』などのさまざまな番組で活躍する澤井ですが、過去には芸人を目指したり放送作家として壮絶な下積み時代を経験した時期もあったのだとか。
コネもツテもなかった状態から数々の番組の企画に携われるようになるまでには、どんなストーリーがあったのでしょうか。
取材を通して、数々の番組に引っ張りだこになるまでの道のりが明らかになりました。
表舞台よりも裏方で人を笑わせるほうが得意だと気づき、芸人から放送作家へ
関根:澤井は元々芸人志望で、途中から放送作家に転向したよね。そもそも芸人を志したきっかけは?
澤井:お笑いの道を志したのは、浪人時代でした。高校が進学校だったので、浪人して良い大学に行くことが当たり前の風潮があったんです。それで僕も浪人していたのですが、ふと「なんでこんなに勉強しなあかんのやろ」と思うときがあって。
そんなときに深夜バラエティ『ふくらむスクラム!!』を見たんです。そしたら当時オレンジサンセットというコンビで出演していた岡田康太さんが、同い年でめちゃくちゃ笑いを取っていることに嫉妬と尊敬の気持ちが同時に湧いてきたんです。それがきっかけで、お笑いの道に進むことを決めました。
関根:なるほど。そこから放送作家に転向したのはなぜ?
澤井:芸人になるために大阪のNSC(吉本総合芸能学院)の芸人コースに通っていたのですが、自分が人前に出てお笑いをするより裏方のほうが向いていると気づいたんですよね。
思い返せば、学生時代から「あの人にこのネタをさせたら盛り上がりそう」と考えて笑いを取るほうが得意だったんです。その後、中学生になったくらいで放送作家という職業があることを知りました。
関根:芸人を経験したからこそ、気づけたのかもね。放送作家の活動はどうやって始めたの?
澤井:NSCを卒業した後すぐに上京して、ライブ終わりの岡田さんに思い切ってアタックしました。岡田さんも受け入れてくださって。作家としてライブの構成をさせてもらうようになったのが最初です。
それから岡田さんと定期的にお笑いライブを開催していたのですが、今となっては売れっ子になった芸人さんたちも出てくれていましたね。
年間500本の企画書を作成した下積み時代を経て、テレビの世界へ
関根:澤井はテレビ番組の放送作家としても活躍してるけど、テレビに携わるようになったきっかけは?
澤井:BSスカパー!で放送されていた『BAZOOKA!!!』という尖った企画ばかりをやっていた番組がとても好きで。当時番組を担当していた放送作家の竹村武司さんに、TwitterのDMで企画案を送っていました。
良い企画のときは「これいいね」って返事を下さって。そのやりとりを続けているうちに、突然「明日TBSで企画会議あるから来ない?」と連絡を頂いたのが始まりです。
関根:行動力がすごいよね。
澤井:それから竹村さんの過去の企画書を見せてもらって、自分で勉強していきました。師匠と弟子という近い関係ではなく、背中で学ばせてくださる方だったので。
それからありがたいことに人脈が生まれて、年に500本くらい企画を作っては送っての繰り返しでした。
壮絶な下積みを経たからこそ身についたアウトプット力
澤井:放送作家の仕事がテレビだけでなくYouTubeまで広がってきたタイミングで、関根さんを紹介してもらったんですよね。
莉子さんと丸山礼さんのYouTube番組を立ち上げる企画会議が最初で、『リコレイのB→A』企画をみんなで考えました。
関根:俺がお世話になっているテレビ局の先輩に「若年層やティーンが見たい美容番組をつくれないか」と相談をもらって実現したんだよね。それから継続的に仕事を依頼するようになって。
澤井:最近は関根さんが「これ興味ある?」と連絡してくださって、僕が「楽しそうですね!」と返す流れですよね(笑)。いつもありがとうございます。
関根:正直、今放送作家と名乗っている方の中には、クライアントに提案できないようなクオリティの資料を作ってくる人や、俺でも考えられるような企画を出してくる人がいるんだよね。でも、澤井は壮絶な下積みを経験してるから、アウトプットやキャッチアップにすごく長けてて。信頼できる。
澤井:千本ノックどころか一万本書いてましたから。器用な放送作家の中には、そういう下積みをうまく避けても仕事を獲得している人も多くいます。でも僕は不器用なので、全部からだで受け止めてきたんですよね。企画の考え方やメンタルはだいぶ鍛えられました。
関根:澤井は今はさまざまな場面で活躍している最高の時期だけど、過去に最悪な時期もあったわけで。澤井は最悪と最高の差が大きいから魅力があるけど、普通の人はバランスを取っちゃうから中途半端になってしまうんだよね。
澤井:20代の頃は本当に忙殺されていて大変でしたけど、環境が良かったんですよね。芸人さんやスタッフさんにはメンタル面でも助けられました。3万7千円ハウス(※1)に岡田さんと一緒に住んでいて。潰れそうになったら、そこに遊びに来ている芸人さんたちに話を聞いてもらったり、みんなで鍋を食べたりしていました。その時間は本当に救いでした。
関根:でも相当大変だったでしょ。チームや仲間で支え合うのは大事だよね。
澤井:「仕事を断る」という選択肢がなかったので、1人で3人分くらいの仕事をしていたと思います。
関根:余談になるけど、少し前に澤井がいきなり連絡をくれて、僕の家族と澤井で上野の死ぬほどうまい洋食屋さんににごはんを食べに行ったよね。仕事を一緒にするだけではない関係が築けたのはすごく嬉しくて。何かのきっかけや情報を与えてくれるのは、こちらとしても助かってる。
澤井:今の時代、リモートで全部完結できるじゃないですか。でもそれって人工的ですごく寂しいなと思ってて。なので、きちんと顔を合わせて仕事以外の話もできたのは嬉しかったです。
※1:大人気YouTube『岡田を追え‼』でも出てくる岡田康太さんが住んでいる
家賃3万7千円の物件。数々の芸人さんが集まる場所だった。
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今回は、放送作家の澤井直人にこれまでの経歴を語ってもらいました。
澤井が数々の番組に携わるまでには、愚直に企画を考え続けてきた努力や人並み以上の行動力があったことが明らかに。壮絶な下積みを経たからこそ身についたアウトプット力やキャッチアップ力は、まさに努力の賜物です。
次回も、引き続き澤井直人が登場。仕事をする上で気をつけていることや、今後やりたいことを話してもらいました。ぜひお楽しみに!
<ふたり広報:取材・多葉田愛/執筆・伊藤美咲/編集・えるも/写真・三浦えり>
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