見出し画像

The Birthday が流れる、そして荼毘に伏す

葬儀場から火葬場までの二十分、後部座席に弟を乗せて走っていた。

今時の霊柩車はリムジンみたいだなとか、先行車と逸れないようにしようだとか、そんな関係のない情報で頭を埋め尽くして少しでも思考を現実から逸らそうとしているのが自分でも判る。

父から貰ったワゴンRはブルートゥースの繋げ方が分からないのでiPhoneから直接音楽を流している。
爆音で音楽を流す。
少しでも無駄な情報が欲しかった、今だけは弟とも話したくなかった。

iPhoneの向こう側からはチバユウスケが涙が溢れそうだと語りかけてくる。

うるせーよ
もうすでに、それが溢れた後の、泣き腫らした瞼を擦った。



関東の大学を卒業し、そのまま新卒で東京の会社に就職した私だったが、半年余りで無事東京脱落組の仲間入りを果たし、田舎へ逃げ帰ってきた。まあ、いつかは帰るつもりだったのだ、少し早まっただけ。

私の母方の実家は、田舎ではちょっとした農家を営んでおり先祖代々受け継いできた米農業は、脱サラをし、専業に徹した新進気鋭な叔父の代で急激な規模拡大を図っていた。
そんな中、後継のいない叔父の命により次世代候補として白羽の矢が立ったのが長男の私である。

私はそんな意気衝天な叔父から何度もスカウトを受けていた。
尤も、当の私はその提案に満更でもなく、何年か東京で適当に働いた後田舎に帰って農家を継ごうかと考えていたほどである。

そんなこんなで早々に田舎に帰ってきた私は、去年一年間、そうなることが当然の様に農業に従事していた。

祖父と叔父と私、時々祖母。
私は都会にいた五年間を取り戻す様に家族との生活と仕事に精を出していた。

祖父は孫と毎日仕事ができるのが余程嬉しいのか、毎朝顔を出すたびに笑顔で私の隣に腰掛ける、そして一緒に一服をして互いに田んぼに向かっていく
祖父と仕事の前や仕事終わりに煙草を吸う時間が大好きだった。

事ある度にお小遣いをくれた
たまの休みにはちゃんと食べてるかと家までハンバーガーやピザを大量に届けてくれた
慣れない機械の使い方を優しく教えてくれた
大変な仕事の後は高いであろう豚カツを注文して持たせてくれた。

慣れない仕事の日々もそんな祖父の元であったから、本当に楽しく過ごすことができた。

そんな生活が一年ほど続いた。

けれど、私は叔父との折り合いが悪くなり、顔を出さなくなってしまった。

原因は叔父のお金関係のだらしなさにある。
叔父は私からお金を借りる様になり、その額が1万、5万と徐々に膨れ上がっていって最後には130万もの大金を私からせびり、気まずさからか、連絡を無視する様になっていった。

祖父はそんな事情を知らずに年明けから顔を出さない私を心配して連絡をくれた
どうしたら良いか分からず家に引き篭もっていた私にハンバーガーや煙草を届けてくれた。

そんな祖父の献身によって、金と欲に蝕まれた心を取り戻し、叔父とぶつかり、直接対決する心を決めた矢先だった。

祖父が入院した
もう長くはないとのことだった。



久しぶりに病室で再会した祖父は様々なチューブが体に繋がれており、一回りほど痩せていた。
私が病室に入るとベットの上に腰掛けており、まだ体が起こせる状態であることに安堵した。
(後から聞いたのだが、看護師さんに言わせると本来ならば体を起こすのもあり得ない状態らしい、齢八十を超えても働き回った強靭な肉体と精神がそうさせていたのだろう)

できるだけいつも通りの会話をした
笑顔で病室を後にしたかった
祖父はもっともっと長生きをするんだ、こんなもの、数ある挫折の一つに過ぎず、きっと乗り越え、また日常に戻るのだ
そんな思考を自分と世界に言い聞かせるために。

しかし最後に初めて祖父の手を握り、私の温室育ちの掌とは違い、豆いっぱいの、仕事人の、暖かさに溢れる掌を感じとると、祖父との優しさに溢れた思い出がたくさん浮かび上がってきて

自然に出てきたのはありがとうの言葉と大量の涙だった。

『やっぱり無理だよ、おじいちゃんがいなくなるなんて嫌だよ、また一緒に煙草吸おうよ』

そんな記憶と共に溢れ出してしまいそうな想いの言葉をグッと堪えて
消え入りそうな声でありがとうと言うことしかできなかった、何度も、何度も。


それから二ヶ月が経った。

私は叔父との問題、ひいては自分の心の問題とも向き合い、未来に向けてフォーカスを合わせていた。

農家を辞めた

ここでは語らないが
ある本との出会い
そして親友との内省的全共闘論争の後に
私が出した決心のためであった。

ただ、前進はできずにいた
ただ一つの憂い、祖父を看取るためだ。



母と病室を訪れる、容態は一日一日と変化していた。
もう起き上がれない祖父、かろうじて聞き取れる声。
「俺オムツするようになっちまったよ」
「みんな最後はそうなるんだ、気にすんな」

俺だってきっと最後は一緒だよ、なんならたまに漏らすし、俺の方こそしたほうがいいのかも

「田んぼは順調か、田植えは全部終わったのか、今年は田植え機乗ったのか?」
「気にせんで大丈夫よ、ほら去年蕎麦刈りで俺初めてコンバイン乗ったでしょ?おじいちゃんが写真撮ってくれたやつ、あれに比べたら簡単よ」

嘘をついた、本当はどうなっているか分からない、ごめん

「ご飯は食べたのか、そこに財布あるからなんでも買って食べろ」
「大丈夫よ、もう作ってあるから、帰ったら食べる」

こんな時でもご飯の心配して、本当にありがとうね、また豚カツ一緒に食おう、今度は俺が届けにくるよ



「......」
「おじいちゃんきたよー」

よく寝てるね

「......」
「......よく頑張ったね」

本当に良く頑張りました

「......」
「今、ちょっと目が開いたよ」

おはよう、よく寝たね

「......」
「お母さんと来たよ」

無理しないで、

「ご飯、食べたか」
「うん、うん、大丈夫ありがとう」

また来るよ、ちゃんとご飯食べるよ、ありがとうね


翌日、母からのLINEで訃報を知らされた
東京から駆けつけた弟にも伝える。

陽が沈んで、親戚一同が去った頃合いを見極めて家に帰ってきた祖父に会いにいく
二人きりになりたかったので先に行かせた弟を家に帰してからもう一度一人で向かった。

安らかな祖父の顔を一撫してあの日々の様に傍に座る。

久々の家はやっぱり落ち着くでしょ
でも今はちょっと騒がしいね

......ありがとうね

何分こうして座っていたか分からない
消沈した私を見兼ねてか気づいたら祖父の妹が側に来てくれていた。

「おまんが一番可愛がってもらったもんね、本当に可愛がってたよ」
「......うん、うん」
「今にも喋り出しそうなのにね、こんな騒がしいんだ、何事かと起き上がりそうだね」
「......喋り出せばいいのに」

本当に心の底からそう思った。



通夜も葬儀も恙無く終わることができた。

昨晩の通夜の後、会食会場をこっそり抜け出して誰もいない会場で棺に入った祖父と二人きりになった
祖父を一人残してご飯を食べる気になれなかったし、一人くらい側にいないときっと寂しいと思うから。

そこで法名をしっかり覚えた
あの世での名前を覚えておかないと
きっとまた会うために。

葬儀の後は祖父の好きだった物をぎっしりと棺に敷き詰めた
手紙と写真と祖父の大好きだった豚カツを入れた、今度は俺が届けに行くという約束を果たせた気がした
いつも着ていたポロシャツの胸ポケットが空いていたのが気になった
これが足りないじゃないか
そして、いつもの定位置にこっそりと持ってきておいた煙草を忍ばせた
またいつか、一緒に煙草を吸うのだ。

キャスターホワイト1mmロング

この銘柄だけは生涯忘れることはないだろう。



葬儀場から火葬場までの二十分、後部座席に弟を乗せて走っていた。

iPhoneからはThe Birthday が流れていた。

葬儀から一週間が経った今、なぜだかその光景を一番に覚えている
どでかい霊柩車に、祖父に、追いつく様にアクセルをこれでもかと踏み込みバイパスを走る、前に進む。

俺はどうする
どこに行こう

今までは目的地もなくだらだらと走っているだけだったが、最終地点は決まった。

まだ気を抜いたら涙が溢れそうになるけれど

貴方に倣って
ただ、自分らしさを恒とし、信じた善を生きていくから

これから俺頑張るからさ、見守っててよ。

また、

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?