見出し画像

「    」になりすぎている。

lkjgfdszsxん

に良いにsl

潰えn

rienjvisjdkanj

kdlfafoojo vawkbi

fdadk;apefna;lkjioca

vc;salkdjsnfoaijdi0gfe:a

jdfnkadfaoeifh,nklakfdjoafw





なんだか僕は「真面目」になりすぎたみたいです。

4年前に友達と面白いことをし始めて仕事になり、家族,仲間や友達,周りの人たちのおかげで今はありがたいことにご飯が食べれている。

「 遊ぶように仕事をしたい 」

そう言っていたし、今も変わらない。

でも若いが故、誤解が生じる言い方をしていた気がする。

正しくは、
『楽しくアイデアを出し合ってやりはじめたことが、誰かの楽しみになったり、課題を解決したり、時には人生を変えることになってその対価にお金がもらえるようになりたい。』
とこの表現の方がしっくりくる。
いつかまた修正するんやろうなぁ笑

けど、ちょっと真面目になりすぎたかもしれんなぁ。

楽しくアイデアを出し合ってやりはじめたこと。

その「楽しくアイデアを出し合って」を始める動機は必要なかった。
勝手にやりたいことはあってこんなんやりたいどうやったらできるやろ、こうしてもおもろいな!と始まっていた。

仕事

ただ、仕事にはクライアントであったり、納期であったりが存在して
日々向き合ったり追われたりしながらいいものをつくろうと必死こいてる。

呪いにもなるクリエイターの背中を押す言葉w

仕事とは言えども、普通の会社と違って&仲間の支えと優しさから
僕はほとんど自分のやりたいことをやらせてもらっている。

とはいえ、プライベートでこんなんいいな、あんなんいいな作ってみよ
やってみよと行動にすぐ移していた5年前の自分の姿が今はない。

シルクスクリーンが面白そうだから、勉強して、液体やら網やらブラックライトやらをかって0から作ったり、スケッチブックだけ持って急に無計画でヒッチハイクをはじめていた自分。

一番は寂しい。そして二番にアーティストやクリエイターの友人たちが毎日のように作品とかクリエイティブを上げているのが羨ましい。

無計画だったり、合理性に欠けるものだったりがだんだんできなくなっているんだと思う。そうなるのは嫌なはずだったのに。

絶対嫌だ。

そんな気持ちで適当でいいからNoteを何となく書いてる。

意外といい。自分にとって大事な時間になりつつある。

僕のランジャタイ

ランジャタイが大好き。

一昨日も配信ライブを買って見ていた。

1本目のネタから、ほんっと意味わかんない。

意味わかんないなんてことありえる?お金取ってるライブで
しかもM-1でたコンビで1本目のネタが意味わかんないって。

でも、ずっと楽しそうで。
あれは漫才じゃなく。ランジャタイの世界にみんなが巻き込まれるという事件に近い。

上に貼った国ちゃんのコラムを読んでほしい。

最後の挨拶が最高なんだよな。

ランジャタイ。

真面目に生きるのなんて勿体無い

そんな風に言ってくれている気がする


今日はここでドロン🥷












すると思った?



























ドロン🥷






































今日のスナップ貼っておく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?