人世間愛欲の中にあって独り生まれ独り死に独り去りて独り来たる(ブッダ)

独生独死独去独来」という言葉がある。

これは今から約2600年前お釈迦さまによって説かれた
大無量寿経』というお経の中にある言葉だ。

その経典の中には
「人世間愛欲の中にあって独り生まれ独り死に独り去りて独り来たる」
と、説かれています。

愛欲というのは、愛してもらいたいと。
『♪愛を下さい〜wowwow愛を下さい〜』
なんて歌っていた人もいたけれど
愛して欲しいとは何とかして分かってもらいたい
認めてもらいたい
愛してもらいたいと言うことで
必ずしも若い男女の恋愛だけではない。

子供だって親に愛してもらいたくて
認めてもらいたくて大事にしてもらいたい。
生徒は先生に認めてもらいたくて大事にしてもらいたい。

友達同士というのもお互いに自分のことを
あの人に分かってもらいたい
認めてもらいたい
大事にしてもらいたいと思う。
恋人同士も夫婦同士もそう。

周りの人に自分のこと
分かってもらいたくて
認めてもらいたくて
大事にしてもらいたくて、
そう言う意味で愛してもらいたいと思っている。

ところがなかなか乗り越えることのできない壁みたいなものがあって
お父さんに言っても
お母さんに言っても分かってもらうことのできないこと、
友達に言っても判ってもらえないことを抱えているのが人間で、
そう言う秘密の蔵を抱えてるのが人間だと。

独生独死独去独来というのは、
誰に言っても判ってもらえない秘密の蔵があって
独りぼっちの孤独な震える魂を抱えて生きているということ。

これを肉体の連れがあっても魂の連れはないのだと
昔から言われていて、
たとえ血のつながりがあって一緒の家で暮らしていても
お互いに分かり合うことのできない心を抱えているものなのだ。

たとえ同じような服を着て同じクラスに席を置いて、
挨拶をしたり愛想笑いを浮かべたり、
さも私達良い友達ねという顔をして突き合っても
胸の内すべてを判ってもらえるわけではなくて、
一人一人孤独な魂を抱えて生きていると言うことを
独生独死独去独来と言われている。


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