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【大学教員公募】採用されなかった友人の話

 2023年になり、初の記事です。ひと月に4,5記事をめどに書いていましたが、1月はついに何も書かず仕舞いでした。入試・地獄の祭典(採点)・依頼原稿・研究で雁字搦めになっており、ほかの方々の記事を読む時間すらありませんでした。

 一息ついたわけではないのですが、このままだと記事を全然書けなくなるので何か書き残すべく、本記事を書いています。暗いタイトルですが。
 ある友人から頻繁に大学教員公募の相談を受けています。私も友人には上手くいってほしいと心の底から思っていますが、面と向かって言いづらいことがいくつかあります。そんな生々しい話をここで綴ります。なお、この手の記事は、以前も書きました。下記のものです。これより、もう少し人間臭い、本音ズバリなことを書きます。

 まず友人についてですが、研究能力は問題ありません。論文も書いており、学会発表も積極的です。DC1にも採択されており、客観的には問題ありません。少なくとも、同じ分野の同世代の中ではかなりいいラインに立っていると思います。教歴も、非常勤を着実にこなしています。さまざまな雑務も引き受けており、こちらも問題ありません。研究能力・教育能力・学務遂行能力と、すべてにおいて及第点だと思われる友人は、なぜどこにも採用されないのでしょうか。

 本人には言えないけども、暗に思っていることを2つ書きます。

 第一に、写真の清潔感です。見た目のことは指摘することが憚られますが、選ぶ側にとってはこの上なく重要だと思います。イケメンだとかブサメンだとか、そういうことではありません(といいつつ、やはり同じ条件だったらイケメンに分があるのでしょう。悲しいですが。)。青髭やふけが目立ち、寝癖が付いており、眉も生え放題、そのような人物が、適当な服装で700円ほどの証明写真で拵えた写真を無造作に貼り送り付けてこれば、やはりいい印象は与えないでしょう。はっきり言って、不潔感がにじみ出ているのです。
 人間、顔ですべてを推し量ることはできません。しかし、審査員は履歴書に貼ってある顔写真から本人像を思い浮かべ、そのうえで業績やら抱負やらを見るのです。頭に浮かぶ申請者が不潔感MAXだったら、一緒に働く気は失せるでしょう。一緒に働く気にならなければ採用されることはありません。やはり、身だしなみは大切です。
 なかなか、「お前は清潔感がない。」とは言いにくいです。彼の性格上、察することが苦手なため、遠回しに伝えることも難しいのです。ただ、「まずそこだろ!!」とずっと思い続けています。

 第二に、書類の文体です。傲慢でオラついた感じが隠しきれないのです。これは何度も伝えているのですが、なかなか直りません。業績は、素晴らしいものほど端的に分かりやすく書くべきだと考えています。研究業績書を見せるというのは研究者間の一種のコミュニケーションのようなもので、一流の業績は見れば分かります(逆に、これが見抜けない研究者はモグリです。審査員の多数派がモグリということはないと思います。)。一流の業績が、端的に飾らない言葉で説明されていると、心惹かれます。書いた人の謙虚な人柄を窺い知ることができるのです。一方、一流の業績をこれでもかとアピールする文章、あるいは大したことないのにモリモリで凄ぶる文章には、嫌悪感が沸いてきます。彼の文章は、割とそういう傾向があるのです。
 研究者にとって、文章は生き様そのものでありその人の性格を如実に表すものでもあります。傲慢不遜な文章は、その人の傲慢な性格を表しているのです。

 面と向かって言いたいがなかなか言えない、言う気にもなれないことを書きました。今年度の公募はほぼ終息しましたね。来年度以降、公募戦線にエントリーされる方の一助になれば幸いです。
 写真は清潔感を意識し、業績書や抱負類は変に飾らず謙虚な心持で書くことです。

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