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キャリアについて考えたことのない平凡なエンジニアの海外就職活動奮闘記 - 最終章 海外就職活動からオファーまで


こちらは全3部構成となっている記事の3部目です。
私の簡単な紹介から海外就職を目指すきっかけとなっている1部目から見たい方は以下リンクになります。


こんにちは。
第一章、第二章とキャリアについて考えたことのない平凡なエンジニアが海外就職を目指してみて、というところまでを書きました。
本記事は最終章で、実際に今海外就職をしている方や、これからまさに始まるような方向けへの記事です。
また、私は Intermediate ~ Seniorのビックテックなどではない一般的なweb企業 を受けていたので、その辺りのレベル感の方が対象だと思ってください。

第一章、第二章の記事は、キャリアについて考えたことのない人がなんとなくエンジニアになって、これから特にやりたいこともない、みたいな人に刺さってくれるのが一番嬉しいのですが、恐らく、そのような人は私がそうしてこなかったように、ネットで調べて私の記事に辿り着くことはごく少数と踏んでいるため、自分の記憶の整理がてら楽しく書かせていただいたのが本音です。

実は、この最終章の内容を書きたいがために全記事を書いたという経緯があります。そのモチベーションというのは以下から来ています。

  • 実体験に基づいた海外就職の情報を共有したい

  • 実際に苦労したことや工夫したことを共有したい

  • 同じ渦中にいる方の励ましになりたい

というのも、日本の方が海外就職(アルバイトを除く)に挑戦した情報が書かれているものってネット上でも数少ないものです。実際にその人の苦労したことや工夫したことを見れたことは、私の就職活動においてものすごく頑張る材料にもなり、心の支えにもなりました。どんな人でもやっぱり多少の苦労をして目標を達成しているように思えます。
そんなこれから海外就職を目指すような方へ、私の記事が少しでも励みになれればと思って、この記事を書いています。

それでは私の実体験に基づいた、海外就職活動について書いていきます。

海外就活の始まり

前章で書いたように、2023年の10月ごろに、フリーランスとして活動していた日本の取引先との契約が、12月で終了になることが決定しました。
永住権を取得したこともあり、2023年の9,10月中旬まで日本に一時帰国していました。(沖縄から始まり、鹿児島から東京まで新幹線を乗り継ぐ楽しい旅だった)
バンクーバーに戻ってきてきた10月の中旬から就職活動を始めました。

自分が進めていった順番は以下の通りです。(もっと良い順番があると思っています。詳しくは付録にて)

  1. レジュメの作成

  2. LinkedInの作成(整理)とOpen To Workに変更

  3. 過去の経歴の深掘り

  4. コーディングインタビュー対策

  5. 行動面接 (Behavioural Questions)対策

  6. Apply開始

  7. 面接と復習を繰り返す

レジュメの作成から

まずはレジュメの作成をしていきました。何を始めるにしてもレジュメが無ければ応募もできませんし、LinkedInに自分のことを書くことができませんし、声もかかりません。
ちょうどこの年の初旬に言語交換アプリで仲良くなったUBC(カナダの名門大学)のCSを卒業した現ゲーム会社でPhysics Programmerとして働いているカナダ人の友達に一緒に作ってもらいました。初めにChatGPTを使いながら自分で書いたレジュメのレビューはボロボロでした。英語も変だし内容は誰でも書けるような内容でオリジナリティが無く、詳細が無いとのこと。どういった技術、ツールを使ってどのようなサイズ感のチームでどのような役割でどういった成果を残したのか、というような内容に変更していきました。自分の経歴を思い出す時間もあったため、なんだかんだ2週間以上、初版を作るのに時間がかかってしまいました。

初めてのPhone Screeningで爆死

レジュメの内容を元にLinkedInを整理し、Open To Workに変更しました。ありがたいことに数社から声を頂くことができました。
まず初めに、とあるBootcampの会社から教師枠として声がかかりました。もちろんこの手の職種には興味は全く無く、万が一受かっても働かないから受ける時間が勿体無い、と理由づけて断る選択肢もありましたが、練習のために受けてみることにしました。

結果、爆死しました。Phone Screeningが始まる前から極度の緊張と「ついに自分が英語で面接を受けている」という現実に圧倒されて開始直後から頭真っ白。面接官が話し始めて5秒後くらいに「あ、何にもわかんねぇ何にも聞き取れねぇやつきた終わった」という状況になり、さらに緊張して負のループ。頭がウィスラー以上の純白になっていきました。ウィスラー行ったことないけど。
4,5個くらい、よくある質問をされ、Yesとか簡単な一文くらいしか返答できませんでした。終いには定番の質問ありますか?という質問にたいして、用意していた質問があったにも関わらず早く終わりたいがあまりに「ありません」と答えてしまう始末。たった10分くらいのお喋りでしたが、とてつもなく長く感じたし、これからどうなっちゃうんだ。。と大きな不安に駆られました。この後謎に1時間くらい家中歩いていた。

このことを先ほどのカナダ人の友人に相談すると、まず英語が早すぎて分からないならゆっくり話して欲しいと言うべき。それは何も悪いことでは無い。また、面接はYes/Noで答えられるシチュエーションはあるけど、アピールする場なので必ず何かしらアピールする内容を加えて答えるべき、と言われ面接に挑む心構えが変わりました。
そもそも緊張しすぎるのもどこかテストのように構えてしまうからと思い、面接は本質的にはただコミュニケーションをする場であり、答えは基本的には存在しないものとし、会話を楽しむようにしました。
そこから数社、声がかかったところのPhone Screeningには突破できるようになりました。失敗って大事だ。

完璧主義との闘い

この時期(11月ごろ)は、予定ではコーディングインタビューやBehavioural Questions対策をして、たくさん面接を受けるつもりでした。
しかし、仕事では最後のプロジェクトに着手しており、割と好きなようにリードできる状況でそっちのほうが楽しくなってしまい、ほとんど面接対策ができませんでした。
正確に言うと対策できる状況ではあったのですが、最後のプロジェクトが楽しいし、レジュメに載せれるような内容だからそっちに集中すべき、と今思えばやらない理由を探して逃げていた気がします。
というのも私は完璧主義者であることをこの就活中で気づきました。「まだレジュメが完璧じゃないから完璧になってからやりたい」、「コーディングインタビューしたことないから、少なくとも一回はモックインタビューで練習してからでないと面接のステップにいくべきではない」、「Behavioural Questionsで話せるほどの経歴をまとめられてないから応募できない」などなど。
いつかはそれら全てが完璧になると思っていたんですよね。たぶんそんな日は来ないんじゃないんでしょうか。ただやるべきことを遠回しにしているだけです。
そうこうしていくうちに、特段自分からapplyすることなく、声がかかった数社だけの面接を受け、あっという間に11月が終わり、12月になってしまいました。

燃え尽き症候群

12月に入りだんだんと求人が少なくなってきました。求人があっても、面接官が年末に向けてバケーションを取るなどで、面接が設定されないのが一般的なようです。12月の最初の一週間の間にBehavioural Questions対策をして、applyしまくってこの週に面接練習しまくるぞ!と思っていたのですが、甘かったです。まず書類は即日通るなんてことはほとんど無いし、Behavioural Questions対策は1週間なんかでは到底完璧と思える状態に辿り着けず、途中で疲れ果ててしまいました。今になってはそもそも細かいBehavioural Questionsを全部完璧に答えられるレベルにする、という行為自体無駄だったと思うことは置いておいて、だいたいの質問は日本語では答えられるのですが、英語になるとストーリーも考えながら、思い出しながら話すということがものすごく難しかったのです。脳のリソース的に圧倒的に英文作成に取られてしまい、CPU利用率100%のそれみたいな感じ。
それを解消するために、スクリプトをおおまかでもいいので暗記しながら話そうと努力するも、頭の中で日本語的には理解できている内容なので、全然やる気が起きなかったのです。頭的にはもうできるている作業を何度もやらされるという状態で、明らかに退屈している感じ。不思議な感覚でした。
そうこうしていると、週の中頃には、ぼーっとしてしまう時間が長くなり、終いには座っているだけで何もできない状態になってしまいました。

12月で仕事が終わり、年内に仕事を決めなければ無職になるのに、何もできない。毎日が疲れる。何でこんな頑張らないといけない時に頑張れないんだ、と自分を責める。でもやる気が出ないし何もできない。
加えて自分が今まで携わってきたWebサービスのほとんどがクローズになる/なったという状況を再認識すると、「はて自分は今まで何のために働いて何の対価を得たのだろう」とメンタルが絹豆腐になってしまいました。

こんな状態になってしまい、それをカナダ人の友達に相談してみたら、「それ、燃え尽き症候群じゃない?」と。「自分も就職活動中にそうなったし、英語ネイティブの自分でさえ3ヶ月も無職期間があった。その状況で休むことは非常に勇気のいる行動だが、結果的に体を壊すより早くなるはず。だから今は就活のことを考えないで思っ切り好きなことして楽しむべき。」とアドバイスをもらいました。
確かに、燃え尽き症候群について調べると今の自分の状況が当てはまることばかり。

12月中は求人も冷え込むし、もう頑張らない。まだ数社しか受けてないけど、少なくとも一歩は踏み込んだし、またメンタルが回復するまでは何も考えないことにしよう、と決めました。
ジムに週4行ったり、飲みに行ったり、ゲームしたり、麻雀したり、ポーカーしたり、映画みたり、旅行にいったり、心ゆくままに好きなことをしました。

バンクーバーでダブリー。全自動雀卓で打てる喜びたるや。

無職

年も明け1月になり無職となりました。年末に友人とメキシコ旅行を楽しむことで、燃え尽き症候群は終わったのか、年始ということもあり、また1から頑張ろう、という気になりました。しっかり休んで大正解でした。

幸い無職であっても、永住権をすでに取得した私にはビザの期限はありませんし、妻も働いている現状から1年以上の金銭的な余裕がありました。

一旦自分が満足する面接対策にはあと何時間くらい必要なのかをざっくり算出してみました。その結果、平日の毎日をその対策に時間をあてた場合、3月末には満足できる面接対策をしている状態になる予定でした。逆に言えば、3月末までは、未完全な状態なので面接で落ちることが当たり前なんだ、というメンタルに切り替えて、ひたすらにその目標を達成することに励みました。また、土日は一切就活関連のことをしないと決めて、休む時間をきちんと設けるようにしました。
面接には挑める状態にはなっているものの、落ちることが当たり前の状態であると仮定しているので、1月中旬くらいから毎日LinkedIn, Indeedを巡回して少しでも当てはまりそうなところにapplyしていき、練習していこうと思いました。
思った以上に書類が通過しない(通過しないと言うか反応がない)のが多かったのですが、いくつか面接にいけるところもありました。
週1回以上は面接できるような状態にするも、だいたい毎週面接受けて落ちて受けて落ちて、という繰り返しでした。

月曜日に週の予定を立て、実績を書いて、次の月曜日に前週の反省をして予定を立てていた。
無職で、ビザ期限も無く、無限にだらけることができてしまう恐怖があったので。

英会話の恩師の訃報とプチ燃え尽き症候群

僕がそもそも海外に来れるまでの英語力をつけてくれた英語の先生の訃報が入りました。気になる方はこちらからどうぞ。

それで落ち込んでいるのと同時に、また12月の時と同じような燃え尽き症候群的な感覚に襲われました。また1ヶ月何もできないのは流石に怖すぎるので、平日にも関わらずすぐに休憩を取りました。
ちょうど気になっていた本「嫌われる勇気」を久しぶりの快晴の空の下で寝っ転がりながら読むとかなりスッキリして、今回は2日ばかしでメンタルを回復することができました。ちょうどこの時期2週間くらい晴れてなかったので、この快晴の日がもし無かったと考えると恐ろしい。太陽浴びたくて仕方なかった。
就職活動は過去と未来に囚われることばかりなので、その辺りを気にしなくても良くなる本として役に立つと思います。もし時間があれば。

しかし依然と社会と繋がっていない恐怖さと、周りと比べて心が抉られるような不安感と闘っていました。
と同時に、周りのバンクーバーに住んでいるほぼ全ての友人がこのような心境を打開してきた人たちという事実に尊敬と、そのような環境に今いることに幸せを感じ、また頑張ろうという気になりました。(わずか小さな瞬間ですが、これこそが環境が人を変えている瞬間だったのだと今思います。

急に4社くらいから書類通過の連絡が来る

1ヶ月前くらいに応募していた企業から一気に4社くらいから書類通過の連絡が来ました。就活に波があるというのはこういうことか、と思いながら着々と面接へと進めていきました。(そのうちの一社はよく調べたらモントリオールに本社を置く、ほとんどの男性がお世話になったことのある黒と黄色のHubな会社だったりで、おぉ自分カナダで就活している!感が増えてテンションあがりました。落ちちゃったけど。)

オファー

そうこうして、とあるアメリカ企業からBackend Developerとしてオファーをもらうことができました。以下のような流れでした。

  • 2/14 Phone Screening

  • 2/21 BackendのHeadと口頭で技術面接(30分)

  • 2/24 Senior Backend と技術面接(1時間30分)

  • 3/5 他の部署のManager, Headとbehavioural interview(45分)

  • 3/6 リファレンスチェックの依頼

  • 3/14 リファレンスチェック完了

  • 3/18 オファーの連絡

海外現地就職の記事とかを見ていると、だいたい同じような面接ステップを踏んでいると思います。字面を見るとこんなことしてるのかすげーな、、とずっと思っていました。今書き出したら、本当に自分が同じようなことをしてたと信じられないくらい、自分もこんなことしてたのか、とびっくりしています。
渦中にいると、正直やるしかないので何も考えられないのですが、字面で圧倒するほどのものでもないと思います。
何はともあれ、無事オファーを取得することができました!🎉

終わった今、もし同じ面接が就活を始めた頃にあっても、正直通ったんじゃないかな、と思っています。技術面接はアルゴリズム系のものでも無く実践的なものでしたし、その他の面接対策に対しても、そこまで対策が実ったという実感がありません。ただ聞かれたことを答えたという感じ。
また、前述した通り、自分が満足するであろう面接対策は3月末に終わる予定でそれまでは落ちる前提で物事を進めていましたが、結局その半分くらいの満足度のものでオファーを貰うことができました。
何を言いたいかというと、完璧で無い状態でも良いので早く動いてしまったほうがいいということです。そうはいっても未対策の部分が来たらどうするんだ、という気持ちは痛いほど分かります。正直その時はその時で未対策なんで無理、次!というふうに切り替えるしかないです。精神的になかなか難しいとは思いますが、そうできたほうが早く結果が出せると終わった今思います。

通過率など

以下に私の海外就活のデータを参考までに載せておきます。(就活は情勢によってかなり左右されると思いますが、ある程度レイオフは落ち着いてきたものの、コロナ明けの時に比べると依然と厳しい状況ではあると言われていました。)
(2023年11月〜 2024年2月、フルタイムで就活にあてた合計期間は約2ヶ月)

  • 純粋に応募した企業数:90

  • 純粋に書類通過した企業数:6社 (通過率6.6%)

  • LinkedIn, Indeedなどから声がかかった企業数:8

    • 声がかかったところを含めた合計の通過率:(8+6)/98 = 14%

  • 書類非通過(お祈りメールがきた)企業数:12

    • 通過非通過関わらず、全体で20%の反応しかなかった

  • Phone Screeningを受けた企業数:10

  • 実際の面接に行けた企業数: 4

永住権を持っているということ

そもそも永住権を取得したモチベーションとして、ビザを理由に落とされるというのを無くしたかったというのがあります。
逆に、永住権を持っていれば結構優遇されるのでは?と当初想定していましたが、全然そんなことなかったです。上記の通過率を見てもらえればわかると思います。
もちろん、これが永住権を持っているからまだこの通過率に落ち着いた、と言うふうにも受け止められるかもしれませんが、そもそも、応募時点で永住権を持っているかという選択肢を選ぶ方が少なかったような気がします。(選んだ企業でも落ちている or 連絡がないわけですし)
少なくともオファーをもらった会社からは、ビザサポートが必要ですか?という質問しかありませんでした。その質問からは自分がワーホリであっても、co-opであっても永住権であっても、その時点では差のない答えになりますよね。
そのため、永住権を持っているということが何か特別な状態だったとは考え難いです。つまり永住権を持っていなくても必ずチャンスがあるはずです。

就活を振り返ってみて

本文中にも書きましたが、やらない理由を探して挑戦をしないことは簡単ということです。あなたは今就活や新しいことを始めるのを渋っているのは、それはもしかしたらやらない理由を探して挑戦から逃げているだけかもしれません。少なくとも私は挑戦するまでに約2年強もかかってしまいました。

また、周りの友人やFrogに属する方々は自分の思っていた以上にキャリアについて考えていたんだなということに気づきました。
そもそも海外に出る時点でキャリアについて考えて海外にでている人が大多数なわけですし、転職やレイオフなどが当たり前に起こり得る北米圏で未経験からキャリアを積み始めた方々は、日本よりキャリアに対する意識がものすごく高くなるのも当たり前か、と実感しました。そんな世界になると、キャリアを意識した働き方や動き方になるし、それができない人は淘汰される世界なのでしょう。それが怖いと捉えることもできますが、少なくとも第一章で話したような日本の企業の環境で能力の低い人に合わせるような環境よりかは、私はこっちのほうが合っていそうだなと現時点では思っています。そして、これからはもっと自分なりにキャリアについて意識した立ち回りをしていきます。人生においてたくさんの時間を使っている仕事をより充実したものにできたほうが、結果的に自分の人生は豊かになると信じているためです。もちろんこれは日本にいた時もよく思っていたことだったけれど、ようやくここまで来れたなと嬉しい限りです。自分がこんなにも完璧主義者で、やらない理由を見つけて挑戦しない体質であることに気付けたことは、今後の人生をより豊かにする反省点を見つけられて良かったと思っています。
自分一人ではこのような心境の変化は作れなかったと思います。こっちにきて、優秀な方々と接点を持つことで、明らかに環境が私を変えました。そういう意味でも、新しいところに飛び込むことは大事ですね。


自分のリアルな就活体験記はこれにて完結です。
別に大きな企業に入ったわけでも、エンジニアとして注目されるような企業に受かったわけでもないので、ただ海外の企業に就職したとえいばそれっきり。まだスタート地点に立ったばかりといえばそうですが、第一章から読んでくださった方であればあんな腐った自分がこれほど大きな目標を達成したことは今まで無かったので、今はただ達成感に浸っています。
キャリア的な観点でいくと、もっとスキルを伸ばさないといけないし、ただエンジニア歴を増やしただけで密度の低い時間を過ごしてしまったと思っているので、まだまだ改善点がたくさんあります。正直3,4年くらいのエンジニア歴の方とさほど変わらないような気がしています。
これからのキャリアを意識した働き方はどのようになるのでしょうか、また半年か一年後くらいに答え合わせをしたいと思います。

付録として実際に就活で何をしたのか具体的に書いた記事もあるので、実際にこれから就活始める方や、している方はもしかしたら参考になることがあるかもしれないので、読んでいただけると嬉しいです。

あなたが満足する結果になることを応援しています!!
何か質問等あればコメントでも、XのDMにでも大歓迎です!

ここまで読んでくれてありがとうございました。

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