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キャリアについて考えたことのない平凡なエンジニアの海外就職活動奮闘記 - 第一章 キャリアの始まり

こんにちは。
私は日本で6年ほどソフトウェアエンジニアとして働き、その後カナダはバンクーバーに在住し、先日アメリカ企業からオファーを獲得し、Backend Developerとして働いている者です。
エンジニアとしてキャリアを始めて、とくにキャリアについて考えたことがなく、なんとなーく月日が経ち、海外での就職を目標にして達成した経緯をお話ししようと思います。
この記事は三部構成になります。

  • 第一章 キャリアの始まり

  • 第二章 海外就職の挑戦を目指すまで

  • 最終章 海外就職活動からオファーまで

現在、海外就職中の方で、お前の前書きなんてどうでもいいから海外就職についての状況、知見を得たい方は、ぜひ最終章からお読みください

それでは、第一章 キャリアの始まり をどうぞ。

第一章 キャリアの始まり

CS大学生

大学は情報科学を専攻をしていましたが、本当にいわゆる「大学生」を満喫していたので、いかに楽に卒業できるかということを考えて学業はそっちのけでサークル活動とパチンコに勤しむ毎日を過ごしていました。「楽単」や「出席とっておいて」などの単語とは大親友でした。
よくCSを専攻していたというと、めっちゃ基礎がしっかりしていて羨ましいと言われがちですが、みんな本当にそんなに大学できちんと勉強していたんですかね?元文系でエンジニアになった方とかも、例えば経済学や商業学に結構詳しいんですかね…?恥ずかしながら少なくとも私は大学で学んだことは本当に何も覚えていません。。基礎の基の字もない。
もったいない、とか今だから言える都合のいい言葉を吐いてみます。

ましてや大学入学直前に「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」という映画を見て、「あー、卒業後こうなっちゃうなら大学生の間は思いっきり楽しまないとな。」となったのを覚えています。

内容は覚えていないけど、大学卒業後に明るい未来はないと断定してしまったのを覚えている
ブラック企業を文化にしてないで改善しろ

就職活動

大学3年生の冬ごろですか、急にみんな髪色が黒色になって眉毛が生え始めて、たまにスーツを着る人が増え始める時期。例に漏れず私もそうで、周りに揃って自分も就職活動を始めました。
もちろん、何もやりたいことなんてなかった。とりあえず学校に来る企業の会社説明会に何となく出席。ほとんどがSIerだったと思います。情報科学なので、IT系かなー、とかそんな感じ。
なんとなーく、SIerに応募したり、社内SEに応募したり、適当にやっていたある日の説明会で、BtoBtoCのビジネスモデルを説明されていた時に、エンドユーザーがCなのっていいなーっと思って、直接C向けのビジネスをしている企業って無いのだろうか?と探し始めていくと、いわゆる「Web系」という業界を発見します。
そこには親しみのある名の企業が揃っていて、おまけに服装や髪型が自由という風潮の企業ばかりでした。
こういうところで働けるとめっちゃかっこいいな!と思って、中盤からWeb系の企業を中心に応募していました。が、基本的にWeb系の選考は当時ものすごく早くて、私が応募し始めたころにはほとんどのWeb系企業の選考は終盤か終わっていました。どちらかというと周りに流されて就職活動をしているような人が受けるというよりかは、インターンやバイトである程度職業経験がある志望度の高い人が応募している印象でした。
そんな状況の中、運良くとあるweb系企業から内定をもらうことができ、2015年に新卒入社として働くことになりました。

内定の電話を貰った時、8スロでケロット2を打ってた
確か2万近く負けてたけど、内定出たし実質負け取り返したじゃんとか思いながらホール退店した

キャリアの始まり

初めてのキャリアは10年ほど運営されているだいぶレガシーなwebサービスを担当するところからでした。フロント、バックという概念はほとんど無くモノリシックなアプリでした。
特段仕事に没頭する要素もなく、社会人になってもなんとなーく仕事を続けている日々でした。休みの日に勉強して新しい技術を導入するとか、そういうことはしたことがありませんでした。
というのも、仕事やキャリアというのを軽視していました。いや、というより全く意識していませんでした。恐らく大学生というものに未練が残っていたのでしょう、めんどくせーと思いながら嫌々仕事をしているのが良いことだと思っている節がありました。同期の関係とか新卒入社の先輩の関係を気にしたりとかして、大学生の延長の暮らしをしていました。

ある一人月くらいの機能開発の要件定義からリリースまで一通りの工程を自分一人でこなせるようになった後、新卒入社の子のメンターをしたり、他のwebサービスを担当したり、新規事業として新しいwebサービスを一から立ち上げるなどのことをしてきて、4年数ヶ月の月日が経ちました。
幸い、なんとなーく仕事していた割には、それなりの仕事を担当させてもらったのはありがたい話です。

文章で書くとさらっと毎日適当に仕事をしている感じですが、一応当時は当時でかなりしんどかったです。仕事をする上で技術的に分からないことがたくさんあったり、ロジカルなコミュニケーションがうまく取れなかったり、そもそもこの仕事が好きなのかもよく分からないし、一生できるのかもよくわかんなかったし、そもそも社会人だるいし、みたいな。
毎週末は決まって現実逃避。ゲームかパチスロか競馬か競艇。生産性の無い日々を送り続ける。

戸田競艇場までの橋
豊島区から1時間チャリ飛ばして行ったりした

時々週末に朝早く目覚めた時は、純喫茶に行ってタバコをふかしながら本を読んだりすることも好きでした。その時に読んだ「東大卒プロゲーマー」という本に感化され、情熱をもって仕事するのが一番いいんじゃないかと考え、この時点で情熱持って仕事できるのって恐らくパチスロ開発だろうなと本気で思っていたけれど、どう考えても斜陽産業なのでその業界で働くモチベーションは持てず。4号機と5号機の規定の違いやリール制御とか好物で調べたり、自分で作る台はどうなるかとか妄想していたりした。(ちなみに5号機で一番好きな台は番長2です)
他には、なんとなく沖縄の離島に逃げて暮らす方法は無いのかとか、海外で暮らす方法はないのかなど、漠然と仕事を人生の一部にしたくない感がずっとありました。

転機

なかなか腐ったマインドで仕事はしていたものの、やることはやっていたし、会社内の範疇では自分としてもやってきたことにそれなりの自信がありました。しかし、社内の評価的には自分の等級より上に記載されている評価対象の仕事をこなしているはずなのに、社内政治的に新卒X年目まではその等級にいけない、だとか、部署内で等級を均等に振り分けないといけない、などの決まりがあるという噂を聞きました。
簡単にいうと、自分の評価に納得していなかったわけです。感覚だけの話なら分かるのですが、基準として記載されていることをやっているのに、その評価にならないのはいかがなものかと。
加えて、自分の部署にいる後輩にあたる新卒入社の子が勤務中に寝るなど勤務態度が悪く、それでいて自分が受けてきた評価と全く同じ等級になっている事実や、特に大きなプロジェクトを動かしていないうん十年勤めている先輩社員からgitのコンフリクトの治し方を教えてと質問をうけ、そんな方は自分より上の等級にいたりとか。
もちろんたった一つ会社の小さな部署内での出来事であることは承知していますが、なんだか能力の低い人に合わせる感じや、日本人の助け合い精神や、目立たないで謙遜する、みたいなものがものすごく悪く出ているなーと感じました。

しかし、その現状だったり、社内政治に文句を言っても仕方ないので、これは転職なり環境を変える転機が来たなと。
ちょうどその時に、フリーランスで常駐している方が一人いて、喫煙所で会話をする中でフリーランスという存在を教えてもらいました。(当時は派遣とフリーランスの違いも分からないレベルでした)
そもそも私が評価を気にする点としては、きちんと評価されたいという点と給料を上げたいという二点がありました。
そういう意味では、フリーランスになれば単価もあがるし、自分のパフォーマンスがダメなら契約は終わるし、自分のパフォーマンス次第では単価を上げることだってできる。
これだ!となり、最後のプロジェクトである新規事業のwebサービスのローンチを終えた時点で退職する運びとなりました。

転職活動をせず次の契約先が決まる

通常、フリーランスになった場合、何かしらの方法で契約先を探す必要があります。当時ちょうどフリーランスの営業代行サービスみたいなのが出始めまくった時期で、それらを使ってどこかしらの企業と契約しようと思っていた矢先、まさかの新卒入社からずっと一緒だった上司が転職するタイミングと被りました。自分が会社を辞めると告げた前の日に上司も辞めると告げたようで、上司の次の転職先はまだ会社の登記されていないドスタートアップで開発メンバーも募集中でした。
その会社の話をいろいろと聞き、とんとん拍子で、転職(営業)活動をせずとも次の契約先が決まってしまいました。もちろん面接などはなく、顔合わせだけ。
中抜き企業もいないのでフルで単価を貰えるし、仕事っぷりは上司も知っているし、こんな好条件はない。
こうしてフリーランスとしてのキャリアが始まります。

フリーランスで働く

フリーランスと一言に言っても、いろいろな働き方があると思います。一社のみと契約したり、複数の会社を掛け持ったり、そもそも稼働時間を少なくする、とかとか。
自分は結局その会社一社のみフルで働く契約で進めていくことにしていきました。

フリーランスで働くとはどういうことか。
基本的には契約書に記載されている業務内容をきちんとこなせていれば、先方としても文句はありません。文句があれば、業務内容の調整をするべきです。
これはどう言うことかと言うと、先方が満足している仕事を納められれば、自分はそれ以上頑張る必要がありません。つまり、必要最低限の仕事をすることが最も単価を高く叩き出すことができ、余分な努力は単価を下げる、とも言えます。
キャリアを考えていない人間は怠惰です。これ以上ないコンフォートゾーンに留まっていました。
求められた開発のみを淡々とこなす日々。特にビジネス側に意見を自ら発することは無く、会議も必要最低限のものにのみ出席するようにしていました。
キャリアを向上させなければいけないなんて決まりは人生になく好きなようにすればいいので、これが正解とか間違っているとかは無いことは確かです。私は契約通りの内容をこなしてずっと契約も延長できていたので結果として特に問題のない外部リソースではあったはずです。(この辺りのバランス、フリーランスでやっている人がどうしているか気になりますね)
確かに前職よりは金銭的な面では十分余裕ができたし、ワークライフバランス的に本当にストレス皆無な日々を送れていて幸せでした。しかし同時に「こんな経験でこの後どうすんだ」という漠然とした将来への不安みたいなものがずっとありました。

フリーランスになってから残業の概念がほぼ無くなり、自由に使える時間もだいぶ増えたので、なんとなく始めた英語学習から、海外でエンジニアとして働くというのを目標にするのもありなのかなーとふと山手線の電車内で調べ出会った記事がFrog代表のSennaさんが書いた記事でした。

この記事を読んで、英語学習をしている自分は、バンクーバー云々よりもまず、海外で働くという選択を選ばない理由はなく無いか?という強烈な背中押しとなりました。
加えて、当時の彼女(現在の妻)が、東京都のとある区で保育士として働いていたのですが、その年の夏に、とある区が募集している中高生の修学旅行の付き添いに応募し、2週間ほどニュージーランドに行っていました。彼女も海外での生活というのに興味を持っていたので、2人でどこか海外で暮らして挑戦してみるのも面白いかもね、という話もしており、だんだんと海外に出る現実味が増してきました。


第一章はここまで。次章は「海外就職の挑戦を目指すまで」です!
読んでくれてありがとうございました。

第二章はこちらから


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