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読書ノート「移民の経済学」(著:友原章典 中公新書)

Ⅰ.はじめに

本書は2020年1月発行です。移民に関する様々な論点を実証的にみていこうという本です。

Ⅱ.本書の内容

1.日本の現状

国連の集計基準では2019年時点で日本にいる移民の数は250万人で世界第26位だそうです。しかし人口に占める移民の割合は約2%で世界第170位となります。移民の出身は中国籍が27%とトップでベトナム籍も22%と多くなってきています。全体にアジア人が多く欧米人は少ないです。2018年の外国人労働者数は146万人で1996年の16万人、2006年の39万人からみると近年急速に増えています。

2.雇用への影響

移民は雇用にどのような影響を与えるのでしょうか。欧米ではマイアミ州におけるキューバ移民に関する調査などいろいろな調査事例があり、移民が多い地域でも国内の他の地域と比べ賃金が低下したり失業率が悪化していると評価できるような事実は見当たらないようです。

賃金については学歴と職歴により細かく区分して調べたところ移民の割合が増えている区分で賃金が低下しているという研究もある一方で、移民が増えるとアメリカ市民の賃金が多少上がり移民の賃金が大きく下がるという分析もあります。移民については「格下げ」といって大卒の移民が高卒の市民と同じ職についていたりするため移民と市民を同じ学歴・職歴区分で比較した研究は実態を反映していない可能性があります。

雇用については移民が市民の職を奪うという効果も考えられますが、移民のおかげで工場が海外移転を免れ、結果として市民の職も確保されるという効果もあると考えられます。また工場が海外に移転した場合でも工場労働者の雇用は減ってもコンピューター技術者など別の職種が増えるのでアメリカでの実証的研究によれば企業の国内雇用は減っていなかったようです。

理論的には移民と市民の労働が代替的で競合関係にあれば市民の賃金は下がりますが、移民を入れて利益が上がれば別の職種の市民の賃金は上がる可能性もあります(例えばアメリカのコンピューター技術者の賃金は上がっています。)。移民を入れることで国全体で賃金と雇用がどうなるかは実証的にみていかなければ分からないし、学歴・職歴区分ごとの影響についてもハッキリした結論は出ていません。移民が急増する日本で今後どういう影響が出るかも見通し難いですが低技能の労働者に限れば賃金に悪影響が生じるおそれはあると思われます。

3.経済成長への影響

一般に移民の受け入れは経済を成長させるといわれます。移民先の先進国は途上国より性能の良い設備等があるので同じ人が働いても先進国で働く方が生産性が高くなるからです。しかし途上国から大量に移民しても先進国の状況が変わらないという仮定は正しいのでしょうか。移民を完全に自由化した場合、世界のGDPは60%増えるという試算があります。しかしそのためには56億人が先進国に移住する必要があるといいます。仮定の話としてもそのようなことが起こって先進国側の状況が変化しないことがあるのでしょうか。先進国側の組織・制度の75%が途上国と同じ程度に変化した場合、その試算では世界のGDPが8%低下するそうです。

受入れ国への影響はどうでしょうか。移民が増えると貿易が促進されるといいます。移民は本国から消費財を輸入するのでまず輸入が増えます。しかしこうした輸入拡大効果は時間が経つと落ち着きます。逆に移民と本国のネットワークを通じて移民元の国への輸出が次第に増えていく効果があるようです。特に無形の知的財産は輸出促進効果があるようです。また移民元国からの観光客や投資が増える等の効果もあるようです。これらには様々な研究がありトータルで輸出と輸入どちらへの効果が大きいが結論は出ていないようです。

4.人手不足を緩和するか

人手不足だから移民が必要という議論があります。しかし看護師などの専門職については移民を入れると賃金が下がり国内のなり手が減ってしまう可能性もあります。アメリカでの研究事例では移民看護師が2人増えるとアメリカ市民の看護師が1人減るという研究があります。さらに長期的な影響を調べた研究では移民1人につきアメリカ市民の看護師が1人以上減っていたという研究もあります。これはアメリカ市民の看護師がクビになったわけではなく低賃金や職場環境の悪化により長期的に看護師を目指す人が減ったり転職する人が増えた結果のようです。

ノルウェーの研究では移民が増えると建設業の賃金が下がるという研究もあります。高技能職の賃金はさほど影響はないが中低技能の賃金が低下したようです。その結果2001年に建設業で働いていた市民の27%が2005年に建設業を離れていたそうです。しかもかなりの割合で失業者になっていたとのことです。

5.女性の活躍を促進するか

家事代行サービスに移民を入れると女性の社会進出が加速するという議論もあります。これもアメリカの研究では一部の高学歴・高賃金の女性が勤務時間を増やす効果が認められましたがそれによって社会全体で働く女性を増やすかは不明のようです。他方、移民による安価な家事代行サービスを利用できる結果として出生率を高めているという研究もあるようです(確かにアメリカの出生率は日本より高いです。)。

6.物価は下がるか

移民が増えると生活費が安くなり市民の購買力が上がるという議論があります。アメリカの研究では家事代行サービスのような移民が多いサービスの価格は雇用労働者に占める移民の割合が10%増えると2%低下する程度の相関がみられたようです。結果として1980-2000年間でこうしたサービス価格が10%程度抑えられたようです。他方、都市間を流通する物品の価格には影響が見られないので移民が従事するサービス部門の賃金低下が価格に反映したようです。こうしたサービスの恩恵を受けるのは主に高所得者だという点も注意が必要です。

19カ国の都市を対象とした別の研究では上述のようなサービスだけでなく農産物などの価格も抑えられ、トータルで移民割合が10%増加するごとに最終消費財の価格が3%低下するというものもあります。一般的に移民が賃金低下を通じて供給要因から物価を下げる効果はあるようです。

不動産価格への影響はどうでしょうか。物価が下がっても家賃が上がったなら生活は楽になりません。アメリカにおける研究では移民により都市人口が1%増加するごとに家賃や住宅価格が1%上昇するというものがあります。他方、カナダで長期的な住宅価格を分析したところ移民増加1%ごとに0.1%の価格上昇だったという研究もあります。短期には不動産価格が上昇しても供給増加が見込めるなら長期的には落ち着く可能性があります。

これらは広範囲の影響を見たものです。移民が多い地域だけに限定するとアメリカでは都市の中で移民が多い地区は地価も下がる傾向があるようです。アメリカでは富裕地区と貧困地区の分断が大きいことも影響しているようです。貧困化する地域からの市民の移動により富裕地域の地下が上がり資産効果で富裕層だけが裨益している可能性があります。

7.財政や社会保障への影響

移民が増えると税や社会保障の担い手が増えるという議論があります。他方、移民が税をあまり払わないのに社会保障は受けるということになれば社会の負担が増えるという懸念もあります。

これについてはイギリスでは途上国からの移民はイギリスや他のEU市民などに比べ福祉サービスの利用、依存が低かったという研究があります。財政貢献度を『納税などの負担−福祉などの給付』とすると移民はイギリス市民より財政貢献度が高いという結果も出ているようです。他方、アメリカでの類似研究では移民1世、2世、3世と区分してみてもいずれもそれ以外のアメリカ市民より財政貢献度が低かったとされます。

著者はこうした分析には解釈が入ると断った上でイギリスの移民は東欧系やインドの高学歴者が多い点を指摘しています。また日本については10年程度の期間を限った現在の仕組みなら移民の財政貢献は高いがアメリカのような受け入れ方をすれば財政に悪影響が出るという見方を紹介しています。

8.イノベーションへの影響

移民が増えることで技術革新は遅れるか進むかという議論があります。これについては低賃金の移民を入れる技術革新が遅れるという説や外国人材を入れればイノベーションが生まれるという説があります。

アメリカの研究では移民が増えると工場の自動化が遅れるという分析があります。他方、移民が増えると全要素生産性が高まるという研究もあります。著者は移民が単純労働を担う一方、低学歴の市民は別の部門に再配置された結果、全体の効率が良くなる面があるためだといいます。また自動化できない工場が残ることで雇用を守っている可能性もあるといいます。

アメリカに優秀な外国人留学生が多数集まっているのは周知の事実ですがアメリカ人の高技能労働者との競合関係についてみるといわゆるSTEAM系のような企業では全体に高技能者の割合が高く、また外国人が多い企業でアメリカ人の離職が多いともいえないため強い競合関係はみられないようです。他方、高技能者の新規採用に占める外国人の割合が高まる時期は賃金が抑制される傾向は見られるようです。

ほかにも移民の博士号取得者とアメリカ人の博士号取得者を比べたりとかSTEAM人材の外国人雇用が増えるとアメリカ人の給与も上がる傾向があるとか色々な研究が紹介されますがはっきりした結論が出るものはなくアメリカの先端産業は移民と市民の高技能者が補完的に支えているといった程度のことは言えても移民がイノベーションを加速させたかはハッキリしないようです。

9.治安への影響

移民は社会を不安定化させたり治安を悪化させるかという論点もあります。

アメリカの研究で人種的に多様性が高い地域では人を信じない傾向が高まりまたボランティア活動への参加なども低いという分析がありました。しかしヨーロッパの研究ではそれほど強い傾向はみられないといいます。そこで信頼感を低下させているのは民族的多様性ではなく格差であるという反論がなされました。また信頼感を低下させているのは主に白人であるため人種的偏見の強さが影響している可能性もあるようです。

犯罪が増えるかという点について、イギリスでは1997年以降移民が急増しました。これには第1波と第2波があり、第1波は中東などの難民受け入れで、第2波はEU拡大に伴う東欧系の移民です。それぞれの時期の犯罪数をみると第1波では窃盗が少し増加し、第2波では窃盗が少し減少しました。また第1波と第2波ともに凶悪犯罪の数に影響はありません。第1波で窃盗が増えたのは第1波の難民は就労機会が少なかったためと考えられ、それ以外の要素では移民が犯罪を増やすという傾向はみられないのです。

こうした傾向はイギリスだけではなくアメリカにおいても同じで、日本においても外国人が増えたから犯罪数が増えたというような統計的事実はありません。日本の場合はまだ絶対数も少ないので犯罪率をみてみると日本人は0.009%で外国人は0.026%なので率としては3倍近いです。しかし重要窃盗だけみるとむしろ外国人の方が低くなります。犯罪率というのは元からが小さい数字であり、また外国人の性別や年齢、学歴には日本人全体と比べ偏りがあることを考えるとこの程度の違いでは統計的に意味のある差とはいえないようです。

10.誰が移民に反対しているのか

最後に誰が移民に反対しているのかをアンケートで分析しています。ざっくり言うと先進国では低学歴・低技能の方が反対する傾向にあるようです。移民と雇用が競合する層が反対しているということです。高学歴・高技能層は移民で裨益するところも多いためか移民に寛容であるようです。

Ⅲ.雑感

移民の影響は国による違いや、全体的な影響と部分的な影響、短期的な影響と長期的な影響など分析の切り口によって違った見方ができたり同じ切り口でも要素を細かく見ると違う結論が出てきたりするようです。これは実験ができない社会科学では当然のことであり冷静にファクトを分析する姿勢が求められるでしょう。

このような視点で見ると移民に関する俗説はほとんど正しくないことが分かります。これは移民が経済成長に必須だというような新自由主義的な論調でも移民を排斥しようとする論調でも同じことです。真実は中間にあるのです。

最も強調されるべきは移民が犯罪を増やすというような統計的根拠は世界中を見ても見当たらないということです。このような誤解は偏見が偏見を呼ぶような負のループによって形成されたもので事実に反する見解だといえるでしょう。経済的基盤がしっかりしていれば移民が日本人より犯罪を犯しやすいなんていうことはないのです。

他方、経済的影響は大変複雑です。移民が日本経済の救世主という単純な見方は当たらないとしても人口が減少する日本で移民と上手く付き合っていくことは必須のように思われます。

雇用への影響としては全体として日本人の雇用を減らしたり賃金を下げることにはならないようです。移民なしでは国際競争に敗れてしまうような工場とか農業でも移民と日本人が適切な役割分担をすることで雇用を維持できる可能性もあるからです。実際、欧米でも移民が雇用の総数を減らしたということではないのでしょうし、平均賃金はむしろ少し上がっているわけです。

しかし移民と競合する職種にとっては賃金低下や失業をもたらします。給与の高い職種への転換は雇用の流動性が低い日本では欧米より難しいかもしれません。移民が増えた場合、日本経済全体としては成長しても格差が拡大する懸念はどうしても残ってしまいます。なお移民を家事労働に従事させて女性の社会進出なんていうことを真面目に言う輩もたまにいますが、本書をみればそうしたやり方では格差の拡大を招きかねないことも分かるでしょう。また移民によって物価が多少下がっても、人口が密な日本の都市部では家賃が上昇して打ち消してしまう可能性も示唆されます。賃金が下がって家賃は上がるということであれば低所得層へのダメージは大きくなります。

さらに人手不足の解消ということについては人手不足の根本原因が低賃金であるような場合は移民を入れても同じくらい日本人が減るだけで人手不足の解消にはつながらない可能性も示唆されます。移民の受け入れは製造業や農業などの国際競争が激しい分野や、先端分野の高度人材では必要ですが看護、介護など専門知識が必要なのに国内要因で低賃金となっている分野は移民よりも待遇改善で人手不足を解消すべきでしょう。

財政・社会保障については永住という形で受け入れた場合は結局負担が増える可能性もあるようです。

こうしてみると特定技能という新たな在留資格を設け、永住を前提とせずに業種ごとに受け入れ数をコントロールしながら同一労働同一賃金を原則として外国人の権利保障にも配慮した安倍政権の施策は良く考えて作られたものだと分かります(菅政権が今後どうしようとしているのかはまだよく見えてきません。)。しかしながら思ったほど受け入れ数が増えていないともいわれており、日本企業が外国人の権利を尊重する受け入れ態勢を構築し、悪質な送り出し機関に頼らなくても外国人に来てもらえるような状況を作っていくことが必要でしょう。

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